第7話 異界の食事


 「ナルタキ殿、食事を先に済ませますか?」

 「その場合、ルーのお父上の分はどうするの?」

 「持ち帰りにしてもらいます。父も、好物であれば、少しは喉を通るでしょう」

 「俺、支払いに使える金を持っていないけど……」

 「ご安心を」

 作業服のポケットから見せられた革の袋には、銀貨がみっしりと入っていた。


 「すげーな。

 ルーは、お金持ちなんだね」

 「王から渡されています。『始元の大魔導師』の召喚は、王の勅命なのです」

 「あ、そうなんだ……」

 なんか反応に困って、俺、いかにもコミュ障らしい返事をする。


 「お食事は、なにかお好みはありますか?」

 そう言われても……。

 そもそもだけど、ルーは人類に見えているだけの、別種の生き物の可能性だってあるんだ。その姿は可愛いけど、その実、俺を捕食する生物ってことを否定できる材料は、ぶっちゃけ、何一つない。

 で、ルーが別種の生き物であれば、俺、同じものが食えないかも。

 ルーには無害でも、俺には猛毒だったりするかもしれない。

 で、そうでないとしても、食材自体が俺の世界とは大きく違うだろうな。未知の食べ物ばかりを食べさせられるのは、しばらくの間は相当のストレスになるだろう。


 さらに、考えなきゃならないのは、その角度だけじゃない。

 おごりだからって、さっきの銀貨でがっついたと思われるのも、なんかとてもイヤだ。

 うっかり、「魚が食いたい」と言ったら、ここが水不足の地で、丹波の松茸を超えるほどにメチャクチャ高価だったりしたら困る。「さすが『始元の大魔導師』様、高品位な食事をお求めになられる」なんて言われてみろ。俺、この世界でコミュ障を通り越してヒッキーになっちまうよ。


 「うーん、スープとか?」

 食材名をいうのは怖いので、料理方法で答えてみる。

 これならば、安価な食材からでも高価な食材からでも作れるからね。しかも、食材の形を見ないで済むかも。

 放牧しているとは聞いたけど、それがこの世界のどんな生き物か分からないのだから、どんなものでも全体の姿を見なくて済むにこしたことはない。ネズミのスープだって、ダンゴムシとハサミムシのスープだって、知らなきゃきっと食えるんだ。

 もっとも、笑うきのことか、泣くトマトとか、怒る鶏肉とか、想像の斜め上に行くパターンだってあるかもだけど、それだって刻んでスープの具になっていりゃ、目をつぶって飲み込んじまえばいい。

 もう、あとは、ルーに任せよう。


 「本当にそんなもので良いのですか?」

 「ああ、贅沢は、堕落を呼ぶからな」

 「さすがは『始元の大魔導師』様、己を律していらっしゃるのですね」

 こう持ち上げられると、まあ、ちょっとばかり気分が良くなった俺を、誰が責められよう。

 もっとも、「己を律して」部分じゃなく、そう言わせた俺の嘘の巧さに対してだけど。

 「父も、スープならば食べやすいです」

 「なら良かった」

 うん、スープってのは、我ながらよく思いついたよ。



 で、予想ってのに対して現実は、どうしてこう……、斜め上に突き抜けるのだろうなぁ。

 食堂の暖炉には石炭っぽい塊が燃えていて、そこに掛けられた鍋がぐつぐつと音を立てている。外の寒さが嘘のように暖かい。

 ぶかぶかの作業服姿のルーも、このなごみの光景の一つになっている。

 わいわいと飯を食べる人も集まっていて、コミュ障の俺でさえそれを見て「人がいた」って珍しくほのぼのしているのにさ。


 で、問題は、俺の目の前の深鉢に盛られたスープ、って、そもそもこれ、スープだよな?

 低学年の小学生にしか見えない女の子が、そろりそろりと運んできてくれたのだ。

 金色の鉢には、茶色いどろっとしたものが、表面張力で盛り上がっている。相当の量だ。

 そして、この世界ではそれが正しいのだろうけれど、やはり金色のスプーンが鉢の真ん中に自立している。あまりにどろどろしているから、スプーンが立ちもするんだろうけど、俺の常識ではすでにこれ、スープじゃない。お粥とかおじやとか、オートミールとかの範疇に属する食べ物だよね。断じて雑炊じゃないぞ。あれは、箸、絶対立たないからね。

 そして、そのスプーンを取り囲むように、どろどろの上に置かれているのは、煮込まれた何かの動物の歯茎と目玉。

 くっついている歯からして、草食動物のものではある。


 さすがに、俺、凍りついたよ。 

 これ、喰うのか? 本当に?

 誰が? って俺か。

 なんていうか、こう、あるだろ?

 さらさらと透き通ったコンソメから、コーンポタージュまでスープの幅はあるだろうけど、これは俺の今までの想定を超えていた。


 おっかなびっくりでスプーンを掴む。

 ルーを見れば、運ばれてきたやはり金色の壺に入った父親の分のスープを横において、躊躇いもなく食べだしている。

 俺、ただただ呆然と、ルーのスプーンの動きを眺める。

 それに気がついたルーが不思議そうに聞いてきた。

 「どうされましたか?

 口に合いませんか? 『始元の大……』」

 「わああああ」

 場的に許されそうな精一杯の声を上げて、ルーが話しかけたのを遮る。


 思いっきり非難する目つきになりながら、ひそひそと話す。

 「やめろ、ここではそう呼ぶな。

 先々のことを考えれば、失敗の可能性もあるんだから、ここにいる人達を糠喜びさせるんじゃない。このローブ着ているだけならばまだいいけど、『始元の大魔導師』となると意味が違うよ」

 ルー、ひそひそひと返す。

 「さすがは『始元の大魔導師』様、そこまでお考えとは」

 「いや、気づけよ……」

 実は、ルーの言葉を遮ったのは、逃げだすつもりも無くはないからだ。ちょっと良心が痛む。でも、そんなことはおくびにも出さず、一方的にルーを責める俺ってマジ鬼畜。


 「済みませんでした。

 で、どうされたのですか? お食べにならないのですか?」

 「俺の世界のスープと違いすぎて……。

 これ、なんのスープよ?」

 「放牧で飼われている、ヤヒウですよ。肉も乳も、毛も革も取れ、骨さえも加工材料になるという、利用できない部分がないという優れた家畜です」

 「ああ、そうなん……。

 で、なんで歯茎と目玉?」

 「当然じゃないですか。

 普通ならば食べられないような部位でも、スープに煮溶かせば食べることができます。放牧していても、ヤヒウの数は限られていますからね。無駄なく食べないと。

 歯茎は、まちがいなくヤヒウを使っているという証です。スープは、どんな動物の肉が入っているか分からなくて危険ですけど、歯を見れば一目瞭然ですからね。

 ここは、ネラマの肉なんて出さない、安心して食べられる店なんですよ。

 あと、目玉は一頭のヤヒウから二つしかとれませんから、特別な食事のときにしか頼むことはできません。今日は、『始元の大魔導師』様の召喚後初めての食事なのに、スープのみということですので、せめてと奮発させていただきました」


 それを聞いて、思わず口からこぼれた。

 「小さな親切、大きなお世話……」

 「なんか言いました?」

 「なんでもありません……」

 「すぐ冷めますから、お早めに……」

 ルー、無邪気な善意の塊みたいな顔で言う。

 これは演技じゃない。本当に善意なんだ。

 「はい……」

 逃げ道が塞がれた。


 慰めは、そのヤヒウとかいう生き物に、目玉が2つ以上とか、2つ以下とか付いていなくてよかったってことだけだ。3つってだけで、ハードルが9倍ぐらい高くなるからね。

 もっとも、2つの目玉が縦に付いていたら、このスープを食べたことを後悔するだろうな。

 ちっとは、俺の常識の範囲内の生き物であることを願うよ。


 意を決して、スプーンで歯茎と目玉を鉢の底に沈めて見えないようにし、上側のどろどろを掬う。

 ただでさえ苦行なのに、きっと、冷めたらさらにハードルが上がってしまう。

 覚悟を決めるしかない。

 とはいえ、匂い自体は悪くないどころか、とてもいい。

 目をつぶって、口に入れる。

 明確に舌に訴えるわかり易い旨味、そしてピリッとした辛味。

 正直に言って、シンプルに美味い。

 いろいろな部位が煮溶かされているっていうだけあって、深みのある複雑で豊かな味。家系ラーメンの味が近いかもね。スパイシーさがあるためか、手足の先まで身体が温まるような気がする。

 どろどろしているのは、植物由来の炭水化物だ。それが芋なのか、穀類なのかも判らないけど、食べての満足感はこれのおかげで大きく増している。

 そうか、もしかしたら、スプーンを立ててあったのは、食事になるほど濃いスープだという証なのかもね。


 で、思わずスプーンの動きが加速して、旨い旨いと食っていると、鉢の底から再登場されるわけですよ。例のブツが。

 でも、かなり救いなのが、ルーの食べるのを見ていると、歯茎はつつかずに残している。

 あれかなぁ、間違いなくこの魚の刺身だよっていう証拠の意味で、その魚のヒレを添えるようなものなのかもね。だから、別に無理して食べない。食べても良いのだろうけれど。


 でもさ、ルー、目玉は食べるんだな……。

 まぁ、なぁ。

 俺も元の世界じゃ、鯛の目玉は食べたよな。

 そう考えて、迷った挙げ句に口に入れたけど、味わう勇気が沸かなくて一気に丸呑みする。

 そのうちに慣れてきたら、咀嚼する日もあるだろうさ。

 でも、まぁ、悪い食事ではなかったと思う。不味くも不潔でもなかった。


 「肉料理もあるのかな?」

 これは、次の食事のための情報収集だ。

 「はい。

 炙り焼きや、発酵した乳に漬けて焼いたり、この壺に入れて蒸し焼きにしたりもします」

 「野菜はあるの?」

 「ありますよ。季節季節によっていろいろなものがあります。ただ、量が取れないので、なかなか口にできません。畑は、芋優先です」

 うっわ、もしかしたら、江戸時代の日本よりずっと貧しくないか?

 あと、それでも肉が食えるのは、きっと人口がより少ないからだ。


 「米はないのかな?」

 「コメですか?」

 「ああ、水辺の草の種なんだけど」

 「コメかどうかは判りませんが、湿地帯でとれる草の種、イコモならばありますよ。茹でて食べます」

 「それが食べたい」

 「このお店でも、イコモは予約が必要です。

 野生の植物は、運が良くないと焼かれずに残らないので、収穫量がさらに少ないのです」

 「俺、米を食わないと力が出ない。

 お米を食いたい。ごはん……」

 二度と食べられないかもと思ったら、涙出てきた。

 醤油、味噌もきっとないよな。

 俺、なんで、昨日の朝食のご飯と味噌汁、もっと大切に食べなかったんだろう?

 おにぎり食べたい。このスープも美味しかったけど、やっぱり、海苔を巻いた普通のおにぎりを食べたい。

 元の世界で、それほど食べていたわけでもない。それなのに、もう食べられないかもと思った瞬間、おにぎりホームシック。


 「落ち着いてくださいよ。

 そんな、『帰りたい』みたいに泣かれると、まるで、私たちが『始元の大魔導師』様を誘拐したみたいじゃないですかー」

 「えっ、違うのか?

 随分、しれっと言ってくれるな。オイ。

 俺だって、元いた世界に生活があったんだぞ」

 「だって、契約したじゃないですか?」

 「なんのよ!?」

 「契約書に署名してくれたじゃないですか?」

 「初めて聞いたぞ、そんな話。契約なんてしてないし、そんな書類も見てないっ!」

 「またまたぁ」

 にこにこしながら言うんじゃないっ!

 内心でそうツッコミながらも、逆にその顔を見て、俺は落ち着いた。

 俺がここにいるのは、手違いだということが判ったからだ。

 「いや、マジで、ガチだ。

 知らんぞ、そんな話」

 初めてルーの顔に不安が浮かんだ。


 ただ、俺も、不安な点が一つ。

 契約とやらに心当たりがあるとすれば、焼鳥屋で泥酔した後の記憶がないことだ。

 そのときに、「外泊証明書にサインしろ」って言われて、署名しちゃったのかな、俺。

 来たのも砂漠系の国で一緒だし……。

 その可能性だけは、マジで怖いんですけど。

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