第89話 『  』

 どこを探しても、テラロッサの姿はない。本当に消えてしまったようだ。


「消えちゃった……」


「本当に、あとは自分達でどうにかしなさいってことね」


『そもそも彼女はこの話に一切関わりが無いからね。手を貸してくれただけで十分だよ』 


「……オレは『北の不滅』さえ手に入れば『不滅』も『破滅』もどうだっていい」


 会話を放り投げるようなリエゾンの言葉に若干全員の空気が固まった。俺自身も、彼にどう接したら良いのかが分からない。普通に会話すべきか、それとも距離を置くべきか……。考えている最中に、周りに宴狂い達が集まってきた。酒臭い空気を放つ彼らは、テラロッサが居なくなったのを見計らってこの場所に……というか彼らの視線的に見て、テーブルの上に残された彼女の為の料理が目的で集まってきたのだろう。相変わらず作法も理性もない連中だ。


「うぅ……私あの人達苦手だなぁ……」


「僕もそんなに好ましくないです……」


「あれと混じれるのは同じくらい狂った人間だけよ」


『絡まれると厄介だね。早めにお暇しようか』


「わかった」


 同じくらい狂った人間、という言葉で晴人が前に言っていた『すくらぶる』さんを思い出した。確かモザイク必須のアヘ顔で高速移動する変態……この場に居ても何の違和感も生じないな。狂人の集まりに混じれるのは狂人だけ、当たり前のようで忘れがちだが、どんな人間も『入れるグループ』と『入れないグループ』があるものだ。


 こちらを酒に酔った視線で見つめる宴狂い達から逃げるために、メラルテンバルの背中に飛び乗った。メラルテンバルは全員が自分の背中に乗っていることを確認すると、大急ぎで離陸を始めた。それを見た宴狂い達が、何を思ったのかこちらに走り込んでくる。その構図は離陸するヘリコプターに迫るゾンビ達のようだ。


 ゾンビ映画と違う点は、宴狂い達の姿形があまりにも不揃いな所だろう。腕だけが異常に発達した人間、頭を四つつけた紳士服の男、四足歩行でこちらに突っ込む……犬人間?

 一般人が見たら間違いなく失神しそうだ。


「この場所も大概ヤバイな……砂漠のせいで霞んでるけど」


「一応、『不滅』のお膝元ですからね」


『さて、行くよ』


 体勢を整えたメラルテンバルが墓地に向かって進みだした。この世界は真夜中から夜明けを迎えようとしているが、宴が収まる様子は勿論無い。この空間に居ることはあまり気持ちの良いことではないので、漸く出れるのかと安心した。この空間に向けて、メラルテンバルが翼をはためかせて進んでいく。


 そしてある一点を越えた瞬間、世界が大きく切り替わり、温い空気が一瞬で凛と張りつめた。久々の太陽が空に浮かび上がっており、薄くちぎったような雲が青い空にメリハリをつけている。鎧の兜の隙間から流れ込む大気の流れは冷たく、乾いていた。当たり前に無味無臭の筈の空気が、どこか美味しく感じられる。


「いぇぇぇーい!外だー!」


「シエラ……まあ、でも今くらいはいいかな」


「大分長く居た気分になりましたね」


「本当は一時間居たかどうかってところか?」


 気持ちの良い風と柔らかな緑と青の境界線に興奮したシエラが大声で叫んだ。コスタは一瞬それを止めようとしたが、彼にとってもこの空気は快い物だったようで、口を閉ざしている。

 ロードはフードを外して空を仰ぎ、隣にいるカルナも同じく目を細めながら空の恩恵を感じている。リエゾンは相変わらず無言で遠くを見つめていた。今は話を掛けるな、というオーラが滲み出てる気がする。


 と、冷静に分析する俺だが、今の体勢はデフォルトのしがみつき状態だ。飛び出た鱗に両手を掛けて、両足でメラルテンバルの体をがっちり挟み込む。かなり不格好だが、これならば落とされることはあるまい……あ、ヤバイな、下を見るな下を見るな。遠くを見つめよう……ふう。


「……相変わらずね」


「最初に乗ったときは疲れてるのと両手が塞がってるのがあってそんなに怖くなかったというか、適度に脱力してたんだが……」


 俺にはジェットコースターで両手をあげられる人間の気持ちが分からない……落ちたらどうするんだ。最初にメラルテンバルに乗った時は両手にセレスを抱き抱えていたし、疲れて頭があまり回らなかったので緊張する余裕もなかったのだが……それが今ではこの様である。メラルテンバルが小さく笑って俺に話しかけてきた。


『ふふ……ライチの様子はさしずめ空飛ぶ鶏だね』


「スカイチキンってか。やかましいわ」


「鶏は空を飛べませんもんね」


 ロードに冗談を冷静に分析されたメラルテンバルは軽い笑い声を上げた。ここで一端会話の流れが途切れる。それを見計らってカルナがロードに質問をした。その顔は珍しく気まずそうだが、その顔を見れば何を聞こうとしているのかくらい簡単に分かるだろう。


「すごく聞きづらいのだけれど……これからの予定を聞いていいかしら?」


「すみません、聞きづらくしてしまって。……取り敢えず、一端墓地に戻ってから態勢を整えてリエゾンさんと一緒に北の砂漠に行く、という感じになりますね」


 困ったように頬を掻きながら言うロードの言葉の端には、やるせない思いが見え隠れしていた。ロードは本気でリエゾンを助けようとしていたのだ。リエゾンの行動理由を聞いて、その思いは尚更強くなっただろう。……それなのに、自分は何も出来ない。一番始めに助けようと言っていた彼女が、一番大切な場面で見ていることしか出来ないのだ。それがどれだけ悔しいことか。

 しかし、ロードは優しい。その悔しさを顔に出せば、間違いなく俺とカルナは心配すると考えているだろう。


 これから先へ進んで行こうという場面で、モチベーションを下げるようなことはできない。だからこそ、いつもの笑顔でロードは笑っている。そのままの笑みを、ロードはリエゾンに向けた。


「リエゾンさんも……すみません。結局、何も出来なくて」


「……別に、気にしてねえよ。オレはたった一人でも砂漠に行く。この加護を貰ったのなら、尚更だ。……人数や面子なんて、オレは最初から気にしてねえ」


 不器用だが、気にするなという気持ちを込めたリエゾンの言葉に、ロードは顔を明るくした。俺も「あとは俺達に任せてくれ」とか、そういう類いの言葉を言いたいが……流石に俺の口からは言えないな。変なところで気を使ってしまうのが俺の悪い癖だと分かっているが、流石に気まずいのは勘弁だ。

 目でカルナに合図をする。とてつもなく伝わりづらい合図のはずだが、察しのいいカルナはしっかりと理解してくれたようだ。


「リエゾンもそう言っているのだし、後は私達に任せなさい。一度受けたクエストは絶対に達成するわ。何て言ったって、今のところの依頼達成率は百パーセントだもの」


「……えへへ、そうですよね。どんな無茶なお願いでも、皆さんに掛かればきっと大丈夫です。……大船に乗った気持ちで、墓地で待ってますね」


『依頼達成率は百パーセント……確かに、間違ってないや。ははは』


 俺を基準にしても、受けた依頼クエストは実質二つだけなので、確かに達成率は百パーセントだ。間違ってはいないだろう。間違ってはいないが……なかなか口が上手いな、カルナは。

 ちらりと視線を寄越すと、どや顔で上品なウィンクが飛んできた。悔しいが顔で受け止めておこう。

 カルナの言葉を聞き付けたシエラがピクリと反応し、リエゾンに向かって明るい様子で語りかけた。


「カルナの言う通り、私達に掛かれば、万事解決するよ!……だから安心しててね、リエゾン」


「……まあ、少しは期待しておく」


 ぎこちなく言われたリエゾンの言葉に、シエラは満足げな顔をした。なんだよ、コミュニケーション能力の権化か……一切恐れずにリエゾンに切り込んだな。さっきまでぎゃんぎゃん泣いてた気がするんだが、復活が早すぎるだろう。隣のコスタなんて砂を噛んでるみたいな無表情だ。元々彼に顔は無いが、雰囲気でなんとなく察せる。


 ほんの少し明るい空気が流れ出した時、思い出したようにロードが俺に手招きした。……えぇ?耳を貸せと?移動しなければならないな……。俺のハートに勇気を緊急出荷していただいて、ゆっくりロードの元へにじりよる。最高にダサいが、もはや誰も突っ込まない。

 それにしても、リエゾンは分かるが、カルナにすら聞かせたくない会話って何だ?真剣な顔をしているから、浮わついた話じゃないのは確かだろうけど……。


 近づいた俺に、ロードが手で口にメガホンを作りながら小さく話を始める。その声は小さく、風が耳元を切り裂く音に掻き消されそうな程だった。


「――――――――?」


「ああ、確かに言ってたな」


「――――、―――――」


「本当か!?……聞いても良いよな?」


「……――――――、――」


「…………」


 俺はロードの囁きに全ての言葉を失った。何もかもが全て崩れてしまいそうな感覚に陥り、すがるように遠くを見つめるリエゾンを見た。……信じられない。


「……いつ言えば良いんだ?」


「――――――」


「……分かった」


 少なくとも、今言うべき事では断じて無い。それは本当に大切な時に言うべきだ。本当に本当に……最後の時に。ロードから貰い受けた爆弾にも似た情報にくらくらと眩暈のようなものを覚えた。

 これを伝えることが、彼に何をもたらすのかさっぱり分からない。ただひとつ分かるのは、それは必ず彼に伝えなければいけないということだ。絶対に、このクエストを失敗できない理由がまた生まれた。


 空っぽの体で幻想の心臓が跳ね回っている。あふれでた感情をリセットしようと試みていると、メラルテンバルが声を上げた。


『うん……?』


「どうしたんですか?メラルテンバルさん」


『いや、コスタ君……何かが僕の知覚圏内に入ったんだ。それも、複数』


「敵意を持った相手が複数……ということですか?」


『そういうことだね』


 コスタとメラルテンバルの会話に、思わず体が強張った。嘘だろ?空中戦とか本当に勘弁してほしい。普通のゲームじゃないのだ、これは。とてつもなくリアルなVRゲームなのだ。風が耳元を通り過ぎる音にひやひやし、時たま訪れる浮遊感に脂汗を浮かべているというのに……そこで戦えと?


「最悪だ……」


『最悪だ……』


 思わず呟いた声がメラルテンバルと重なった。思わずメラルテンバルを見つめると、メラルテンバルは進行方向の右側の空を凝視していた。


『普通は僕に近づきもしない癖に……こういうときばかり邪魔をしてくるのか』


「メラルテンバルさん、敵は何者なんですか?」


『……恥ずかしい事ですが、僕の近縁の――』


 遠い空の彼方に、色とりどりの飛行物体が見えた。思わず盾を構えて臨戦態勢に入る。それらは翼と尻尾、角を持っている……


飛竜ワイバーンの群れです』


 いつしか墓地で見たスカルワイバーンをそっくりそのまま蘇らせたような姿の竜……カラフルなワイバーン達の群れが、空の向こう側から颯爽と現れた。

 おいおい……邪魔は入らないんじゃなかったのかよ。いや、邪魔をしてくるってことはクエスト用のモンスターなのか。……面倒なイベント戦だなぁ、おい。


 ワイバーン達がこちらを威嚇するように、宣戦布告するように一斉に咆哮を上げた。


『グルルゥァァァ!!』


『最高に下品な挨拶ありがとう……はあ、最悪だよ』


 メラルテンバルの呟きに合わせて、ロードは杖を構え、カルナもスレッジハンマーを掲げている。リエゾンは渋い顔をしながら両手を構え、コスタは空に槍を生み出した。シエラも驚いた顔をしながら魔法を打てる態勢を整えている。

 俺も慎重に盾を構えて、メラルテンバルの背中の上で立った。


 ……うわぁ、めちゃくちゃ怖い。

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