第20話 織戸橘姫野

「止めろ! 勝子! そこまでだ!」


 凛とした声で背後から私を止めたのは麗衣ちゃんだった。

 私はその声に逆らう事は出来ず、あと1センチで八束の頬に当たるという位置で振り下ろした拳を止めた。


「麗衣ちゃん? どうして止めるの……あっ!」


 麗衣ちゃんは後ろから柔らかな体で私を抱き止めると、力無く膝が落ち、私の腰に体重がかかってきた。


「ワリィな……出来れば、今のあたしの姿を……特に顔は見ないで欲しい……」


 後ろを振り向いた私に対して麗衣ちゃんが弱弱しく呟いた。


「あ……うん。分かった。すぐに保険の先生に言って、病院に行こうよ」


 こうなると八束の事なんか如何でも良くなった。

 早く麗衣ちゃんを病院に連れて行かなければ。

 そう思い、屋上の出入り口に向かおうと思ったら麗衣ちゃんが私の制服の裾を引っ張りながら言った。


「あたしよりか急いで病院に連れて行かないと駄目な連中が居るだろ?」


「で……でも! コイツ等は自業自得で……それに麗衣ちゃんを暴行していたし……」


「そんなつまんねー事で夢を捨てるのか? 人殺しになりたいか?」


「つ……つまらなくなんかない! 私は麗衣ちゃんの事を……」


 愛しているから


 と言う勇気もなく、言葉を詰まらせると麗衣ちゃんは私に回した腕の力を少し強めながら言った。


「つまんねー事だよ。勝子はあたしみたいな雑魚やコイツ等みたいなクズじゃないんだ……お願いだ……これ以上は止めてくれ……」


 私を抱く腕の力が不意に抜けた。


「麗衣ちゃん……麗衣ちゃん!」


 この後の事はうろ覚えだ。

 麗衣ちゃんを背負い、保健室へ走った後、喧嘩の事を知られてしまい、教員達はパニック状態に陥った。

 その後、けたたましいサイレンと共に何台もの救急車がやってきて、学校中火のついた様な騒ぎになっていた。



              ◇



 ―出席停止処分一ヶ月―


 それが私に下された処分だった。

 本来なら少年院に送られても仕方が無いし、私も覚悟を決めていたが、先輩たちがスタンガンやナイフを所持していた事から正当防衛と認められたのだ。


 義務教育では停学処分と言った懲罰的な処分が無いが、近年は自治体により、苛めの当事者を出席停止処分にするなどの動きがあるらしい。

 まぁ私の場合、苛めの被害者の方ではあったが、過剰防衛であると言われれば反論が出来ない。


 あんな先輩クズ達にも親が居る訳で、ボクシングと空手をやっている私による暴行は許されないと憤慨し、私を訴えると言った者も居るらしいが、麗衣ちゃんへのリンチや強姦未遂。私へも暴行を行おうとしていた事は監視カメラで撮影されており、それらの動画を観た親達は自分達の方が不利であると悟ると私を訴えるのは止めたらしい。


 だが、当然無罪放免という訳には行かず、一ヶ月の出席停止処分の他に、首謀者である阿蘇部長と私がボクシング部である事からボクシング部の無期限の活動停止処分が決定した。


 私はこれ以上ボクシングを続ける訳には行かなくなり、事実上オリンピックへの夢は断たれてしまったのである。



              ◇



 出席停止処分を受けた私は翌日、麗衣ちゃんが入院している立国川病院へ足を運んだ。

 受付で3階にあるという麗衣ちゃんの病室を聞き出すと、早く麗衣ちゃんに逢いたかったから足早に病室へ向かった。


 エレベーターに乗り、3階の個室である303号室……私は扉を軽くノックした。


「麗衣ちゃん。私です……勝子です。入って良いですか?」


 返事が無い。

 聞こえていないのか、居ないのか、それとも寝てしまっているのか?


「麗衣ちゃん……居ますか?」


 もう一度ノックするがやはり返事が無い。


「麗衣ちゃん入りますね……失礼します」


 私は扉を開けて病室に入ると。


 ふわっと、柔らかい風が吹き込み、私の頬を撫でた。

 うちなびく白いカーテンの近くに、黒いセミロングの髪形の男性の様に凛々しく、綺麗な顔立ちをした女性が麗衣ちゃんの手を取りながら、包帯で巻かれ、瞳を閉じている麗衣ちゃんの顔に今から唇を重ね合わせんばかりに自分の整った顔を寄せ、まるで恋人を憂いるかのような表情で見つめていた。


 その神秘的なまでの光景があまりにも美しく、息を呑み少しの間声が出なかったけれど、女性がこちらに気付くと、柔らかい笑みを浮かべて私に声を掛けた。


「ああ。御免。もしかしてノックをしていたのかい? 気が付かなかったよ。君は麗衣君の友達かい?」


 その美少年の様にも見える微笑みに少しどぎまぎしながら、私は何とか言葉を発した。


「えっと……ハイ。そうです。麗衣ちゃんのお見舞いに来ました」


「そうかい。麗衣君にも友達が居たのか。僕が卒業してから少し心配だったのだけれどねぇ……君みたいな可愛い子の友達が居て良かったよ」


「え? 麗衣ちゃんの……私達の先輩ですか?」


 そう言えば去年学校で見た事がある様な気がしないでもないけれど、少なくても面識は無かった。


「一応僕も中学の時はそこそこ有名人だったんだけどねぇ……君程凄い実績は無いから関心は持たれなかったかな? 周佐勝子君?」


 今日始めて話をする先輩が私の名前を知っていたので驚いた。


「え? 私の事をご存じでしたか?」


「ご存じも何も、全日本アンダージュニア優勝の君を知らない生徒なんてあの学校に居ないだろう?」


 あ。そう言う事か。


「失礼ですけれど、先輩のお名前を聞いてよろしいですか?」


 まるで麗衣ちゃんの恋人の様にも見えた、この格好が良い先輩は何者なのか?


「僕は織戸橘姫野。君達の二年年上で今は高校に通っている。宜しくね。勝子君」


 これが私の盟友であり尊敬する先輩でもあり、多分ライバルでもある姫野先輩との初めての出会いだった。

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