第37話 暮れない朝は無く、明けない夜も無い

 とある森の奥の獣は見た。赤い月に、僅かに銀が差すのを。


 町を守るために武器を振るうプレイヤーの一人は見た。赤い夜空に、嘘みたいな星々が顔を出したのを。


 ツリーハウスの屋根の上のエルフは見た。赤の流星が、その数を減らしていくのを。


 そして、林檎の木の上の墓守は見た。黒い空の隅っこの隅っこが、確かに柔らかな色を浮かべたのを。



 北の、北の果て。白い砂漠の黒い巨城の女帝が、忌々しげに舌打ちをした。

 西の、西の果て。世界樹の根の宴の主催者は、久々に面白そうに鼻を鳴らした。



 赤き夜が終わる。破滅と狂騒の見開かれた瞳が、ゆっくりと平穏という瞼を下ろそうとしている。世界は、いつもと変わらぬ朝日を迎えようとしていた。


―――――――――


「グルォォォォ!!」


 頭蓋骨に蜘蛛の巣状のヒビを浮かべながら、メラルテンバルは雄々しく咆哮を上げた。オルゲスが拳をゆっくりと引き、足を一歩前に進めた。その様子に、俺も体をゆっくりと起こす。途端に疲労がどっと俺の肩にのしかかり、立てた膝をもう一度挫こうとするが、無理やりもう片方の膝も立てて、ゆっくりと立ち上がる。


 疲労は目眩とだるさといった形で俺の体を蝕み、ダメージは体の震えと感覚の麻痺という形で心を蝕もうとしている。青い粒子を体から立ち上らせながら、かつてないほど重い盾を構える。それだけで息が切れて、倒れこみそうになるが、おくびにもそんな様子は見せない。盾を構えた俺の鎧は、隅から隅まで細かい傷に覆われていた。せっかく新調したというのに、二日で傷塗れである。


 だが、まだ大丈夫だ。きっと背中の天秤の装飾は未だ残っている。籠手に刻まれた交差する鎌の紋章も、確かに残っている。ならば、まだ戦えるだろう。HPもMPも捨て置いて、疲労だのなんだのを殴り捨てて、死に体の身体でも……戦える。


「来るぞ」


 オルゲスの声に続いて、メラルテンバルが右腕を振るう。地面を深く抉りながら、オルゲスを空に吹き飛ばすような軌道だ。オルゲスは深く体を沈めて左にステップを踏み、素早くその一撃をかわした。メラルテンバルの攻撃を避けた瞬間、オルゲスの体が躍動し、がら空きの肋骨にストレートが打ち込まれた。


 途端に巨体が揺らぎ、打ち込まれた肋骨にヒビが入る。竜は軽く呻いてオルゲスの体に噛み付こうとするが、オルゲスの太い腕は、しっかりと上顎と下顎を押さえつけた。流石に体重の差で、大きく後ろにずり下がったが、オルゲスは掴んだ頭蓋骨を地面に叩きつける。


 一連の動作には無駄がなく、軽く、力強い。ズタボロな体の感覚を忘れて、思わず見入ってしまうほどだ。見入ってしまっていた自分の頭を振って、意識を集中させる。深呼吸だ、いくぞ。


「『吸収ドレイン』……よし」


 青紫色の光が確かにメラルテンバルの体に取り憑き、途端に体が楽になっていく。相変わらず体はだるいが、多少はマシだ。メラルテンバルの視線がちらりとこちらに向く。

 が、その隙を縫ってオルゲスが肩関節に鋭いジャブを打ち込んだ。白い破片が宙を舞う。


 ここまでじっと盾を構えて、漸く体から青い光が抜けた。精神体の効果が抜けたのだ。随分と早いが、『瞑想』が重なってそこそこ早かったのだろう。明晰な思考が戻ってきた。……ついでに自分の体の様子がしっかりと分かって苦笑いが浮かぶが。


 先程のブレスで削られたのはHP十割とMP三割。六割以上削られていたら、復活にはもっと時間が掛かっていただろう。

 メラルテンバルの一撃を受け止める、もしくはかわして一撃を堅実に叩き込んでいるオルゲスから少し視線を外して、周りを見渡す。


「分かってはいたが、死体の山だな」


 事切れた不死者たちの死骸が戦場の隅から隅まで転がっており、未だ残る動物系不死者に、疲労困憊の剣闘士達が力を合わせて対抗している。ロードの方を見ると、どうやら力を使い過ぎて枝の上に座り込んでいるようだ。遠いので詳しくは見れない。


 戦場は閑散としていた。数少ない魔物に、沢山の剣闘士が、息を切らしながら突撃しているのが目に入る。もう殆ど、雄叫びは聞こえない。防衛地点かつ剣闘士のリスポーン地点であった墓石周辺では、動くことも出来なくなった剣闘士達が墓石に背中を預けて荒い息を吐いている。戦いはすでに散漫としたものと化しており、だからこそ、戦場は酷く静かな……祭りの後と形容するべき様相を呈していた。


 カルナのいた方面を見つめれば、空に浮いているのは、本当に僅かな数のリッチやゴースト達。それに相対しているのも、極々僅かな数の戦士達。金の盾は疎らで、リスポーン地点は野戦病院の様になっていた。


「戦いは……もう、終わるのか」


 一際大きい衝突音に、ハッ、と意識が戻った。そうだ、今はまだボスとの戦闘中。戦う二つの姿に目を向ければ、全身にヒビを負ったメラルテンバルの姿と、僅かに傷を負ったオルゲスの姿が見えた。……本当に、一人でも勝ててしまいそうだ。


「美味しいところを持って行かせるわけにゃいかねえぜ。『フォートレス』『ディフェンススタンス』『ダークフォロー』……『ダークボール』!」


 MPを薪にバフをかけ、メラルテンバルの空いた横顔に魔法を打ち込む。闇の球体は竜の頭蓋に食い込み、そのヒビを分厚くした。


「よくやった! ……ふん!」


 オルゲスが足に力強い飛び蹴りを放った。メラルテンバルは甲高い声を上げながら横向きに倒れこむ。一見チャンスに見えるが、倒れこむと同時に竜の骨の尻尾が目にも留まらぬ速さでオルゲスに襲いかかる。


「『ランパード』!危ねぇ……」


「助かったぞ、ライチ。やはりあいつの硬さだけは健在な様だな」


 忌々し気に呟くオルゲスに近寄り、ゆっくりと起き上がるメラルテンバルに向けて盾を構える。メラルテンバルは殆ど満身創痍に見えた。片腕は脱臼でもしたのか肩から外れ掛かっていたし、尻尾は先のほうの骨が欠けていた。頭蓋骨はもうボロボロで、そのほかにも剣闘士達の付けた傷が、体を覆い尽くしていた。HPは残り三割……来るか。


 メラルテンバルは俺にも似てボロボロの体をゆっくりと起こし、ブレスを吐く時と同じように上体を高く起こした。それぞれの仕草に続いて、竜の体から埃のように白い骨片が欠けて落ちる。


 ボロボロの竜が、威嚇するように巨大な翼を広げた。死しても尚、その姿には威厳が篭っており、無意識に畏怖を感じる。割れた頭蓋骨から緑の炎が迸った。ゆっくりと、牙の欠けた顎が開く。

 ……さあ、第二ラウンドと行こうか。


【白竜の胸の奥底で想いが揺れる】


【君を、護りたいと……そう思っていたんだ】


【消せぬ筈の希望が、ぱたりと消えてしまうのを、彼は見た】


【守りたいものも守れぬ強さならば……あぁ、もう、衝動に身を任せて仕舞えば良いのだ】


【哀しき破滅が、白い魂に芽吹いた】


骸骨竜スカルドラゴン:『破滅ルイン』との決戦を開始します】


 広げた両翼の先から、地に着いた足の先から、毒々しい緑の炎が、メラルテンバルの体を包み込んでいく。メラルテンバルは、自らを蝕みかねない程の業火を、体の隅の隅まで纏った。瞳の炎は酷くブレて燃え上がり、骨格だけだった翼は痛々しいほどの炎で彩られ、翡翠の翼と化した。空っぽの胸骨に、ぐるぐると魂のような炎が渦巻いている。


 近づくことすら恐ろしい、そんな業火を身に纏っている筈なのに……どうしてだろうか。どこか苦しんでいるような、自らを傷つけているような哀れさすら感じる竜は、欠けた牙の隙間から炎を漏らしながら、今までで一番大きく、そして哀れに吠えた。


「……そうか、メラルテンバル。お前は……お前は悔いていたのか。それ以上に、自責の念を抱え込んでいたのか」


 俺の脳裏に、オルゲスの話がフラッシュバックする。一つ前の月紅と、先代墓守メルエスに訪れた悲劇。もし、白竜メラルテンバルが心の奥底からメルエスを慕い、護りたいと強く思っていたのなら……そして、それがかけらほども叶わず、目の前でメルエスが散ったのなら、自責の後悔を心の奥底に蓄えても、何らおかしい事ではない。


 オルゲスは自責の炎で身を包み、哀れにも生き長らえている友の姿に、一瞬だけ悲しげに顔を歪めた。しかし、直ぐにその顔に戦意を取り戻すと、ゆっくり太い両手を構える。

 釣られて俺も、重い体で盾を構えた。メラルテンバルとは少し距離が開いている筈なのに、ここまで緑の火の粉が飛んできている。凄まじい熱量が、多少の距離など度外視に、俺たちを威圧していた。


「……ならば、せめて、死ぬほど暴れるが良い。我がそれを全て受け止めて、その上で捩じ伏せよう。何、我とお前の仲だ。遠慮は要らんさ」


「……グォォォォ!!」


「置いてきぼり感がいつもながら激しいな……来るか」


「ああ」


 毎度の事ながら、イベントシーンに入ると完全に隔絶されたような気分になるが、昔から親交のあった二人の間に分け入っているのだ。逆にこれで内側に入り込めては、NPCの作り込みが甘いとも言える。

 改めてこのゲームが一つの世界を体現している事に舌を巻きながら、こちらに突っ込んで来るメラルテンバルを見つめる。


 翼を広げ、口から炎を漏らし、両腕に業火を纏った破滅の竜。それが大地を揺らしながらこちらに突っ込んで来る。HPは大丈夫……さて、最終決戦だ。


「『フォートレス』『ディフェンススタンス』『硬化』『ダークフォロー』……」


「さぁ! 死合おうか!」


 竜がその右手を大胆に振り上げ、そして振り下ろす。その所作の一つで大きく緑の火の粉を散り、威圧感が牙を剥く。が、ここで日和っては墓守の盾が泣くだろう。先程より鋭い一撃に合わせて盾を動かす。


「……っしょ。痛ぇ……盾貫通で炎ダメージかよ」


「でかした! ……おぉぉ!!」


 一撃をいなすのは別段難しいことではない。だが、完璧に衝撃をいなしても、盾を貫通して炎ダメージらしきものが入ってくる。微々たるものだが、自動回復を阻害されてしまうので、非常にやりづらい。

 俺が作った隙を縫って、オルゲスが拳を振るうが、その一撃が当たる前に竜の体が空に浮く。


「ちっ、翼はお飾りじゃないってか」


「む……流石に空は我の攻撃圏外だぞ」


 緑の翼を大きく揺らして、メラルテンバルはバックステップをした。どうやら滞空は出来ないようだが、滑空と跳躍くらいは出来るようだ。非常にやりづらい。

 ランパートは出来るだけブレスに備えて残しておきたいが、もし距離を開けられてブレスの連打でもされれば、かなりマズイことになる。


「取り敢えず距離を詰めよう……か」


「あれは……ブレスだ!」


「マジかよ!? そんな軽く撃ってくる!?」


 距離を詰めようと歩き出したのと同時、メラルテンバルの口が大きく開く。オルゲス曰くブレスの兆候らしいが、そんなにコンスタントにブレスを撃たれては堪らない。取り敢えずオルゲスを庇うように前に出ると、竜の体の奥底から、翡翠の火球が撃ち出された。


「……くぅ! かなり重い……なんか持続ダメージ受けてるし」


「ライチ! 前に来ている!」


「うぉっ!」


 盾に触れて弾けた緑の炎の先には、こちらに突っ込んで来るメラルテンバルの姿。このまま体当たりをかますつもりか。衝撃に備えてグッと体に力を込めると、とてつもない衝撃が真正面から襲いかかって来た。疲れた体に体当たりは手厳しい。


「と……めたっ!」


「おぉぉぉ!!……く、奴の炎か」


「天然のカウンターかよ……近接殺しに来てんな」


 止まった竜の脳天に、しっかりとオルゲスのストレートが決まったが、オルゲスは怯む竜よりも己の拳を渋い顔で見つめていた。

 霊体の拳には緑の炎が食らいついており、微弱なダメージエフェクトを散らしている。触れるだけでダメージが入るというのなら、拳で戦うオルゲスは、相性が最悪と言ってもいい。


 だが、今更相性だなんだといってはいられない。そんな段階はとうに過ぎているのだ。今はひたすら戦うのみ。


「やるしかないな……」


「グルル……」


「最後に立つのはどちらか、決めてやろう」


 オルゲスの挑発じみた言葉に反応して、竜が攻撃態勢に入った。


 噛みつき、体当たり、腕の叩きつけ。ここまでは殆ど先程のモーションと一緒だ。逸らすなり、受け止めるなりすればダメージを受ける代わりに隙を生み出せる。しかし、第二形態ともなれば、新たに追加されるモーションは悪辣の一言に尽きる。


「気をつけろ!噛みつきだ」


「任せろ。……おぁ!?」


 噛みつきに見せかけて、口の奥に緑の炎が渦巻いている。超至近距離からの接触ブレス。受け止めるも何も正面から食らった俺の鎧の隙間隙間に緑の炎が食らいつく。大きなダメージは回避したが、このドットダメージは信じられないぐらい痛い。慌てて吸収を掛けなければ、自動回復が完全に追いつかなくなっていた。


「尻尾か……後ろに下がってくれ」


「了解した……いや、待て! 違うぞ!」


「嘘だろ!?なんかめっちゃ燃えてる……くぅ!」


 燃え上がった尻尾による薙ぎ払いは、尻尾の通った後の地面を焼き焦がし、そこにいるだけで持続ダメージを受けてしまう。そこに被せる様にブレスを撃たれ、体当たりで場所をずらされのコンボが非常にやりづらい。


 他にも、ブレスの乱射、飛び上がりからの滑空体当たり等、バリエーションの豊富な行動パターンに体力だけではなく気力までも削られていく。

 息は上がっているし、足元もおぼつかない。オルゲスも拳に酷い火傷を負っている様で、顔をしかめている。それでも、彼は攻撃を止めず、戦い続けている。


 誰だってそうだ。この戦場にいるものは、誰だって戦い続けている。喉を切り裂かれようと、毒に蝕まれようと、疲労に倒れようと――誰一人諦めて目を瞑る様な者は居ない。


「連続ブレスだ!」


「一、二、三発……っと。炎上尻尾! 右から来るからあいつの右足近くの安地に行くか左に避けろ!」


「了解だ!……ふんっ!」


「ナイス!噛みつき来るけど下がるな!……『ランパート』!」


「助かるぞ!……む、飛び上がった!体当たりかもしれん!」


「狙いは俺か……『ディフェンススタンス』『硬化』……ぐぬぅぅぅ!!」


「ぉぉぉぉお!!」


 地面には毒々しい火炎が立ち上り、俺たち二人の体にも、いくつか受け止めきれなかった火炎がついている。メラルテンバルの体の緑炎は衰えるどころか益々燃え上がり、歩くだけで地面を燃え上がらせている。動くだけで辺りに火の粉と炎を撒き散らす姿は、まさに破滅の権化。

 だが、俺たちは負けられない。朝を見るまで倒れられない。食らいついてやる、しがみついてやる。


「まだまだ終わらねえよ!」


「勝つのは我らだッ!」


 オルゲスの剛腕が、緑の破滅を突き抜けて、竜の頭蓋骨を打ち抜く。戦場に轟音が突き抜け、メラルテンバルの頭から白い骨が落ちた。……立派な白い角の片割れだ。オルゲスはズタボロの拳を振るって、漸く完全に頭蓋骨を破壊したのだ。


「グォォォォァァァ!!」


 メラルテンバルは痛みからか、絶叫を上げ、地面にのたうちまわる。触れた先の地面がえぐれ、死体が飛び散り、それら全てを緑に染め上げる。バックステップでこちらに戻ってくるオルゲスの肩は荒く上下している。手は握った拳のまま溶けついて開かないようだ。

 かく言う俺も、もうそろそろ限界だ。戦いの最中だと言うのに、酷く眠い。鎧の隙間から登る炎を叩いて消す事もままならない。

 立ち止まり膝を着けば、もう立てないだろうという確信がある。


 体の奥底で脈動する泥臭い意地だけが、この体を支えているのだ。満身創痍、されど絶体絶命とは言わせない。限界を超えて行使している体を動かして、空に浮かぶメラルテンバルのHPバーを見ると、残り一割。


 そこで漸く、俺は今の状況に気がついた。


「夜が……明けて……」


「空が白んでいる。ああ、朝焼けだ」


 真っ赤に塗りつぶされた深夜は深い藍色を取り戻し、空の果てに向かえば向かうほど、鮮やかな空色のグラデーションを放っている。赤い流星はもう見えず、グロテスクな深夜の暴君である月は、その半身を元の銀色に染め直している。


 そして空の彼方、フィールドを囲むうず高い塀から見える山々……その一番上から、何か明るいもの――あぁ、朝日が見える。かけらほどだけ、ちらりと見える。それでも産声を上げるように白く燃えている。空を蒼穹に、深夜を早朝に、力強く塗り替えている。夕焼けにも似て神秘的な太陽の胎動に、俺は呼吸を忘れて目を見開いた。


 戦場に、光がなだれ込む。それらは死体の群れも、林檎の赤い実に滴る雫も、鮮やかな朝顔も、萌える雑草たちも、等しく全てに色を付けていく。戦場の全員が、魔物も戦士も剣闘士も、俺も竜もオルゲスも……動きを止めた。ただ眩しいその光に、圧倒されて目を細め、同じ方向を見ていた。


「朝だ」


 誰かが小さく呟いた。オルゲスか、剣闘士の誰かか……あるいは俺自身かも知れない。それに呼応して、グォォ、と唸り声が聞こえる。ハッとして視線を戻せば、そこには俺たちと同じく満身創痍のメラルテンバルが居た。砕けた頭蓋から轟々と炎を立ち上らせて、地面を焼き尽くす破滅が居た。

 そうだ、戦いはまだ終わっていない。最後だ、これが……これで最後だ。竜が上体を起こし、周りの大気を吸い込む。その瞳に灯る想いを図ることは、俺にはできなかった。


 ゆっくりと、朝日を浴びて両翼を限界まで広げた骸の竜が、口元に深緑の光を溜め込み始めた。隣にいるオルゲスに、そっと目配せをする。それがちゃんと伝わったかどうかわからないが、彼は静かにうなづいて、俺から離れ、ゆっくりとメラルテンバルの元へ歩き出した。ボロボロの背中に背負った決意が、白い光を受けて煌めく。


 自分に近づいてくるオルゲスに見向きもせず、メラルテンバルは俺をじっと見つめている。ゆっくりと、俺も詠唱を始める


 空が白み、月も白む。朝焼けが香る空に、空気を読まない白い流れ星が箒を掃いて飛んでいく。その白い線が空に溶けた時、竜が、渾身のブレスを俺に向けて撃ち放った。それと同時に、俺は空中にランパートを浮かべ、その盾の底を始点にダークピラーを放った。


 黒の柱と緑のブレスが、正面からぶつかり合い、拮抗し……やがてブレスが柱を飲み込んだ。そして、竜の全力のブレスは俺のランパートに叩きつけられ、それを打ち破る……一歩手前で止まった。撃ち尽くしたのだ。


 ブレスを吐ききった竜が、大口を開いた姿勢で硬直している。体から溢れていた緑の炎は、全て先程のブレスに織り込んでしまったようで、朝日を浴びたその姿は、ボロボロの骨の姿であった。さらさら、と骨の欠片が朝日を浴びながら欠けて落ちる。


 頭蓋骨は陥没し、角は折れ、全身に隈無くヒビが入っていた。砕けた頭蓋に、ロウソクのような火が二つ、本当に小さく灯っていた。ザク、ザクとオルゲスが地面を踏みしめる音が小さく響いて、止まった。


 瀕死の竜の真ん前に立ったオルゲスは、メラルテンバルの瞳の奥の炎を見つめた。


「なぁ、メラルテンバル……朝だ。朝日が、見えるか」


『……』


「我々は、ついに朝を迎えたのだ、メラルテンバル。だから……少し休め。何、ここは元々死者の憩う場所……お前が眠ろうと、誰も咎めはせんさ」


 メラルテンバルはオルゲスを見つめて、朝日を見つめ、そしてもう一度オルゲスを見つめると、ゆっくりとその身体を地面に横たえた。風に乗って、微かな声が聞こえた。気を抜いていれば、簡単に聞き逃してしまうほど、か細く小さな声。それは、満足げにこう呟いた。


『朝日は……眩しい、ね……』


 オルゲスは無言で頷いて、メラルテンバルの顔の前にしゃがみこみ、ゆっくりと砕けた頭蓋骨の小さな火を、大きな手のひらで柔らかく覆い隠した。少しして、オルゲスが目隠しを取ると、そこに二つの炎は無く、空っぽな眼孔だけがあった。


 システムが小さく通知する。


【白き竜は終わらぬ悪夢の中で、ようやく朝日を見つけた】


【希望はきっと、そこにあるのだろう】


【竜は重い瞼を静かに下ろした】


【白竜、しばし憩う】


【エリアボス『骸骨竜スカルドラゴン破滅ルイン』が、『ライチ』様によって眠りにつきました】


 何処からか風が吹いて、竜の体がチリとなって消えていく。オルゲスはゆっくり膝を立てて立ち上がると、その様子をじっと見つめて……ゆっくりとこちらに振り返った。


「ライチ、本当に……感謝する。我はライチに借りを作ってばかりだな」


 似合わなく困った顔をするオルゲスに、鎧の奥で笑顔を作りながら答える。


「借りなんて、いつか返せばいいのさ。利子があるわけじゃないんだし」


「そんなものだろうか」


「そういうもんだ」


 二人して笑って、朝日を見つめる。太陽が空から出でて、空を群青に染め上げる。ゲーム時間にして、今が夜の11時近くだということが信じられないが、登った朝日に嘘はない。銀色のそれに見惚れていると、遠くから声が聞こえた。


 声の方に顔を傾けると、そこには満面の笑みでこちらに走ってくるロードの姿があった。修復されたローブの襟元から、小さな傷を覗かせながら、一生懸命にこちらに走ってくる。重たい身体を動かしてロードに向き直ると、ロードは感極まったのか俺の鎧に飛び込んできた。嘘だろ、と叫びたい気持ちを飲み込んで、必死にロードを抱きとめる。


「ら、ライチさん!朝です!朝ですよ!」


「あ、あぁ。朝だな」


「月紅が終わったんです!」


 胸元に飛び込んではしゃぐロードには悪いが、正直受け止めるのはもう限界……。体ががらりと後ろに倒れこむ。しかし、ふらつく俺の体を、オルゲスが後ろから支えてくれた。


「悪い、助かる」


「貸しは返して行かなければならんからな」


 豪快に笑うオルゲスは朝日を浴び、いつにも増して頼り甲斐がある。思わず釣られて笑みを浮かべると、後ろからまたもや声がかかった。


「あら、夜更かし後にお熱いお二人ね」


「うむ、戦いの後はこうに限る」


 慌てて振り返ると、ズタボロのカルナとレオニダスが居た。両者ともに全身に隈無く傷を負っており、戦いの激しさを物語っていた。


「大丈夫だったか?」


「何回かリスポーンする羽目になったわよ。まあ、慣れているし、敵の裏取りも出来て一石二鳥だったけれど」


「カルナ殿はまさに獅子奮迅の活躍であった」


「レオニダス、よくぞ生き抜いたな」


「メルトリアスの魔法に中々苦しめられたがな」


「メルトリアスさんの魔法は威力が高いですからね……」


「よく勝てたな……」


「物理で押し切ったわ。結局は火力よ」


 ふふん、と鼻を鳴らすカルナ。うむうむ、と頷くレオニダス。キラキラとした視線をカルナに注ぐロード。そうだそうだ、と笑うオルゲス。

 お互いがお互いの無事を喜び、笑い、語り合う。夜明けを走り抜いて、朝日を浴びたこの一瞬は、どうしようもなく価値のあるものの様に感じられた。


 全身の疲れも、ダメージも忘れて、全員で語らう。ぐちゃぐちゃな戦場跡地の真ん中で、ちぐはぐな笑い声が、朝焼けに透けて輝いた。


【赤い狂騒が空の彼方で目を閉じた】


【破滅は舌打ち一つに顔を歪めた】


【朝が来る】


【世界はまだ……終わらない】


【戦闘の終了を確認しました】


時限ゲリラクエスト『月紅導くは狂騒と破滅』が終了しました】


【イベントクエスト『墓守の銀、もしくは破滅の紅あるいは退廃的な死滅及び終焉』をクリアしました】


【世界は一つの区切りを迎える】


【クリア、おめでとうございます】

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