花谷愛理とのそれ

はやし

プロローグ


嗚呼。あゝ。なんともまあ良い天気だ。


交通安全委員としての仕事もこれなら捗るというものだね。そう思わないかい諸君。

いつもより一本早い電車に乗り、少女影山、つまり私は、窓越しに熱を伝えてる太陽に眉を寄せる。

座れはしないが押されもしない。これなら早起きをしたかいがあったと言えるかもしれない。

朝の電車は大体30分ごとにやってくる。高校の最寄りまでは一駅。そこから自転車で20分といったところだろうか。

その自転車がきちんと校内駐輪場の規定の場所に納められるか、申請をした生徒を示すステッカーは貼ってあるのかをチェックするのが、交通安全委員に与えられた‪今朝の‬任務である。

6分ほど電車に揺られ、向かう先は駅前のターミナル。そう、私はバス通学なので。

 

生徒の殆どが自転車通学をしているため、バス通学生は学年問わず殆ど顔見知った顔だ。

しかし当たり前ながらこの時間はまだ人がまばらで、珍しく二人掛けの席に一人で座れちゃったりする。

話す相手もいない。そういえば。初登校の日、バス停で他クラスの女の子が挨拶をしてくれた。一度だけ。

今度は自分から挨拶をかましてやろうと思っていたけど、私がもじもじしている(数週)間に彼女は彼女の新しいコミュニティを形成していた。おそらく同クラスか同学科の子と。体育が学科合同なのだ。

そんな彼女らもこのバスには乗っていない。静かであろう車内をイヤホンで閉じ込める。

気分はパンクロック。

 



一番乗りではなかった。たかだか30分の早入りはそこまで大きな非日常をもたらさなかった。

と、思った。その時は。教室の扉を、引いた時は。

花谷愛理と言葉を交わしたのはそれが初めてだった。

 

「おはよう」

 

影山さん、と。

花谷愛理は私の顔を見て、目を細めた。穏やかに。

 

「…おはよう」

「はやいね」

「は、花谷さん…も」

「そうだね。私のほうがはやいね」

 

ふっ、と軽く息をふき出して、笑う。

花谷愛理の放つ優しい春のような風に、私も短く笑い返して、好印象に努める。

 

私はまだ友達と呼べる友達ができていない。運良く同じ中学の子と同じクラスになれたのでいつもその子か、その子と話すクラスメイトと少しだけ会話をする。あと、席が近い人。地元中学の同級生というのは幼稚園の同級生と同意。言葉が上手く使えないころからの付き合いである。

こんな状況は生まれて初めてだ。

私はどうにも内弁慶であり、親しい友人に砕けた言い方は出来るものの、殆ど初対面の相手と一対一の会話などどうして良いかわからない。

ましてやこれから良い関係を築いていくべき相手だ。嫌われたくない。というか、私の愛想がないせいで嫌っていると誤解されたくない。

とりあえず自分の机脇にお弁当袋をかけるなどする。ペンケースを出してみたりする。

花谷愛理の席は一番窓側の列で前から2番目。私は一番廊下側の一番後ろ。遠いのだ。今回の会話はこれにて終了だろう。

そもそもあと数分で交通安全委員の集合時間で。

 

「どこいくの?」

 

再び話しかけられるなんて思ってもいなかった。

 

「あ、自転車、委員で、交通安全委員会の」

「自転車?影山さんてバス通学じゃなかったっけ」

 

なんで知ってるのだろうと一瞬考えて、初めのホームルームで担任に手を挙げさせられたことを思い出す。

 

「そうだけど。交通安全委員会の駐輪場整備?みたいな。そういうの」

「ふーん」

 

私の自転車、水色の、可愛いんだよ。

花谷愛理はまた笑う。ふふふ、とこんな綺麗に笑える人に初めて会ったと思った。

私も行こうかな。なんて言い出すから本当に驚く。昨日までの彼女の印象は物静かを絵にしたようだったから。

 

こうして交通安全委員としての初任務は、どこか落ち着かない気持ちを抱えたままでの遂行となる。

同じ委員の面々と解散し、気が付けば朝のホームルームに急ぎ足を運んでいたので、滞りなく終えたのだろう。

なんせ何も覚えていない。

花谷愛理の自転車は可愛かった。

 

 

 

 

教室は常の賑わいを取り戻していて、それと反比例するかのように私はほっと息をついた。

中学からのクラスメイト、多田芽衣は中央列。前の席に座る高橋りまと話をしている。私も自席に座することにする。

隣の小林君がお疲れ様と声をかけてくれた。

 

「今日のホームルーム、多分球技大会の種目決めだよ」

「そうなんだ」

「おれ、サッカー出ようかな」

 

小林君は英語研究部だ。多分。

 

「サッカーやってたの」

「うん。中学まで。って昨日も言ったよね」

 

多分。

 

「影山さんは何出るの」

「…わたし、は」

 

私は運動ができない。

 

「ドッチボール」

 

の、外野。でボールをパスするくらいはできるだろうか。

うちのクラスは女子バスケットボール部所属、元女子バスケットボール部が多い、1年生クラスにして女バス優勝候補なのだ。

得意な子はバスケに集中する。そしてみんな女バス以外の競技に全く興味がないようなので、ドッチボール(外野)で突っ立っていても反感は買わないと踏んでいる。

 

「ドッチボールね!見に行くよ、時間かぶらなければ」

 

来なくていいよと返そうとしたところを入室してきた担任の声に遮られた。

小林君は人好きのする顔でにこにこ笑い、その顔がなんとなくむかついたので、机に腕を組んで頭を伏せた。目を閉じてみて、自分が存外眠いことに気がついた。

紺色のセーター。オーバーサイズのそれに頬を擦り付けてみる。ぽかぽかと暖かい。春に匂いがあるならばきっとこれが、そう。

 

花谷愛理はどんな匂いがするだろう。

 

「は?」

「え、なにいきなり」

 

‪6時間目のホームルームで決めるってさ。‬

小林の親切に適当な相槌を打ちながら教室の前方を見やる。

途中、無意識に花谷愛理の座るほうを見てしまったような気がしたけど気のせいだと思う。

それに加え、花谷愛理と目が合ったような気がしたけど気のせいだと、思う。

 

「気のせい」

「なになに、こわい」

 

呟きが漏れた私に、なんか居たの、と口元を隠して近づいてくる。極々小さくしたのであろう声にはしっかりと好奇心が浮かんでいて、うるさい。

幸いにして廊下側最後列の私たちの会話なんて誰にも聞かれていないだろうが。

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