第5話 美夜受麗衣

 あの後、私はトイレから美夜受さんに連れ出され、校舎の外の水飲み場に連れていかれた。


「話したい事があるんだけれど、まず顔と頭洗いなよ。口をゆすいで、うがいもしっかりしてな。あたしは取りに行くものがあるから、ちょっと待っていな」


 美夜受さんはそう言って、何処かへ行ってしまった。

 よく分からない人だけれど、とにかく私の事を助けてくれたのかな?

 少しボーイッシュな感じでショートカットの金髪。

 健康的な褐色の肌で気が強そうな瞳。

 短めのスカートから覗く艶めかしくも引き締まった長い脚。

 ちょっとカッコイイかも……。

 私は頭から水をかけて洗いながらそんな事を考えていた。


 口を濯ぎ、うがいも終え、滴る髪の水を切っていると、ふわりと頭の上から何かを被せられた。


「これは……」


「風邪引くだろ? 使えよ」


 美夜受さんが私に被せたのは青い色をしたタオルだった。


「でも……私汚いよ?」


「頭洗ったからそうでもねーだろ? それに、どうせあたしが使っても汚れるんだ。別に構わねーけど」


「そんなの悪いよ!」


「どうしても、このまま返すのが気になるって言うのなら今度洗って返してくれれば良いぜ」


「あ……ありがとう。絶対に洗って返すから」


 人に親切にされるのは久しぶりの事で、ちょっと目頭が熱くなった。


「と……ところで拳大丈夫かな?」


 さっき正拳突きでトイレのドアに穴を開けていた美夜受さんの拳が心配だった。


「流石だね。アンタは穴見てもあんまり驚いてなかったけど、そっちはやっぱり気付くか」


 ドアや机が木製の板であれば、実は素人でも全力で躊躇なくパンチを打てれば穴をあける事が可能らしい。

 大抵無意識にブレーキがかかるのでそこまで出来ないのだが、怒りで我を忘れ、ブレーキが外れ、アドレナリンが出ている状態ならば案外穴をあけられたりするみたいだ。

 只、穴をあけた後、大抵の場合拳は負傷し、下手をすると拳が骨折する恐れがあり、後悔する場合が多いと聞いた事がある。


 美夜受さんは拳に巻いていたシュシュを外すと、中指の根本部の関節の拳頭の皮がベロりと向け、血で赤く染まっていた。


「大丈夫……じゃないよね?」


「骨折はしてなさそうだし絆創膏でも貼っておけば平気だろ? 後で保健室に行くよ」


「あんな無茶しなくて良いのに……」


「それともアイツ等の面にぶち込んだ方が良かったかな?」


 美夜受さんがそんな事を言い出したので、私は眉をひそめた。

 そして、私は美夜受さんの名前を何かで聞いた事があるのを思い出した。


「そんな事よしなよ……美夜受さん、確かフルコンタクト空手で優勝した事あるんでしょ?」


 美夜受さんは驚いたように私を見て言った。


「もしかして、あたしの事知っているのか?」


「だって、私も空手やっているから。小学の時、美夜受さんの名前は空手をやっている人の間では超有名人だったよ。顔は知らなかったけれどね」


 美夜受さんは私の話を聞いて何処か寂しげに呟いた。


「中坊になったらすぐ辞めちまったからな……過去の話だよ」


「でも、武道をやっていた人が無暗に暴力を振るっちゃダメだよ? 道場でもそう教わらなかった?」


 私の意見を聞いて、美夜受さんは鼻で笑った。


「ハッ! そんなの建前に決まっているだろ? それどころか、あたしが通っていた道場のホームページじゃうたい文句で喧嘩が強くなるとか書いていた位だぜ?」


 確かに武道的な道徳だとか礼儀だとか建前にしながら、喧嘩に強くなるという事を謳い文句に使う嘆かわしい道場やボクシングジムがあるのは否定しがたい事実だ。


「それにアンタだってあれだけ苛めを受けていたのに、格闘技やっているからって、やり返せない何ておかしいだろ?」


「そ……それはそうだけど……」


 私が返答に窮すると、それ以上の追求は良くないと判断したのだろうか?

 美夜受さんは話を変えた。


「まぁ良いや。あたしがアンタと話したいのはそんな事じゃないんだ。お願いがあるんだけれど聞いてくれないか?」


 今日初めて話す子から、いきなりお願いされる事に不安はあるけれど、助けてもらった恩がある。


「何かな? 私に出来る事なら聞くけれど?」


「あたしとガチでタイマン勝負してくれねーか? で、もしあたしが勝ったらやって欲しい事があるんだ」


 私は聞き慣れぬ言葉に首をかしげた。


「えっと……ガチでタイマンって何?」


一般人パンピーの女子じゃ知らなくて当然か。要するに一対一で本気で殴り合いの喧嘩するって事」


 まさか女の子から喧嘩してくれなんてお願いをされるとは思わなかった。

 幾ら私を助けてくれたからって、こんな事を聞くわけにはいかない。


「嫌だよ! 何で私がそんな事しなきゃいけないの?」


「アンタが本気でオリンピック目指していて、苛められてもやり返せない事は想像が付くんだけどさ、このままじゃそれどころじゃないだろ? だから、アンタがあたしに勝ったらボディーガードしてやるよ。アイツ等全員ぶちのめして黙らせてやってもいい」


 私自身の事だけを考えれば悪い話ではない。

 でも、これは私の代わりに彼女の両拳を血に染めるというだけの話だ。

 それが本当に良い事なのだろうか?

 それに、この子を制圧するためにどの道暴力を振るわなければいけなくなる。

 それだけは絶対に嫌だった。


「そこまで考えてくれてありがとう……でも、武道経験者の貴女にそんな事はさせたくないよ」


 私は美夜受さんに背を向けて言った。


「今日の事はありがとう。感謝はしているし、タオルも必ず洗って返すから。でも、貴女の考えには賛同できないし、貴女と喧嘩もしたくない。だからさようなら……」


 私がそう言って、去ろうとすると―


「待てよ! 周佐!」


 私が振り向くと、短いスカートの中から白い下着を覗かせるのも構わず、上段回し蹴りが私にめがけて放たれた。

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