第9話「マモンとルシファーは厄介です」


「えー、無理だよぉ」


 志士坂は情けない声を出す。こいつ、本当に昨日までいじめっ子のリーダーをやっていたのか?


 そんな疑問を抱かざるを得ないほど、彼女の反応は情けなく、弱々しかった。一方の俺はポン、と自分の胸を右手で叩くポーズをする。


「おまえのことは守ってやるって」


 格好つけたつもりは毛頭ない。だが志士坂が安心してくれなければ、苦労して考え抜いた策がうまくいかないではないか。


 そもそもラプラスとは方針を話し合っただけで、未来演算はまだ頼んでいない。なぜなら、津田と南の情報を元に策を組み立てなければならないからだ。


 俺は志士坂のことさえ、まだ十分には分かっていない。


 とにかく情報が少なすぎる。策略に諜報活動は必須だ。ラプラスは気まぐれな未来しか教えてくれないので、自力で情報を揃えるしかないのだ。


 未来を変えるのは津田朱里と南陽葵の二人であって、志士坂ではない。ただ、その過程で彼女の協力が必要である。


 今は厚木さん、志士坂、津田と南ペアの複雑な関係を紐解いていかなければ正解にはたどり着けない。


 ラプラスは正解を教えてはくれない。あいつの存在をもどかしい思ったことは、今日だけではなかった。


「え? 土路……くんが?」


 「守ってやる」と言ったことに対して、信じられないと言いたげにほうけた顔をこちらに向ける志士坂。


「そうだよ」


「なんで?」


「なんでもだよ」


 事情を細かに説明できないんだから、どうしても受け答えのボキャブラリーは単純になる。未来予知のことを話せるわけがない。


「まさかと思うけど……」


 志士坂が顔を逸らし、少し頬を染めたような気がした。


 もしかして勘違いされたか――。


 俺は慌てて答えを挟む。


「違うって! おまえに惚れてるなんてことは1ミリもねえよ!」


「……それはそれであたし傷つくんだけど」


「は? あれだけあくどいことして、好かれると思う方がおかしいわ!」


 志士坂に気を遣う必要なんてどこにもない。もともとこいつは、厚木さんに嫌がらせをしていた敵なのだから。その敵の敵が、厚木さんの危機の原因を作り出すから仕方なく、俺は関わろうとしているのだ。それ以上でも、それ以下でもない。


「じゃ、じゃあ、なんで?」


「降り注ぐ火の粉は振り払うってのが俺の主義だから。俺は俺の事情でおまえを守るだけだ」


 その降りかかるのは俺ではなくて、厚木さんなのだが。そうツッコミを浴びせてやりたくなったが面倒な事になるので、ここでは口に出さなかった。


「よくわかんないんだけど……」


「とにかく、津田と南の情報を教えろ。それからおまえ自身のことも」



**



 あれから志士坂に話を聞き、そこから津田や南と同じ中学だった奴らからも間接的に話を聞いたりして、情報のピースを埋めていった。


 地道な諜報活動の結果、津田朱里と南陽葵のことが分かってきた。まず、彼女たちが歪んでいるのは昔からだったようだ。中学の時も基本、3人組で行動していたらしい。


 その時のリーダ格だったのが、両倉愛子というクラスメイト。彼女と一緒に同級生をイジメることもあったという話だ。


 だが、学校でイジメが問題視されたとき、責任をすべて両倉愛子に被せて津田と南の二人は逃げたということだ。今回の件に酷似している。


 二人の言い分はこうだ。自分たちは両倉愛子に脅されて仕方なくイジメを行っていたと。そして、両倉愛子に罪をすべて被せると、今度はイジメられっ子と共闘して両倉愛子を糾弾したという。


 さらに俺は、両倉愛子を小学校時代から知っている人物を見つけ出して彼女の本来の性格を聞いた。


 驚いたことに……いや、予想通り、もともと引っ込み思案な人物で、自分からみんなを引っ張っていくような子じゃなかったらしい。


 これも志士坂凛音と性格が符合ふごうする


 彼女も中学の頃、本当に地味な女の子だったらしい。なるべく目立たないように行動し、どこかのグループにそれとなく溶け込んで日々を過ごし、自分から仲間を引っ張っていくタイプではなかったようだ。


 クラスにイジメられっ子がいたとしても、それを庇うこともできず、ただ震えながら見ていただけと話す。


「あたし……ほんと、昔から勇気とか出せない子だったから」


 今の志士坂を見ていればそれがわかる。少し前までかなり、無理をしていたのだろう。


「二人はあたしのこと『かわいい小悪魔系だから地味なのはもったいない』って」


「ま、たしかに初めて会った時のおまえは、小悪魔系で輝いていたもんな」


「メイクの仕方とかも教えてくれて、二人はあたしのことを立ててくれたの」


「普通は引き立て役としてブスとかを煽てるんだろうけどさ」


 そこが合点がいかなかったポイントでもある。志士坂は客観的に見てもかわいい。俺の好みじゃないけどさ。そんな彼女をなぜ、津田と南の二人は目をつけたのか?


「あたしはずっと勘違いをしていた。おだてられて上に立って、リーダーみたいに振る舞って、それでいい気になってた」


 たしかに彼女の境遇には同情できなくもない。だけど、イジメられた側の人間にとっては、そんな理由など意味がない。


「おまえにイジメられた奴は苦しかっただろうな」


 1年の時、こいつはクラスで孤立していた千種寧々という生徒をイジメていたそうだ。目立たない生徒で本人が学校側に訴えるわけでもなかったので、イジメが行われていたのを知っているのは志士坂たちと一部の者だけだ。


「わかってる……」


 俺は言葉を突き立てる。志士坂を責めるように。


「おまえが反省したところで、たぶんイジメた相手は一生許せないんじゃないのか? おまえが些細なことだと思っても、心の傷はそう簡単には消えはしない」


「些細なこととは思ってなかったよ。ずっと痛かった……」


「バーカ、そんなものは相手に伝わるかよ。相手にとっては『やったか』『助けてくれたか』だ。ま、『やらない』って選択肢でさえ、イジメられっ子はイジメっ子と同等に扱う。自分を助けてくれない人間はすべて敵だからな」


「……」


「そういう意味じゃ、昔、おまえが地味だった頃、イジメを見て見ぬ振りをしたってのも間接的な加害者として相手の心に刻み込まれているよ」


「……うん、そうだね。痛いのは最初だけだったかも、最近はずっと人の痛みなんてわからなかった。わかろうとしなかった……わかるのが怖かったのかもしれない」


 志士坂は根がどうしようもない悪党ではない。しかし、そんな一般的な人間が環境によっては悪に堕ちることもある。


 俺は、そこでひとつの解答を導き出した。


「なぁ、ルシファー効果って知ってるか?」


「なにその『なぁ、粉塵爆発って知ってるか?』的な言い方」


 粉塵爆発という単語を表現に用いるラノベは多い。うまく使えばわずかな労力で絶大な攻撃力となるのだから。それはさておき、俺は続けた。


「俺は悪役じゃねえし、レベル5の超能力もねえよ。じゃなくて、これは真面目な話。おまえがもう少し心が弱ければ、簡単に悪魔になれてたって例えだよ」


「ルシファーって、よくマンガで出てくる堕天使でしょ?」


 堕天使は中二病をくすぐるワードだからなぁ。


「ああ、ルシファーってのは元々天使だったてのは知ってるだろ? それが創造主である神に対して謀反を起こして悪魔となった」


「うん、それは聞いたことがある」


 ここで重要なのは宗教的な悪魔の話ではない。


「ルシファー効果はそれになぞらえたもの。天使とは言わないまでも善人の心を持つものが、集団心理や同調圧力によってねじ曲げられて悪人へと変質することだ」

「あたしもそうだと?」


 志士坂は目を見開いて、驚いた表情を見せる。


「話を聞いている限りはな。ただおまえの場合、環境が少し特殊かもしれない。通常、ルシファー効果ってのは、同調圧力であったり集団心理が主な要因なんだ。一番わかりやすい例はナチスドイツのホロコースト」


「ほろこーすと?」


 志士坂の反応を見て、俺はハッとした。


 歴史に興味のない奴だと、このように基本的な事柄さえ知らないのか――。


 これは説明が面倒くさくなりそうだ。


「ホロコーストは第二次世界大戦時にナチスドイツが行った民族虐殺だよ。主にユダヤ人強制労働させたり、狭い室内に閉じ込めて毒ガスで殺したり、人体実験を行ったり、その行いは悪魔の所業とも言われている」


「うわぁ……」


 俺も初めてこの話を聞いたときは、めちゃくちゃ胸くそ悪かった。こんなこと普通の人間にできるわけがない。そう思い込んでいた。


「けどな、これらに関わった人間全員が極悪人だったわけじゃない。特殊な環境の中で役割に支配され、同調圧力によって『個人としての自分』を見失ってしまった。結果、心優しい人々までもが役割を演じて悪魔のように変貌してしまったわけだな。これがルシファー効果だ」


 近年でもイラク戦争時、アメリカのアブグレイブ刑務所で、似たような問題が起きている。


「同調圧力ってのはわかるよ。中学の時も変な空気があった。間違ってるってわかってても逆らっちゃいけないような雰囲気。クラスの子がイジメられていたんだけど、あたしそれを間違ってるっていえなかった」


「まあ、そういうことだ。場の空気ってのは怖いよ。だがな、志士坂。おまえの場合は、さらに特殊なんだよ」


 津田と南の話を聞いていて思いついたことだ。


「特殊?」


「これはとあるブログで知ったイジメっ子の分類法のひとつなんだが、【配下系寄生型】というのがある。津田と南は見事にこの分類に当て嵌まるんだ」


「朱里と陽葵が? そのハイカケイなんとかってなんなの?」


 志士坂は興味を持ったように食いついてくる。


「誰かの配下のように振る舞うが、実際はリーダーに寄生し、その人物を変質させていく。おまえ、二人からリーダーという役柄を与えられて、まるで強くなったような錯覚を覚えてしまっただろ?」


「う、うん」


「津田と南は人をたらし込んで増長させ、その肥大した感情を弄ぶ。まるで寄生虫のように」


「……」


 志士坂は言葉を失う。


「それこそが津田と南の本性だよ」


 まるで人の心を喰らう悪魔のように。この場合は悪魔とはルシファーではない。


 強欲の権化であるマモンであると。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る