電気と魔法 −電気工事士の異世界サバイバル−
林海
第一章 召喚、最初の30日(危機脱出)
第1話 召喚とはなんぞ
正直に言って、俺はコミュ障だ。
だから、第二種電気工事士の資格をとったあとも、相棒にぶら下がって一緒に仕事をしていた。相棒が資格のステップアップをして、主任電気工事士になって開業する際にも、そのまま付いて行った。
俺は実務で手を動かして給料を貰っていられれば、それで満足だったんだ。仕事自体は好きだったからいろいろと勉強はしたけど、独立とかは考えていなかったし、資格のステップアップも延び延びにしてきてしまった。
相棒は信頼できたし、二人きりの会社で何より気が楽だったからね。
ところが、その相棒が、奥さんと子供を残して交通事故死しやがった。
ちぎれた手足と大量の血痕だけが、現場に残されていた。あとは大型トラックにすり潰されちまったらしい。
仕方なく、来ていた仕事をいろいろな形で片付け、会社の整理の手続きは俺の役目になった。
口の重い俺には気の重い二ヶ月だったけど、ようやくすべての手続を終え、前後して相棒の四十九日も過ぎ、俺は自由になった。
そして、自由とは聞こえがよくても、実際の俺は無職で、腕はあっても開業して自営することもできない状態で取り残された。
かろうじてまだ二十代、どこかの会社に拾ってもらわねば、長すぎる人生がまだまだ続いている。
最後の日。
会社だった建物に最後の掃除をし、作業着を羽織って、大ぶりの工具箱に収められた自分の工具一式を持ち出した。
建物の鍵をポストに放りこむ。あとで不動産屋が取りに来る手はずになっている。
これで、しなければならないことは完全に終わった。
行きつけの焼き鳥屋。
カウンターの焼き場の前に陣取った俺の目の前では、薄霜が降りたほどの塩を吹いた鶏が、次から次へと炭火の青い炎で炙られている。
俺も塩で数本焼いてもらい、それをあてに生ビールを飲み干し、ため息をつく。
今日は歩いて帰ると決めているので、自分へのご苦労さま会だ。
よくこの店で、相棒と飲んだ。
生ビールのジョッキが手つかずにもう一つあるのは、陰膳ならぬ陰ジョッキだ。
俺自身の先は見えないけれど、会社を整理し、相棒の奥さんにある程度まとまったお金を渡すことはできた。それに保険金を加えれば、路頭に迷う心配はないだろう。
相棒には、あの世から礼の一つも届けて欲しいものだ。
あとは自分だ。
失業保険もあるけれど、早々に次の道を決めないとえらいことになる。
自分の退職金に相当するものも、会社の清算金とともに相棒の奥さんにすべて渡してしまったからね。相棒は、コミュ障の俺を守っていてくれた。その礼をしておかないと、寝覚めが悪い。
でも、今晩は飲むと決めている。
俺なりの、俺だけの、友との12年の積み重ねへの弔いと決別。
ったく、馬鹿が死にやがって。
俺は、産まれて初めて、意識を手放すほど飲んだ。
− − − − −
目が覚めたとき、あまりの吐き気と頭痛に、目も開けられないままこめかみを押さえ、うつ伏せに丸くなった。
苦しさに耐えながら、そのまま1分ほど動かないでいると、ふと疑問が湧いた。
ここ、どこ?
突いた肘が、床がタイル以上にごつごつしているのを伝えてくる。寝具はおろか、床というより地面でしかない。つまり、自分の部屋でないのは確定だ。
酔ってなにかをしでかして、警察のお世話になったのであれば、床に寝ていたにしてもコンクリートとかリノリウムで、もっと滑らかに平らなはずだ。だが、この感触は石畳に近い。
まさか、どこかの公園とか歩道で夜を過ごしてしまったのだろうか。
ようやく決心して目を薄く開く。
目に入る光が、激しい頭痛を呼ぶ。
思わず閉じた目をもう一度、意志の力で開く。
吐き気に堪えながら、ゆっくりと周りを見渡す。
ここ、どこ?
再度、その疑問が頭に浮かぶ。
広い部屋だ。しかも丸い。
窓はない。
そして扉も。
日本で丸い部屋というものが如何に希少なものか、あちこちの建造物に出入りしている俺は知っている。
壁には、複雑な文様が一面に描かれ、床にもそれは伸びていた。
床は、壁際が高く、中央に向かって三段に低くなり、その底の中心に俺はいる。文様も、床の段差を超えてここまで描かれている。
光は天窓から降り注いでいるけれど、壁際の一か所に暖炉があって、赤々と薪が燃え盛っているので、その光の方が明るい。
空気はいくらか煙の香りがした。
見慣れた自分の生活エリアには、絶対にありえない光景だ。
そして、長く白い髪の、茶色のローブを着た男が壁を向いて立っていた。
「水をいただけませんか」
二日酔いのあまりの辛さにそう声を上げ、そのまま俺は後悔した。
やはり、コミュ障だと自覚する。
愛想よく挨拶とかをこなして、相手の正体を突き止める方が先だろう。
もしくはこのまま寝たふりを続けて、相手の行動を観察しても良かった。
一番間抜けな方法を採ってしまった。
長く白い髪の男が振り返る。
というより、振り返られて、その人物が年配の男だと分かったのだ。
見た目が貧相であれば、
こうなると、英雄とか、王とかのイメージになるのは不思議なことだ。
鋭く、炯々と光る琥珀色の瞳がこちらを見る。
俺は芸もなく、その視線を見返す。
その視線が不意に笑みを浮かべると、壁沿いに沿って歩き、暖炉横のテーブルの水指から金属のコップに水を注いだ。そして、床の段々を降りて、俺に手渡してくれた。
酔い覚めの水は美味い。
甘露と言っていい。
喉を鳴らして水を飲む俺に、男は話す。
「『始元の大魔導師』よ、召喚に応じ、この世界に来ていただき恐悦至極」
「はあ」
あまりに間の抜けた返答。でも、それ以上もそれ以下も、俺にはできなかった。
リア充だった相棒だって、きっとできない。
こんな部屋に閉じ込められていて、「筋骨隆々のおかしな人」に「召喚」とか言われたら、まずは凍る。
酔っている間になにが起きたんだ?
勘弁してくれ。
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