第30話 周佐勝子VS織戸橘姫野(1) 後の先の麗人

「はぁ……勝子君……君は何て馬鹿な事をしてくれたんだ。そんな事をして麗衣君が喜ぶと思っているのかい?」


「ハイ。理由は知りませんが、麗衣ちゃんが暴走族潰しをしたいのだったら、私はそのお願いを叶えてあげたいだけです」


「愚かな事を……僕は麗衣君がそんな事をするのを止めて欲しいから、彼女に喧嘩を売られる度に叩き潰していたのに」


「でも、1回は負けたんですよね? 何でですか?」


 私の問いに姫野先輩は眉を顰めた。


「それは……彼女を止める事は僕には出来ないと思ったからだ。卒業して僕が居なくなったら麗衣君は一人でも暴走族潰しをやろうとする事は目に見えていたからね。だから負けた」


「わざと麗衣ちゃんに負けたって事ですか?」


「その通りだよ。僕にはあれ以上彼女を壊せなかった。ある意味僕が根負けしたとも言えるね。でも、今回、麗衣君は暴走族でもない只の学校の不良達によって滅茶苦茶に叩きのめされた」


 姫野先輩は悲しそうな表情で瞳を伏せた。


「彼女を私刑リンチした連中は断じて許し難いが、それでも彼女の凶行を止めさせるには丁度良い機会だとも思ったんだよ……不謹慎ながらね。でも、麗衣君は君と言う爆弾と力を得てしまえば、再び無謀な行為を繰り返しかねない……僕はそれを看過する訳には行かないんだよ」


 姫野先輩はそう言うと、私に赤いグローブの様なものを渡した。


「これは?」


 聞くまでも無く姫野先輩の意図は既に伝わっていたが、それでも聞かざるを得なかった。


「見ての通り空手の試合で使う拳サポーターだよ。これから僕とタイマンを張り給え」


「嫌だと言ったら如何します?」


「嫌ならば今後麗衣君と関わる事を一切止めると誓い給え。そうすれば見逃してあげよう」


 その選択肢だけは有り得ない。


 目の前に居るのは麗衣ちゃんの信頼する先輩ではなく、今まで潰してきた不良や暴走族と変わらない様に思えた。


 つまり、私は姫野先輩をはっきりと敵とみなした。


「分かりました。後悔しても知らないですよ?」


 私は姫野先輩から受け取った拳サポーターを手に嵌めると、右手の拳サポーターに麗衣ちゃんのシュシュを引っかけた。


「ルールはどちらかが参ったと言うか、失神するまでで良いかい?」


「ええ、私は何でも構いませんよ。何なら妹さんも一緒にお相手しましょうか?」


「ははははっ! 環は恐らく君よりも強い。そして僕よりもね……でも、君の相手は僕一人で充分さ」


 環先輩や姫野先輩がどの程度の物か知らないけれど、ボクシング全日本アンダージュニア優勝の私よりも強いと言い切るなんて笑えない冗談だ。


「口先だけの強がりは良いですよ。私と麗衣ちゃんの行く道を邪魔するのでしたら、誰が相手だろうが叩き潰すまでです」


「言ってくれるね……君こそ後悔しても遅いからね」


 姫野先輩は左手と左足を前にして半身に構え、前後の足幅は自分の肩幅の広さより若干広く開き、左足先はやや内側に向け、後ろ足は右斜め45度に開き、右手を水月に構え、同一線上の高さに左手を構えた。


 両手指先は相手の顔面部に向け手首を起し、手の甲側が横に向け、私の水月に一直線状に重なる様に構えた。


 これは日本拳法の基本的な中段構えだ。


 総合格闘技である日本拳法の使い手に下手に蹴りで攻めるのは危険である。


 特に足を掴んでから相手の股間を蹴る「返し蹴り」は日本拳法の必殺技と言っていい。


 足を掴まれればその時点で私の敗北はほぼ決定してしまうだろう。


 だから私は極力蹴りを使わず、ボクシングで対抗する事にした。


 麗衣ちゃんを圧倒したという姫野先輩の実力は相当なものだろうけれど、あのガードが低い構えならパンチを顔面に当てるのはボクサーにとって容易い事だ。


「成程……ガードががら空きの顔面を狙うつもりかね? 宜しい。やってみ給え?」


 こちらの意図を読んでいたのか? 姫野先輩は挑発してきた。


 誘っているのかも知れないが、少しあからさますぎじゃない?


 ここはフェイントを挟むべきだろうか……いや、幾ら強いと言っても所詮は姫野先輩も女子の範疇に過ぎない。


 既に両手の指では足りない程男子の不良や暴走族達を叩きのめし、プロボクサーである嶋津さんまでKOした事がある私に姫野先輩如きが敵うはずがない。


 良いですよ。安っぽい挑発に乗ってあげますから!


「舐めるな!」


 私が距離を詰めて左ストレートをその済ました顔に当てようとすると、姫野先輩はスッと左斜めにバックステップして華麗に躱した瞬間だった。


「えっ?」


 気が付くと私は地面に尻餅を着いていた。

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