第73話「デーモンコアは恐ろしいのデス」
ラプラスの話はファンタジックなものでありながら、かなり生々しく聞こえた。
悪魔との契約で魂を要求するのはお決まりのパターンだ。今回の場合は魂=人格であり、厚木さんの中には二つの人格が存在している。そのうちの一つを悪魔に差し出すというのか?
「おい! 相手は悪魔なんだろ?! まさか、そんな要求を飲んだのか?」
「そうよ。だから未来予知が使えるんだけどね」
「……」
絶句する。彼女の話が本当なら、どちらかの人格は永遠に消え去ることになるのだろう。
「その後はあんたも知っている通りよ。あたしはあんたの自殺を止めて、この世界で生き抜くの思考を与えた」
「……」
「どうせあたしは消えるからね。せめて、あんたにはあたしの思考を引き継いでもらいたかったの」
結局ラプラスは、オリジナルの厚木さんを生け贄にすることは考えていなかったんだな。ほっとすると同時に、胸をギュッと締め付けられるような苦しさを感じる。
「どうして俺なんかのために……」
「どうしてだろうね。たぶん、あたしの初恋だったのかも」
「……」
厚木さんの身体でそれを言われてもまったく嬉しくはない。でも……おまえは、俺のためにそんな契約をしたのか。
あれ?
そういえば、本来は消えるはずだったラプラスは消えずに存在しているじゃないか。
「……でもさ。おまえは消えていない。オリジナルの厚木さんも存在できている。どちらの人格も悪魔は持って行かなかったのか?」
「そこでさっきの話に戻るんだよ。あたしは覚悟を決めて消えることを選択した。その時に、キミの声が聞こえちゃってね」
「え?」
「身体から人格が切り離されて……まあ、実際どんな状態かわかんないんだけど、身体の感覚がなくなって、思考だけがクリアになって、そこであなたの声に導かれて、思わずそちらの方向へと行ってしまったの」
「……」
「そしたら、なんか心地の良い場所があってね。少し眠くなって、寝ちゃったんだけど、起きたら、その……記憶のほとんどを失っていてね」
俺はその時のことを思い出す。
悪魔の起動が初めて起こったときのことだ。
周りの景色から色が失われ、時間の流れがゆっくりとなり、真っ暗となった空間でこいつの声が聞こえてきた。
『あれ? あなたは誰?』
「は? っていうか、俺がそれを聞きたいよ」
これがラプラスとの初めての邂逅……そう思っていた。
『うーん、なんだろう。何も思い出せないな。あたしは誰なのかな?』
「知るかよ。それより世界はどうなったんだよ。いきなり闇に包まれて――」
『それは大丈夫だと思う。ここはたぶん、あなたの心の中だよ』
「心の中で会話……ってことは、おまえは俺のイマジナリーフレンドかなんかか?」
『うーん、どうなんだろう。少なくともあなた由来の人格ではないと思うよ』
思えば最初っから軽口を叩き合うような関係だったな。
「おまえ、何者なんだよ!?」
『それはあたしにもわからない。なにしろ、自分のこと、ほとんど忘れちゃってるみたいだから』
「なんか、真っ暗で不安だから戻してくれない」
聞こえてくるのは相手の声だけ、暗闇で自分の身体がどうなっているかもわからない。不安になるのは仕方ないだろう。
『ん? どうすれば戻るのかな? こうかな?』
その言葉と同時に、世界に光が戻る。
「なんだったんだ?」
俺が独り言を溢すと、前から歩いてきた反社風のおっさんに身体がぶつかる。俺は道の真ん中に立ったままだったようだ。
「ぼーっとしてるんじゃねえよ!」
「す、すみません」
慌てて道の脇へと避ける。が、再び世界が暗転。
『今のおっさん。10秒後に段差を踏み違えてずっこけるよ』
「は?」
『なんかね。彼の未来が見えちゃったの』
「おまえ、そんなことできるのか?」
『たぶん、あなたが触れた人限定だと思うけど、まあ、他にもいろいろ条件があるんじゃないかな』
「とりあえず、本当に起きるか見てみたいんだけど」
『わかった。元に戻すね』
そうして、戻された世界で、俺にぶつかった人の様子を後ろから確認する。しばらくすると、歩道から出て反対側に渡ろうとして、その先の歩道の段差に蹴躓きコケる。
マジだった。
それがラプラスとの初めての出会いであり、未来予知を初めて試したときの出来事であった。
「思い出した?」
「ああ、そうだな。あの時はマジで混乱したからな」
「でも、慣れるのも早かったよね? あたしの能力を使いこなすのもお手の物だったんじゃない?」
「そりゃ、使える道具は使わなきゃもったいないだろ?」
「あたしのこと道具扱い?」
「おまえというより未来予知だろうが」
「こき使われたよね」
「根に持ってるのか?」
「ううん。わりと楽しかったよ」
いつもの100%な笑顔の厚木さんの顔で言われるものだから、俺としてもドキッとする。
「まあ、昔話よりも現状をなんとかするほうが先だな」
俺は自分の感情を誤魔化すように、話題を変える。
「そうね。でも、あたしが昔話で言いたかったのはサイトーも同じように悪魔の取引を使った可能性が高いってこと。そもそも召喚のことを調べてもらったのは彼だからね」
となると疑問が出てくる。
「斉藤はそのときに何か願わなかったのか?」
「あの当時のサイトーには、その資格がなかったのよ」
「資格?」
「自分の命をかけられるほどの強烈な願いがなかったの」
そう言われてドキッとする。それはつまり、たかが俺のために、おまえは命をかける覚悟があったってことか。
逆に斉藤は、単なる初恋止まり。ラプラスと一緒に行動できるだけで、それなりに満たされていた。だから願う資格がなかったのか。
「でも、今の斉藤にはそれほどの覚悟があったんだな」
「そうね。命をかけてでもあたしを復活させたいってね」
ラプラスの人格が出現しなくなってからもう4年にもなる。斉藤は斉藤なりにラプラスを助け出したかったんだ。
でもな、俺は厚木さんを助けたい。
奴と同じように、俺だって命がけだっつうの!
本題に戻るか。グダグダと感情的な思考を繰り返しても、何も解決はしない。
「厚木さんの主人格はどうやったら目覚めるんだ?」
「記憶の共有がないとはいえ、あたしが見たり聞いたりしたものは、深層心理にうっすらと上書される。あたしの両親の件もそうだったけど、平和になれば彼女の心は戻ってくる可能性は高い」
つまり斉藤を無力化すれば厚木さんは目覚めるのか……けど。
「可能性の問題か。確実とは言えないんだろ?」
「まあ、そうだね。けど、確実な方法は一つだけあるよ」
「なんだよ。確実な方法があるなら、そっちをやればいいだろ」
「……うん。そうね、本当ならそれが一番。だけどさ……」
ラプラスの口調が急に重くなる。
「なんか問題があるのか?」
「……ううん、ないよ」
一瞬、その返答に彼女は躊躇したような気がした。
「じゃあ、どうするんだ?」
「斉藤くんのリセットを強制的に6年前に設定すればいいだけ。リセットした瞬間に斉藤くんの能力は失われる。なにせ、悪魔と契約する前に戻るんだからね」
「ちょっと待て、そんなことができるのか?!」
ラプラスの提案した裏ワザに俺は驚く。
と同時に何かもやもやした違和感が沸いてくる。たしかに契約前であれば、魂の取引は無効になる。しかも斉藤も契約前だからリセット能力は使えないが……。
「彼の持っていた手帳には西暦2000年以降のカレンダーがあったの。あれがリセットをするためのアイテムであるのなら、可能なはずよ」
そんなに前までリセットが可能となると、斉藤の能力の検証もしたくなる。
「ということは、俺たちが生まれる前までリセットできるのか? でもさ、それってどうなるんだ?」
俺が生まれたのは2003年だ。それ以前にリセットを設定するとどうなる? 例えば2001年とか。タイムパラドックスとは違うが、ちょっとした問題が出てくるはずだ。
「さあ? まあ、世界をリセットするわけだからタイムリープと違って本人たちの存在なんて大した影響ないんでしょ?」
問題ないはずがない。それこそあり得ない事態が起こる。
「俺たちは記憶を持ち越せるんだぞ? 存在していないのに記憶だけが残るのか? おかしいだろ?」」
「たぶん、記憶は外部に保管されているんでしょうね。外付けの記憶装置とか。リセットした瞬間に、その装置から記憶が書き込まれると」
そんな風に、ラプラスは自分の推測を語った。
「HDDやメモリカードじゃないんだぞ。そんなものどこにあるってんだよ?!」
「記録する方法なんて物理的なものから磁気、化学配列までいくらでもあるのよ。その気になれば空間や大地にすら書き込めるわ。人一人の記憶が膨大な容量であったとしても宇宙は無限よ」
「ずいぶんと壮大だけど力技な説明だな」
「ただの推論だからね。けど、あり得ない話じゃないでしょ?」
「否定できないだけの話だろ」
とはいえ、納得はいかない。まるで悪質業者と話している感覚だ。
「そもそも過去に戻ったあたしたちがなぜ記憶を保てるの? リセットされれば脳にあるニューロン内の電位変化も元に戻ってしまう。そのままの肉体を過去に持ってこない限り、記憶の維持は不可能なのよ。だとしたら、外部に記憶装置があるってことの方がまだ論理的に考えられるでしょ」
「そりゃそうだけどさ」
まるで狐にでもつままれたような話である。可能性がゼロじゃないというのが癪に障る。
「でもさ、こうやって想像を広げると、悪魔の能力すらも論理的に説明できるかもしれないよ」
「論理的? ご都合主義的じゃなくて」
未来予知やリセットは俺らの認識を超えたデタラメな能力だ。現代科学力で論じられるはずがない。
「もー! それは狭い狭いあたしたちの知識で考えるからだよ! 科学を超えたものがファンタジックに見えるだけのこと。ほら、『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』っていうでしょ?」」
「クラークの三原則か? でもさ、所詮SF作家が考えた想像だろ?」
「SF読者を敵に回す気?」
そういや昔、師匠であった頃のラプラスにSF小説を何冊か薦められたな。あいつSFマニアだっけ。俺もかなり影響されているけどさ。
「いや、そういうつもりはないけどさ」
「とにかく、あたしたちは限定された知識に縛られすぎているのよ。もっと広く視野を持たないと」
「うーん……」
広くと言われてもねぇ……。
「例えばだよ。未来予知は『タキオン粒子』があれば理論上は可能になるのかもしれない。あなたならわかるでしょ?
「まあ……」
『タキオン』とは、簡単に言えば光速を超える粒子である。つまり「光速より速い速度で運動すれば、時間軸を逆行できるんじゃね?」的なものなのである。
科学的にも、特殊相対性理論において矛盾しないようなんとか説明できるもの。だが、その存在は現在までに観測されていない。
『単なるファンタジー物質じゃねえか!』とのツッコミは各方面から入っている。
「時間の流れが一方向であることを定める物理法則も発見されていないのだから、リセットだって、もしかしたらあたしたちが知らない法則で発動するのかもしれない」
屁理屈だけど、否定できるソースは示せない。
それどころか、俺たちは未来予知やリセットをこの身体で体験してしまっている。
「まあ、実際に未来予知やリセットを目の当たりにしているからな。見なかったことにはできないか」
俺らは科学者でもないし、解き明かさなければならない義務もない。だったら、もうちょっと気楽に考えるべきであろう。
「ちなみにタキオン粒子の観測にはチェレンコフ放射を利用する方法があるのは知ってるでしょ?」
「知ってるけどさ。そんなに簡単じゃないだろ」
「チェレンコフ効果は簡単に起こせるよ」
「……」
そこで背筋がゾクリとする。彼女が言いたいことが予測できてしまう。
「例えばさ。プルトニウム塊の周囲に中性子反射体を被せればいいの。こうすれば人工的に臨界状態を発生させられ、チェレンコフ効果が起きる」
「デーモン・コア……」
二人の科学者の命を奪った実験装置の名前がそう呼ばれていたっけ。仕組みもラプラスの説明するとおりだ。
「そういうこと」
「ちょっと待て! おまえの身体はプルトニウムで出来ているのかよ!」
俺は即座にツッコミを入れる。そんなわけがないのだから。
「やだなぁ、ただの
「オヤジギャグにもならないほどの不謹慎な喩えじゃねえか!」
「まあまあ、落ち着いて。とりあえず、理論上はタキオン粒子を観測することは可能だし、危険きわまりない大がかりな装置のデーモンコアがなくてもそれに代替するものがあればいいわけじゃない?」
「そりゃそうだけどさ……」
そもそも話の論点がズレすぎだ。俺たちが為すべきは、斉藤のリセット能力を無効にすることだ。
「あたしが言いたかったのは、思考の方向性の問題だよ。広い視野で俯瞰して観測することの大切さを説きたかったの」
「それに関しては理解しているよ」
「さすがはあたしの弟子なだけはあるよね」
「もうおまえが師匠って感覚は薄れてるけどな」
そもそも彼女からは、思考の方向性を教えられただけで、知識を与えられたわけじゃない。しかも、長らく心の中で接してきたので、古き友人という感覚の方が強かった。
「まあいいよ。最近のあたしたちの関係って、ほとんど相棒に近かったし」
「そうだな」
「で、どうする?」
「え?」
「6年前へのリセットだよ。まだ、どういう策略でサイトーにそれをさせるかは思いついてないけど、あんたの方が効率良く立案できそうだし」
「……」
俺は即答できない。
「どうしたの?」
「一つ確認したいことがある」
正直、訊くのが怖かった。彼女の気持ちをはっきりさせるのは嫌な予感しかしない。
「なに?」
「リセットで戻る正確な日付を教えてくれ」
「んー、そうだねぇ。2014年の9月6日かな」
「その日におまえは悪魔と契約するのか? 違うよな。悪魔との契約は中学に入ってからだ」
よくよく考えてみれば6年前という設定自体が怪しい。ラプラスに他に意図があるとしか思えない。
「あははは……そうだったね」
「だったら、なぜ6年前なんだ? おまえが悪魔を呼び出す前なら4年前でいいじゃないか」
「……」
ラプラスが黙り込む。俺の嫌な予感が的中していそうだ。
◆次回予告
ラプラスが示す6年前の意味とは?
そして彼女から提案される驚くべき『お願い』とは?
次回、第74話「悪魔からのお願いなのです」にご期待下さい!
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