ゾンビになった少女

ゾンビになった少女

 まず目に入ったのは肉塊だった。

 次に、広がった内臓と血溜まりが視界に入った。


 それらはほとんど限界をとどめていなかった。だが、見覚えのある色の頭髪と、丸い眼鏡を見て、私はそれがパパとママの物だと気づいた。

 私は空虚な感覚で、目の前の光景を見ていた。どちらのものか分からない目玉と、ちぎれた内蔵。二つの肉塊はどちらがどちらの物とも区別がつかないほどにバラバラだった。

 そっと口元に手を当てると、私の口元にも血がついていることに気がついた。触れた手は青白く、その中に肉が腐ったような緑色の色彩が混ざり込んでいた。ふと近くにあった姿見を見ると、頭髪が半分ほど抜け落ちた片目の少女がそこに映り込んでいた。


 そこで、私は自分がゾンビになったのだと知った。

 パパとママは、どうやら私が食べたらしい。


 鼻が潰れていて、匂いを感知することは出来なかった。特に感傷はなく、何となく歩きたくなった私はその場を後にした。

 肉が腐っているためか、筋肉が弱っているのかは分からない。踏み出した足取りはどこか重く、体がふらついた。声が出るかと思ったがヒューヒューとかすれた息が漏れるだけで、特に意味のある音を発することは出来なかった。

 玄関のドアを開けようと格闘すること数分、私はようやく外に出ることが出来た。見上げた空は真っ赤で、まるで血に染まっているようだった。

 ガラガラと、どこからか何かが崩れるような音がして、それは私に終幕を想起させた。


 ボタンをしてもエレベーターは来なかった。


 街に音はなく、奇妙な程に静かだった。人の姿もなく、あるとしても時折道の端で私と同じ様なゾンビが首を失って倒れている程度だ。

 頭部を失えば、私も死ぬのだろうか。

 そもそも、今の私は生きているのだろうか。

 それはよく分からなかった。


 私の最後の記憶は、ありきたりなつまらないものだった。いつものように高校が終わり、友達のケイコとスタバで二時間ほど話して、暗くなってきた辺りで家に帰った。宿題をしているとママがご飯だと言うのでご飯を食べた。ご飯と味噌汁とぶりの照焼で、それなりに美味しかった。食後はリビングのソファに座ってママとお気に入りのドラマを見ていた。良いところでパパが帰ってきたのでママがぶつくさ言ってパパを出迎えていた。そこで、変な臭いがするなと思ったのが、最後。

 当たり前のように当たり前の日々を過ごしていた私は多分恵まれていて、それなりに幸せであることも自覚していた。目指す目標とか夢中になってる部活とかも無かったけれど、夜寝る時は何となく明日が楽しみだったし、朝起きた時は学校に行く事が当たり前だと思っていて、特に抵抗感は無かった。成績は学校でも上位の方だったし、多分そのまま行けばそれなりの大学に推薦で入って、それなりにサークル活動を楽しんで、それなりに友達を作って、それなりの彼氏が出来ていたはずだ。多分。

 私は、そうしたそれなりのいつもの人生をなくしたのだろうか。

 ゾンビになった頭で、ぼんやりと考えた。


 自分が今どこにいるのかもわからない。

 ただ、滔々と泉が湧き出るように、私も淡々と歩き続けた。


 ガラガラと何かが崩れる音がする。

 それは私に、終幕を想起させる。


 ゾンビなので難しいことを考えられないのかと思ったけれど、そうではなかった。ただ、恐ろしいほどに面倒くさかった。体全身を満たす倦怠感がすごく、また私の中にはとても強い喪失感が湧き出ていた。

 それが悲しみや喜びという感情を伴っているものなのかは分からない。

 私は当たり前の日々を失ったから喪失感を持っているのか。

 それともただお腹が減っているだけなのか。

 そうした感情もなんだかクリアではなく、砂漠に浮かぶ蜃気楼のように茫漠としていた。


 歩いているとやがて駅へとたどり着いた。駅前には大きなショッピングモールがあり、いつも大量の人で賑わっていた。今は入り口に大きなバリケードの様な物が置かれており、閉められたシャッターは何かに押し破られたかのようにひしゃげていた。

 私は何となく、その中に足を踏み入れる。


 真っ暗な店内には大量の死体が転がっており、湧いたであろうハエや蛆虫達はすっかり干からびていた。床に広がった血は既に乾ききっており、私のようなゾンビに食い散らかされたであろう死体達はすっかりと乾燥しきって固くなっていた。

 恐らくこの死体の中にはゾンビだったものもたくさんあるのだろう。ここでは激しい攻防線が繰り広げられたのかもしれないし、一方的な殺戮が行われていたのかもしれない。何人かは逃げ出せたのかもしれないし、もしかしたら誰も助からなかったのかもしれない。


 生きている人やゾンビは居るのだろうかと、ゆっくりと店内を巡った。

 途中で何度かころんだけれど、幸いなことに足を折ることはなかった。


 三階まで行くと、まだ破られていないバリケードがあった。バリケードの前には、大量のゾンビらしき死体があり、私はこの中にいる人達がゾンビとの争いに勝利したことを悟った。どうにかしてバリケードの向こう側に行こうとすると、端の方に微妙に入れそうな隙間があり、そこにゾンビが半分ほど体を突っ込んだまま息絶えていた。抜けようとして途中で引っかかったまま餓死したのかもしれないと考えた。


 死体をどかすと丁度通れそうな隙間だったため。私は床を這いずるようにしてバリケードを抜けることが出来た。

 フラフラと歩いて人の姿を探すと、そこにも人の死体があった。男の人が二人倒れている。でもそれまでと様子が違うのは、その死体の頭部がなんかで叩き潰されたかのように損壊していることだった。

 更に奥へと進むと、寝具コーナーで抱き合うようにして眠る二人の人を見つけた。片方は子供で、片方は母親だろう。でもどちらもミイラみたいに干からびていた。


 この世界には何かが起こった。そして沢山の人がゾンビになり、沢山の人と争ったのだ。脱走劇も、ホラー映画みたいなアクションもあっただろう。色んなドラマが繰り広げられたはずだ。そして何もかもが終わりを迎え、世界は沈黙に閉ざされた。そんな中を私は歩いているのかもしれない。


 パパとママの事を考えた。どうして二人の肉は乾燥していなかったんだろう。もしかしたら私は幽閉されていて、二人はずっと生き続けていたんじゃないだろうか。でももう助かる見込みがないから、私に体を食わせたのかもしれない。二人ならそう言うことをしてもおかしくない気がした。だって子煩悩だから。私はそれなりに良い子だったし、それなりに愛情を注がれていたはずだ。


 外を出るとすっかり空は暗くなっていた。

 この体で歩くと大した距離じゃなくても数時間は掛かるみたいだった。でももう時間の感覚もよくわからなくなっていた。


 光源が一切ない為か、空には見たこともないほど満天の星が浮かんでいた。それは宇宙が透き通っているかのようで、世界の果てのそのまた先まで見えるような気がした。暗闇をびっちりと埋め尽くすように星の瞬きが溢れ、夜空は宇宙のガスで見たこともない色彩を解き放つ。


 誰にも言っていなかったが、私には好きな人が居た。同じクラスの青木くんだ。サッカー部で、顔は結構イケメンだった。気さくに人と話せる人で、重いものとか持ってる人を気軽に助けてしまえる人だった。

 ある日の放課後、私が忘れ物を取りに帰ると青木くんが教室にいた。彼は何故だかわからないけれどひどく落ち込んでいるようだった。私が大丈夫かと声を掛けると、青木くんは無理やりいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 あの時の彼は、泣いていたように思う。


 ガラガラと何かが崩れるような音。

 終幕が近づいている。


 私は何となく、空に向かって手を伸ばした。

 頑張れば星に手が届きそうな気がした。

 でも、私がつかもうとしたのは星なんかじゃなくて、何かもっとずっと、大切な物のような気がした。


 去りきった日常なのか。

 叶うことのない恋心なのか。

 きっと、何か大切なもの。


 でもそれが何なのかわからない程度に、私はもう思考を放棄していた。

 ただ、赤ん坊が目の前のおもちゃを取ろうとするように、静かに手を伸ばしていた。

 そうすれば、何だか届くような気がしたから。


 終幕は、すぐそこだった。

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ゾンビになった少女 @koma-saka

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