第72話「悪魔の取引なのです」


 未来予知を厚木さん自身でなく、俺ができた理由はわりと単純だった。


「このアイテムはあたしの方の人格じゃないと動作しない。あたしの精神はこの身体を離れてあんたとリンクしてたからね。本体であたしの人格が起動できないから、無理矢理あんたの心の中で起動してたんだよ」


 人格の幽体離脱とか、これまたデタラメな状態になっているな。まあ、未来予知ができる時点でまともではないが。


「なんか複雑なことをさらりと言ってるようだけど、どうしてそうなった?」

「まあ、話せば長い事情があるんだよ」

「事情ってなんだよ?!」


 俺は苛ついてくる。あまりにも現実を逸脱している。


「簡単に話せば悪魔との取引かな」

「悪魔だと?」

「そう。あたしは願いを叶えてもらい、その魂は消滅するはずだった。ほら、よくあるでしょ。魂の契約ってのが」

「ああ、話には聞いたことがある」


 悪魔と契約する者は魂をその代償とする。願いが叶えば、対象者は魂を奪われるのだ。お伽噺の中ではわりとスタンダードな設定。


「ちょっとした手違いで、悪魔に魂を持って行かれなかった。というか、持って行かれる途中で逃げようとしたら、ちょうどいい退避場所があったんだよ」

「それが俺の中ってことか?」

「なんか、心地良かったし」


 俺は頭を抱える。たぶん、本当はもっと複雑な理由や事情があるのだろうけど、聞いたところで本人にもわからないのかもしれない。きっと偶然が重なったのだろう。とりあえずそう思っておく。


 ここで重要なのはラプラスがなぜ助かったのか? ではない。契約した悪魔の存在と、その願いだ。


「とりあえず、経緯はわかった。ただ、教えてくれないか? いつからおまえは厚木さんの中に生まれたのか? そして、おまえは何を願って悪魔と契約したのか」


「それは……」


 饒舌だったラプラスが口ごもる。


「言えないことなのか?」

「言えないわけじゃないよ。けどさ、あんたに言うのはちょっと気が引ける」


 いつもは遠慮なしにずばずば言ってくるってのに。


「は? どういう意味だ? 俺らの関係で気を遣うのか? 今さらだろ」

「うーん……まあいいか。斉藤くんのことも絡んでいるし、全部説明しないとこの問題は解決できないからね。話してあげる」


 ようやく重い口を開く気になったか。それにしても、どんな秘密があるっていうんだよ。


「ああ、頼む」

「そうね。どこから話そう。私の人格が生まれたのは6年前のこと。まだ、小学校5年生だったわ。その頃の球沙……この身体の主人格はね、告白した女の子にフラれたばかりで精神が不安定だったの」


 高酉が初恋ではないのか。まあ、そりゃそうだよな。同性とか異性とか関係なく、それくらいの年齢で恋に目覚めるのは不思議ではない。


「厚木さんはその頃から、同性愛の傾向があったのか?」

「そうみたいね。その失恋とは別に、両親の大げんかが重なって、解離性同一障害の症状が表れた。つまり、現実からの逃避するために、あたしという人格を作り上げたのよ」


 受け入れがたい現実があったとき、人はそこから逃避する。厚木さんの場合は、意識と記憶が分断された。


「まあ、理屈としては理解できるよ」

「で、人格が交代してからは、自由を謳歌したわ。あたしはわりと合理主義だったし、両親のことなんてどうでもよかったからね。サイトーを子分にしてやりたい放題に暴れ回った」

「その話は奴から聞いたな」


 あの時に斉藤の中の闇に気づけていたら、もう少しマシに行動できていたかもしれない。


「じゃあ、その話は省くわね。重要なのはその後の事、わたしは調子に乗りすぎて、反社ヤクザの人にイタズラをしたの。その時はたまたま一人だったから、ブレーキを掛けてくれる人がいなかったのね」


 こいつの言動から容易く想像できる話である。


「なんか、自業自得な話になりそうだが」

「で、命からがら逃げられたのはいいけど、最後の最後で大ポカをやったの」

「大ポカ?」


 師匠ラプラスでも失敗することがあるんだ。


「その人から逃げるために神社の敷地内にある古い埋められた井戸に逃げ込んだの。入る時は大丈夫だったロープが、上る段階で切れてしまってね。途方に暮れたわ。助けを呼ぶわけにもいかず、なんとか自力で這い上がれないか、いろいろ試したみたの」

「ざまぁないな」


 俺は笑いながら、何か心に引っかかるものを感じる。なぜか俺は、似たようなエピソードを知っていたからだ。


「今でこそ笑い話だけど、その当時は本当に死ぬかと思った。絶望というのを知ったかもしれない」

「どうやって助かったんだ?」

「たまたま偶然、通りかかった男の子が助けてくれたのよ」


 その言葉で思い出す。子供の頃、俺は誰かが助けを呼ぶ声を聞いた。それは、とても不思議な感覚。


「たまたま?」

「そうね。たまたまあたしの心の声が届いて、井戸の中を覗いてくれたの」

「心の声ってなんだよ?」


 馬鹿馬鹿しい話だというのに、心の中がざわついてくる。


「まあ、テレパシー的な」

「おまえ、超能力者なのかよ!」


 思わずツッコミを入れてしまうが、同時に背筋にぞぞっとくるのがあった。


「さあ? テレパシーが通じたのなんて、あんただけなんだからね」

「え?」


 ラプラスは何を言っているんだ?


「覚えてないってのも仕方ないもんね。あたしは声だけで指示を出して、男の子に井戸を確認させて、適当なロープを吊してもらって――」

「ちょっと待て! たしかにそんな不思議な体験はしたことはある。ただ……」

「相手の顔は見てないんでしょ。あたし、井戸の中で泥だらけになって恥ずかしかったから、上がるときは後ろ向いててもらったんだよ」

「……」


 ふいに甦った幼き日の記憶と一致する。


「そうよ。あなたは恩人。あ、あたしの命を助けてくれたようなものなんだから」


 ラプラスが珍しく照れたようにそう告げると、顔を赤くする。厚木さんの姿でそんなことをされるものだから、俺は酷く混乱した。


 つーか、ラプラス。おまえってそんなキャラだっけ?


 まあいいや。話を整理しよう。


 俺と厚木さんの中にあるラプラスの人格は、幼い頃に会っていた。まさか、こんなところで繋がるとは……。これはアレだ。ギャルゲとかである、学校で出会った女の子が、実は幼馴染みだったというパターン……ちげーな。


「で……そ、その後は?」


 俺は自分の気持ちを誤魔化すように続きを促す。


「しばらくは平穏に暮らしたわ。いえ、反社さんにはあたしに手出しできないように強烈なお仕置きをしておいたの」


 さらっと怖いことを言うなぁ。


「おまえ、何したんだよ!?」

「それは秘密よ。今回の件に関係ないもん」

「まあいいけどさ。それで? 続きがあるんだろ?」


 ラプラスはまだ、悪魔との契約の話をしていない。


「ええ。あたしは自分を助けてくれた男の子が気になって、その後、必死で探し回ったわ」

「で、ようやく見つけたのがあの屋上か?」


 俺が自殺をする直前の学校の屋上。俺が彼女と再会したのはあの時なはず。


「違うわ。まだ小学生の頃の話。ようやく見つけたあなたは、公園の隅で同じくらいの年の子たちにいじめられていた。あなたのつらそうな顔を見て胸が痛くなったの」


 嫌な記憶が甦る。


「そういや、俺は元来いじめられっ子だったからな。中二まではずっとやられっぱなしだったよ」


 あの頃は情けないくらい弱かったからな。


「あなたの姿を見て心の痛みを感じるようになって……表に出ていられる時間が少なくなっていったの。あのいじめっ子たちを懲らしめてあなたを助けたいってずっと思ってた。でも、あたしが目覚めても、主人格にあたしはすぐに沈められる」


 たぶんそれは、厚木さんの心が正常に戻ってきたってことだろう。


「厚木さんがそれだけ強くなってきたってことだろ? 両親のケンカも収まりつつあったんじゃないか?」

「ええ、その通りよ。弟クンも大きくなって、厚木球沙に懐き始めたからね。お姉ちゃんって自覚もあって強くなっていったのかもしれない」

「まあ、良い傾向だわな。記憶の共有がうまくいかないから、多重人格ってのは実生活に影を落とす」


 だからこそ、解離性同一性障害は精神障害の一つとして診断されるのだ。


「けど……あたしがいくらあなたの側に近づこうとしても、途中であの子が目覚めて、あたしは家に帰ることになる。その繰り返し。まるで自分の行動がリセットされているようなものだった」

「……」


 主人格の厚木さんにとっては、知らないうちに知らない場所に来ているようなものだからな。そりゃ、不安になって自分の家に帰るわな。


「それである日、都市伝説みたいな噂を聞くの。自分と同じ顔をした人物は実は悪魔で、なんでも願い事を叶えてくれるって」

「……」


 なんかどっぺるくんの噂と被るぞ。そんなに昔からあったのか? あの噂。


「あたしは自分が行動できる短い時間で、なんとかその悪魔に会える方法を見つけたの。そして、願ったのよ。あの男の子助ける力が欲しいって」

「ちょっと待て、悪魔って一言で片付けるなよ。そいつは何者なんだよ?」


 いきなり悪魔を出すんじゃないって。そもそも、おまえの過去はそこまでファンタジックな話なのか?


「まあ、相手は何者か名乗らなかったからね。というか、自分と瓜二つの人物だから、まるで鏡の前にでもいるような感覚だったわ」

「どこで出会ったんだよ。まさか悪魔召喚とかしてないよな?」


 この手の話でよくあるパターンだが、そんなベタなことはしてないよな? という意味で聞く。


「そうだよ」

「マジかよ!」


 そりゃ、魂の契約が行われるくらいだから、街でふらっと出会ったってわけじゃないだろうけど……。


「とある場所に古い神社があってね。常駐の神主さんがいるわけじゃないし、周りの高い木に覆われて薄暗い場所だから、子供達も気持ち悪がって近づかない場所なの。本殿の中には御神体の球形の石があって、それが悪魔を呼び出すために必要なものだったの」

「あれ? なんとなく俺、その場所知ってるような気が――」

「ほら、あたしが隠れて出られなくなった古井戸もそこの神社の敷地内だよ」


 なるほど、それでその神社を思い浮かべられるのか。


「そこでね、あたしは儀式を行った。願いを叶えるために」


 ラプラスはゆっくりと、当時の話を続けていく。



**



◆【厚木球沙(ラプラス視点)】



 これはあたし、厚木球沙のもう一つの人格の記録。


 学校であたしの人格が浮上することは稀であった。けど、その僅かな時間で効率良く情報を集めるために、斉藤新を利用することにしたの。


 彼はなぜかあたしに懐いていて、ほとんど舎弟として扱っていたから忠誠心は高かった。だから彼に情報収集を任せた。


 願いを叶えてくれるという悪魔の存在。そして、その悪魔と会うにはどうすればいいのか。


 その情報収集だけで、数年の歳月が流れた。そもそもあたしが出ていられる時間は少ないからね。


「マリさん。例の悪魔の情報がわかってきましたよ」


 サイトーは、あたしが球沙の身体に浮上しているのがすぐわかるみたい。オリジナルの厚木球沙の場合は苗字で呼び、あたしが浮上しているときは「マリさん」と呼んでくる。


 この時、あたしたちはもう中学生だった。


「サイトーよくやった。で、どうすれば悪魔を呼び出せるの?」

「悪魔神社ってところに丸石が奉納されていて、その石の前で願うと悪魔が現れるらしいです」


 そんな名前の神社なんて聞いたことはなかった。そもそも「悪魔」なんて名を神社に付けるのだろうか?


「どこにあるの?」

「まだ調べている最中です」

「まあいいわ。他に呼び出すための条件はある?」


 あたしは斉藤に情報の続きを促す。


「6時66分に願いをかけないとダメらしいんですけど、66分って変じゃないですか? 時計の表示は59分までしかないのに」

「それは単なるこじつけね。66分ってことは1時間と6分。つまり7時6分ってことじゃないかな?」

「おお! さすがマリさん。今日も冴えてますね」

「そんなおだてはいらないから」


 あたしはサイトーの頭に手刀打ち《チョップ》を浴びせた。


 その後、彼の情報から尾白満おはくま神社というのが候補にあがる。


 ややこじつけっぽいが、これはローマ字に直すと「ohakuma」となる。つまり「Oh Akuma」と分解でき、悪魔神社とも読めなくもない。


 しかも、うちの近くにある神社っぽかった。それは、あたしを助けてくれたあの男の子と出会った場所。


 これは偶然か。それとも運命なのか。


 そして、あたしが浮上した時間と儀式の為の時間がちょうど一致しそうになった日。あたしたちは神社に向かった。


 途中でオリジナルの球沙が浮かび上がってこないことを祈りながら。


 本殿をじっくり見るのは初めてだったかもしれない。そこは古びた神社というよりは、廃墟といった方がいいだろう。


 入り口の狛犬は地面に落ちて真っ二つに割れ、賽銭箱はひっくり返り、木造の本殿は所々朽ちていた。


 ホラー映画での撮影場所としては最適じゃないだろうか。


「マジで行くんですか? なんかここ、ヤバくないですか?」

「なにがヤバっての? これから悪魔を呼びだそうってのに」


 あたしの後ろに隠れてビビっている斉藤に苦笑すると、ずかずかと前に進み本殿の扉を開ける。


「……」


 斉藤の息を飲む声が聞こえる。こいつ本当にビビリなんだから。


 さて、中を観察する。


 そこは4畳半ほどの小さな造り。中央には土台の木が腐って崩れた祭壇と球体のツルツルした石が置いてあった。他にめぼしい物はない。というか、すでに持ち去られた後かもしれないが


 石に近づくと、あたしは心の中で問いかける。


『どうか、あたしの願いを叶えて下さい』


 その言葉に反応したかのように、前方の空間が歪む。それは陽炎のようにゆらゆらと光の屈折率を変えていく感じだ。


 しばらくすると、歪みは反射となり、自分の顔がそこに映るようになる。どういう仕組みなのか解明したくなるが、今はそんな場合ではなかった。


 その口元はあたしが喋っていないのに、勝手に動き出して喋り始める。


「おまえの望みはなんだ?」


 あたしはびっくりした。けど、せっかくのあたしだけの時間を無駄にしたくなくて、必死になって恐怖を抑えて悪魔に対峙した。


「……ある男の子を救ってほしいの」

「我が叶えられるのは、汝に能力を分け与えること。それも時間に関する能力しか与えられぬが」


 悪魔はそう返答する。


「そ、それでもいいわ」

「それにもう一つ。おまえの思い入れのある物が必要だ。肌身離さず付けているような物はないか?」

「思い入れのあるもの? この髪留めはけっこう気に入っててずっとつけてるけど」

「それを我の力を媒体する依り代に変えてやろう。よいな」

「無くなるわけじゃないんでしょ? 問題ないよ」


 ここまでは、すんなりと取引が進んだ。相手が悪魔と噂されていることも忘れてしまうほど。


「さて、未来を予知する力と時空をリセットする力。どちらを望む?」


 悪魔にそう問われて、あたしは幼いながらも、どちらがいいかを悩む。


「未来予知ってのは? メリットとデメリットを教えて欲しいわ」

「汝以外の人間に触れれば、その者の視点で未来がわかる。事前に行動結果の演算も可能だ。ただし、汝自身の未来はわからない」

「なるほど、リセットの方は?」

「タイムスリップのように現在から過去へと戻れる。自分の犯した失敗をなかったことにできる完全なリセットだ。ただし、その方向は一方通行。一度リセットを行ったら過去から現在には戻れない。そもそも未来であるその時間は存在しないのだからな」

「まさか、あたしの記憶もリセットされないよね?」

「リセット前の記憶は保持される。ただし、私から能力を与えられた者だけだ」


 未来予知は使い方によっては策略を事前に立てられるけど、リセットだと何度も失敗を繰り返さないといけない。


「使い勝手が良さそうなのは未来予知の方ね。いちおう、漏れがあるといけないから、他に条件があるか聞いておくわ。あなたは悪魔なんでしょ? 対価とか必要ないの?」

「そうだな。お主には人格が二つあるようだから、どちらか一つをもらい受ける」


 ドキッとする。


「人格をもらうってどういうこと? 一つの人格に統合されるってこと?」

「いや、単純にどちらかの人格が固定され、もう一方は消え去るだけだ」

「それは、あたしじゃなくてもいいってこと?」


 あたしの中に悪魔の心が芽生える。主人格の方を生け贄にしてしまえばいいのではないかと。


「本来なら願いを聞き入れたお主の人格の方なのだが、まあ、どちらでもいい」

「……」


 あたしは考える。悪魔を前にして、それこそ悪魔の思考。このままオリジナルの厚木球沙を差し出せば、晴れてこの身体を自由に扱えるようになるのだ。


 でも……。


「さあ、どうする?」



◆次回予告


主人公の師匠であり、もう一人の策士であるラプラス。


彼女が立案する『問題を根本的に解決する方法』とは?


次回、第73話「デーモンコアは恐ろしいのデス」にご期待下さい!


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