sampling
一颯
嫌い
嫌い
体感的に感じるメッセージなんてクソ喰らえ
私は上官が嫌いだ。
鬼のようなトレーニングでシバかれるのも、
私が処理が苦手なのを知ってるくせに山積みの書類を手伝わされるのも、
料理が下手なところも、
自分の腕が動きづらそうなのに気づかない振りをしているところも、
最期に私なんかを庇って死んだところも、
嫌い。
大嫌いだ。
"Not you but I have died."
*
私の地域の紛争地帯では圧倒的に人手が足らず、一定の年齢を越えた子供達は男女問わず軍の訓練を受けさせられる。私もその年齢を越えてしまったので召集がかかった。
訓練初日、周りには興味深そうにしている子、やる気に満ち溢れている子、不安そうな子、泣きそうな子、様々だった。
「訓練指揮を担当する。ニコラス・グラスマンだ。」
そう言った男はまず、私達1人ずつに名前と出身地を言わせた。
「エタ・シュトリツェル。スェリ村出身です。」
私の前に立った男は私をみて不思議そうにした。
「スェリ村といえば…ここからだいぶ遠いな。志願か?」
「いえ、召集です。」
今から考えれば、紛争の影響により家計に苦しんだ母が“召集”と偽って私を追い出したに違いなかった。何も知らずにその言葉を信用していた私には知る由もない。男は「そうか。」とだけ呟いて隣へ移動した。
同情なら最後まですればいい。半端なのはその身を滅ぼすだけだ。だから、彼は死んだのだから。
全員から名前と出身地を聞いた男は皆に向かってこう言った。
「君達のような少年少女を戦に巻き込んでしまって本当に済まないと思っている。けれど、例え君達の訓練中にこの戦いが終わったとしても、ここで学んだことは今後に役立つだろう。なので君達には『死ぬための訓練』ではなく『生き残るための訓練』をしていってほしい。決して無駄な時間だったとは言わせないと約束しよう。君達の訓練中にこの紛争が終わることを願う。以上だ。早速だがグループを分ける。まず…」
私にとって、戦争なんてどうでも良かったし、「生きるための訓練」なんてもっとどうでも良かった。生きることに執着してはいけない。そう思っていた。
*
「37!ほらそこ!随分余裕そうだな!もう10セットするか!エタ!休むな!」
昔から家に篭りがちだった私にとってこの筋トレの時間は地獄だった。筋肉なんてろくすっぽなかったし、そもそも運動する行為が嫌いだ。
「自分一人も支えられない腕力で何が出来る!戦場では弱いものから死んでいくぞ!」
私達は所詮数多くある駒だ。死んでいったところでお偉い人たちは痛くも痒くもないだろうに。
「ぐっ…」
あと何回、あと何回、脳内で反芻して気を紛らわす。
陽射しが強い。その上長袖の軍服は暑い。額から滴り落ちた汗が土の上に点々としている。砂埃が舞って視界が霞んだ。
「終わり!30秒後次に行くぞ!」
崩れ落ちると浅い呼吸を繰り返して酸素を取り込むが一向に落ち着かない。
「エタ、大丈夫か。」
顔を上げると上官が私の方を覗き込んでいた。
「だ、大丈夫ですっ、」
立ち上がろうとするが目眩がしてきた。
「急がなくていい。まだもう少し時間がある。」
「は、はい、」
何とか時間内に呼吸を整えて袖で汗を拭う。少しだけ風が吹いたような気がした。
「次行くぞ!準備しろ!」
私も周りに倣って態勢を変える。
「始め!1!」
「1!」
「声が小さい!2!」
「2!」
太陽が照りつける中で死にものぐるいでのトレーニングは効率的にも嫌いだ。ただ、何も考えずに同じことを繰り返せばいいだけの時間も悪くはなかった。
*
「エタ、丁度いい所に。これ手伝ってくれるか。」
暑い地獄の訓練兵時代も懐かしく、私はいつの間にか軍の本部の、しかもかつての上官の元についていた。これもまた、上官が私を自分の隊に引き抜いたからだった。
筋トレは嫌いだったが、戦争においての基本、特に銃の扱いにおいて、私はめざましい才能を発揮させた。また、あまりにも扱いに慣れていた為、模擬試験において試験監督の幹部達が苦笑いをしているのも見えた。
自覚はある。私は軍に向いていた。これは転職かもしれない。
「はぁ…構いませんが。」
「サンキュ。助かる。」
上官は私の両腕に山積みの書類を乗せた。
「こんなにっ…!」
「頼むよ、エタ。」
「…嫌と言ってもこのまま去るのでしょう。」
「よろしく。」
「っ…はい。」
私は書類処理は遅い。タイプライターの扱いに一向に慣れない。仕方がない、今まで文字なんて書いてこなかったし、それにあの配列を覚えられない。そのため卒業試験の際にも書類処理だけ点数はギリギリだった。
「苦手だってわかってんでしょうに。」
私の持論は『二兎追うものは一兎も得ず』。戦闘も参謀も出来るに越したことはないけれど、どっちにも特化している人間なんて化物だ。
それこそ、上官と仲のいいあの人みたいなことを言う。
*
ニコラス・グラスマンには、幹部クラスの友人がいる。何故その2人が仲が良いのか、私には知り得ないが、噂では2人は同郷らしい。
しかし、私はどうにも、その幹部殿の名前と顔を思い出す事が出来ない。また、同僚に聞いても皆口を揃えて知らないと言う。
こうなると彼は私の幻覚、はたまた想像の産物だったのかもしれない。けれど、確かにいたはずだった。証拠に─────…
いや、何を言おうとしたのだろうか。証拠はない。なかった。あの幹部殿は何も残さなかった。
…ひとつ言うのならば、上官の右腕が義手だと教えてくれたのが彼だった。
訓練兵時代、偶然居合わせた幹部殿はなんの脈絡もなく私に話しかけた。彼は私の背後に立ち、上官の方を指して言った。
「彼、ニコラス・グラスマンの右腕はね、義手なんだよ。右腕の全て。知っていたかい、エタ・シュトリツェル。3年前の紛争の時に吹き飛ばされたんだ。しかし、今の技術は素晴らしいね。本物同然に動かすことが出来るなんて。」
私がその姿を確認しようと振り返った時には影もなかった。視線を戻してよく見てみると、確かにややぎこちないようだ。普段から手袋をしていたし、年中軍服を着ているため、今まで知らなかったし、言われるまで気づかなかった程に違和感のない動きをしている。
それから数日経ったある日、たまたま上官と組手をする機会があった時に実感したくらいだ。彼は、「そういえば言ってなかったな。」と手袋を外した。
「昔、戦場で吹き飛ばされたんだ。」
と、あの幹部殿から言われたことと同じことを言った。私が、「幹部殿からお聞きしました。」と言うと彼は一瞬不思議そうにして「そうか。」と呟いただけだった。
*
「エタ、お前、料理得意か?」
「え?いや、特に上手いわけではありませんが、それなりには。」
「そうか。」
「?」
備品の掃除中のことだ。彼の話題は突然になんの脈絡もなくやってくる。
「実はこの間、友人からアップルパイが食べたいから作ってくれないか、と言われたんだが、生憎料理は苦手でな。」
「へぇ、あんなにナイフでバサバサと捌いておきながら?」
「食べ物は動かないからな。」
「普通、動かないものの方が切りやすいんですよ。」
「そうか?」
「そうです。」
「まぁ、とにかく、手伝ってほしいんだ。」
「…いいですよ。戦況も落ち着いて来てるので多少余裕もありますしね。」
「助かる。」
「それに、」
「?」
「…いや、上官にも出来ないことがあるんだなーと思うと少し面白くて。」
「失礼だな。お前が書類整理が苦手なのと一緒だ。誰でも出来ないことくらいあるだろ。」
「やっぱり解ってて押し付けてたんですね。」
「何事にもなれることが必要だからな。特にお前はこれから。」
「…それ、面倒だからとかじゃないんですか?」
「こう見えても俺は忙しいからな。」
「言い訳が聞き苦しいですよ。もっとマシなのを見つけてください。上官のそういうところは嫌いです。」
「む、言い訳のつもりではないが嫌われるのは悲しいな。」
そういうところ。上官には理解出来ないと思います、と小さく呟いた。
*
雨の日には義手の調子が悪くなるのだろう。しきりに右手首の辺りを触っている。
「上官、大丈夫ですか。」
「あぁ、問題ない。」
全く、どうして雨の日に限って出陣なのか。敵国には天気予報の技術がないのか?
「なんだ、不安か?」
「……雨は嫌いです。視界も足場も悪い。それに音も聞えづらくなりますし。
それに、雨の日は上官の動きも鈍い。
「そうか。…確かに、俺も好きではないな。腕は動きづらくなるし、頭痛はするし、泥ははねるし汚れるし。
「…早く止むといいですね。」
「それよりも先に闘いが始まってしまうだろう。」
ほら、と耳をすませば、そうこうしている内に遠くから銃声が聞こえた。
「残念だ。向こうは短気なのかもしれんな。それか大雨が好きか。」
総員戦闘準備!こちらも各配置につけ!と隊長の声が飛ぶ。
「さて、行くか」
私達は別れて強くなる一方の雨の中、自分の持ち場へと走った。
あれからどれだけの時間が経っただろうか。前線部隊が壊滅したという連絡を聴いて、後方支援も体制を整える前に襲撃を受けてしまった。
圧倒的兵力の差だ。人数も、武力も、戦闘力も、全てが桁違いだった。いつだかに敵軍は新しい兵器の開発が完成したという噂が流た。ということは、きっと本部は最初から負ける戦いだとわかった上でこの戦いを呑んだんだろう。相手の戦力をできるだけ知り、尚且つ削ぎ落とすことが出来れば、と思っていたはずだ。だから精鋭も古株も狩り出されていた。つくづくバカな本部だ。呆れる。このままではこの戦いは大敗、今後も状況によっては負け続けるだろう。
私は目を開けて上体を起こそうとした。脇腹に銃弾を掠ったらしい。それだけじゃなく、出血傷もいくつかあるみたいだ。
「…って…。」
辺りを見るとそこには何も無かった。何も…いや、動かなくなった同胞達と敵軍が見るも無惨に散らばっていた。
「…ここも突破されたか。これは完全に負けだな。」
大きく息を吸うと血液が流れ出すのがわかった。
「…生きているのは…私だけ、?」
まさか。この中の数人はまだ息があるはずだ。立ち上がって移動しようとするが足に力が入らない。
「ぐっ…、」
何とか這いずって移動を試みる。少し時間が経つと若干ではあるが歩けるようになった。とにかくここには居たくなかった。早く戻らないと、何故かわからないがそう直感していた。
右を見ても死体、左を見ても死体、一体何人が死んだんだろうか。瓦礫、死体、武器に躓き、血溜まり、水溜まりに滑りながらテントの方へ進む。
ふと足のホルダーを触ると一つだけナイフがあった。何かあればこれで凌ぐしかない。
「はっ…私はそうまでして生きたいのかよ。」
足の痛みに耐えきれず膝をつく。下を向くと血が地面に滴り落ちた。知らない内に頭を打ってたのかもしれない。けれどその光景にいつかの訓練の日を思い出す。決して暑くはないしこれはトレーニングでもない。なのにどうしてか不思議だった。
段々と息が浅くなってくる。目の前もぼやけて見える。
「…!…エタ!」
遠くから聞き慣れた声がする。顔をあげると朧気に人の姿が見えた。
「……上官…?」
…いや、違う。うちの軍服じゃない。人影は私に向かって腕を振り上げた。
「…死ね」
まずい、このままでは確実にトドメを刺される。けれど私自身にそのナイフが刺さるタイミングすらもわからない。もうだめか、そう思った。
「エタ!」
上官、すみません、私はここまでです。私の事なんかどうでもいい、早急に立て直しの指示を────────
鼻歌が聞こえる。
「…上官、その歌、何なんですか。」
「んー、故郷の歌。勝利を祈る時に唄う歌、だな。」
「そうなんですね。」
「聞いておいて随分な反応だな。」
上官の鼻歌を聞くのは嫌いだ。かつての私の母も、そうやって鼻歌を唄いながら家事をしていた。そんな姿をどうしても思い出してしまう。
「私は上官の鼻歌、嫌いです。」
「酷いな。いくら俺が音痴だからって。」
「音痴の自覚はあるんですか。」
けれど耳に残って離れない。私が最後に聞ける音がこれか。
「…っ、……ん、」
「エタ、お前はよくやってくれた。だからこれからも期待している。そのために「生きるための術」を教えたんだからな。あ、あと、“彼”のことも頼むよ。」
「…上官?」
待って、行かないで、遠ざからないで、ここに留まって、まだ私のところにいて、なんで─────
「×××」
はっ、と急激に意識が戻る。呼吸をする。視界に光が入る。雨はいつの間にか止んでいた。
私は誰かを抱き抱えてるみたいだ。…いや、逆か。誰かに覆いかぶさられていた。腕に力を込めるとそれはずる、と滑り落ちた。
「…上官?」
見慣れた顔の、見慣れない表情。
「っ、ぁ…あ、エタ…」
「上官っ…!」
ス、と自分から体温がなくなるのを感じた。上官の背中は赤々と染まっていて、左手では私が右手に握っているナイフを掴んでいる。
その姿を見て思い出した。
私は殺される前、確かに諦めた。けれどそれでもどこかで反射的に防ごうとして唯一残っていたナイフを手に取っていた。
「な…なん…で、」
「っ…とおく…から、み、てればっ、あんなので……っ、ふせげる、わけ…ないだろ……」
「だ、だからって、」
「っ、……」
「上官っ!」
嫌だ、嫌だ、ナイフなんか離して、早く血を止めて、誰か、救護を呼ばないと、
「エ…タ、」
私の名を呼んだ彼は困ったような笑顔をしてみせて、右手を私の頬にあてた。右手はとても冷たかった。
「上官っ、嫌です、なんでっ、」
ごめんなさい、ごめんなさい、そんな顔みせないで、あなたはいつも…、
だから、どうか、
「エタ、泣くな。」
頬に触れた彼の義手は私の涙をかすめてからするり、と滑り落ちた。
*
嫌い。
私は上官が嫌いだ。
その死に方も、
得体の知れない幹部殿が友人だったことも、
私が死のうとする度に「俺はお前に死ぬためにそれの使い方を教えた訳じゃない」と聞こえるのも、
何時までも染み付いて消えない私の名前を呼ぶ声も、
私を庇って死んだんだもん、
そんなあなた本当に
嫌い。
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