三月 雪の爛漫
絢爛と百花が咲き集う卒業式において、わたしはひときわ目立たない一輪だろう。
「
飛びかかってきた桜吹雪のような友人を抱き止め、頬へのキスをのけ反ってかわす。
「
「ごめーん! 椿沙があんまりかわいいから、ついつい」
緋いろの無地の着物に本紫の袴。全体的にくすんだ印象のわたしに、それでも友はやさしい。
「ありがとう。環奈もかわいい。やっぱりピンク似合うね」
「あ、椿だ!」
環奈がのぞき込んだわたしの後頭部には、真っ赤な雪椿がひとつ咲いている。
「あんまり地味だから、美容師さんが貸してくれたの」
「椿沙にはぴったりじゃない。黒髪に染めてよかったね。映えるもん」
「来月から社会人だからね」
少しずつ温みはじめた気温は、今朝急に下がって、空は低く重く暗い雲で覆われている。
「やだ、雪降りそう」
卒業式が行われた市民会館を出て、大学まで戻る道すがら、環奈が表情を曇らせる。空を見上げて、わたしもうなずいた。神様は、わたしたちの卒業を
「このあとどうする?」
環奈の問いに、「どうしようかなあ」とぼんやり答える。
「私、三時に写真館予約してるけど、それまで暇だから、カフェに行かない?
「それもいいね」
「さっそく連絡してみる」
携帯を操作する環奈の振り袖が、強い風に煽られる。花びらの一枚くらい散ったりして、と満開のそれを眺めた。
「正門は混むから、裏門で待ち合わせた」
「雪降る前には移動したいね」
いよいよあやしくなった雲ゆきに、わたしたちが足を早めて裏門にたどり着くと、とび跳ねながら大きく手を振る、
「凛ちゃん、久しぶり!」
「椿沙ちゃーん! よかった。見つかったー。電話したんだよ!」
「ごめん。気づかなかった」
走りにくそうに駆けてきた凛ちゃんは、わたしの腕を掴んでしばらく呼吸を整える。快晴を思わせる青い着物は、少し着崩れていた。
「みんなで写真撮ろうよ」
合流した結菜と杏も加わり、ひとしきり撮影すると、凛ちゃんが申し訳なさそうにわたしの袖を引いた。
「ちょっと一緒に来てもらえないかな?」
環奈はにっこり笑って、「来れたら来て」と、三人連れだって歩いていく。わたしは「ごめん。あとで連絡する」と言い置いて、凛ちゃんと並んで歩き出した。
「どこ行くの?」
「正門前のコンビニ」
「なんで?」
凛ちゃんは慎ましやかな装いには不釣り合いな、いやらしい笑い方をした。
「待ってるひとがいるんだ」
悪寒がして、わたしは足を止める。
「なにそれ。やだ、怖い」
凛ちゃんはへらへら笑って、尻込みするわたしの手を引く。
「大丈夫。怖くない、怖くない。店に来ていたお客さんだよ。正門で見かけたから、声かけたの」
凛ちゃんとわたしは、去年の夏まで同じコーヒーショップでアルバイトをしていた。そこで対応したお客さまは数え切れないほどいるけれど、わたしが頭に思い浮かべたのは、たったひとり。
春休みで閑散とする学部棟を抜け、正門が近くなると、人も車の流れも多くなった。談笑する学生たちの間を縫って正門を出ると、通りを挟んで向かいにあるコンビニの前に、そのひとはいた。まだ少し距離があり、往来する車に隔たれていても、彼はわたしを見ていた。
「椿沙ちゃんが辞めたあともね、店に会いに来てたんだよ」
励ますように、わたしの背中をつよく押し出す。
「今度ゆっくり、ご飯食べながら報告してよね」
「ありがとう」
凛ちゃんは校内にもどっていき、わたしは信号が変わるのを待つ。お互いに相手を認識しながら、なかなか距離が縮まらないのは気恥ずかしかったが、わたしはむしろゆっくり歩いて彼の前に立った。
「久しぶりだね」
「そうですね」
彼の前では声も態度も硬くなる。想いを悟られないための、ガキくさい反応だとわかっていても、余裕がない。
「寒いね」
「まだ春先ですからね」
「このまま冬に逆戻りするのかな?」
「さあ、知りません」
彼は声を立てて笑った。それはこのうす暗い空に似合わない、あかるい声だった。
「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
「ごめん。花も何もないんだけど」
「別にいらないです」
「袴姿の学生を見かけて、『今日卒業式なんだなー』って思ったら、ついね」
コンビニにも通りにも、まだ学生があふれている。彼はコンビニまでお茶を買いに来たような格好をしているのに、きちんとスーツを着こんだ男子学生より、ちゃんと大人に見える。着飾ったところで、この袴姿は、わたしがまだほんの学生で、彼とは遠く隔たっていることを強烈に認識させた。
「なんでここにいるんですか?」
「なんでだろうね」
つとめておどけた言い方をしていても、声いろが違っていた。
「理由がなくて」
彼は困ったように笑う。
「君がアルバイトを辞めてから、会えなくなった」
「当たり前でしょう」
「俺と、デートしませんか?」
わたしはじっと彼の表情をうかがった。
「……なんでですか?」
「他に会う理由がないから」
「彼女さん、いやがりません?」
「何も言わないと思うよ。一年ちかく、独り身なので」
いかにも冗談めいて語られる言葉は、本当に冗談なのか、冗談にまぎれされた本心なのか、わたしには判断できない。出会ったときから大人だったこのひとは、いつもわたしの手にはあまる。
「からかわれるのは、きらいなんです」
「仕事中より真剣なんだけどな」
「なんでもご馳走してくれますか?」
「いいよ」
「セントラルホテルのスイーツビュッフェに行きたいです」
それは思いつく限り、いちばんいやがられる選択肢だった。こんな目立つ格好の女を連れて、女性であふれる空間に九十分。甘いものが苦手なこのひとは、さすがに「ごめん。ジョークだよ」と、引き下がるかもしれない、と。
「いいよ。行こう」
ところが彼はにっこりと手を差し出した。
はじめから届かないひとだと思っていたから、失恋もできなくて。恋なんてしていないと、火種を叩いて叩いて消したつもりだった。今胸の奥の炎は、気づかぬふりなど許さないと、激しく燃えている。
だからといって素直に取ることができず、見つめるばかりの彼の手のひらに、ふわりと白いものが落ちた。
「あ、降ってきちゃった」
はらり、はらり、と散る雪は、神様からの祝花だったのかもしれない。はじめて彼がお客さんとして目の前に現れた日。あの日も桜が散っていた。
ひとたび降りだした雪は、まばたきするたび数を増す。お互いの吐息も白さを深めていた。
わたしは結局その手を取らず、背中を向けて彼の車の前に立つ。しかし、なかなかロックを開けてくれない。
「早く開けてください。濡れちゃう」
彼は目を細めて、ガチャリとロックを解除した。
「ごめん。きれいな雪椿に見とれてました」
爛漫と降る雪が、熱を持った頬に触れて溶けた。
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