コロナ雑記 ベトナムにて

@ayamarido

その1 1月14日 感染者確認

備忘録というか、せっかくこちらにいるので、記録を残します。

基本的にはViet Jo(日本語)とか、Vietnam newsいう、ベトナムニュースサイトの情報をもとにしつつ、あれこれ周囲の人の言葉などをメモっておきます。


2020年のベトナムにおいて、コロナ問題が語られ始めたのは、旧正月テト休暇(今年は1月下旬)の前あたり。

「中国でやばい病気が蔓延しつつあるらしい」

という情報が入ってきた頃で、最初は1月14日に、ダナン空港に到着した中国人2名に発熱症状が見られ、隔離して治療が開始される。

とはいえ、世間的には、翌週からの旧正月休み(1月23日~29日)で浮かれているので、そんなの関係ない。

学校はこの前後3週間ほど休みになり、職場も2週間ほど休みになる。さっくり言えば「盆と正月が一緒に来るような」大型連休。

観光地や親戚訪問などでの密集具合はともかく、旧正月の1週目は、スーパーを含めて大半の店も閉まるので、ある程度のソーシャル・ディスタンスが実行できてたのかもしれない。


なお、私自身は、テト休暇中は南国リゾートを満喫していた。

リゾート到着時、「武漢から来てないです」「発熱とかしてないです」「咳してないよ」というチェックシートを渡されたものの、リゾート具合は問題なし。

今にして思えば、この時点ですでに用心していたというのは、素早い対応なのかもしれない。ベトナムは、中国と国境を接しているし、SARSの時に何人もの感染者と死者を出したので、台湾と同じような緊張感があったと思われる。


1月30日

新たに3名のベトナム人の感染確認。

このうち1名が、ハノイ郊外(1時間ほど)ビンフック省にある日系企業スタッフだったというので、日本人社会にちょっと緊張が走る。

そして中国からの観光ビザ停止。航空便遮断。来越中の中国人観光客の追い出しにかかる。

感染が判明した日系企業スタッフは、旧正月で武漢に帰省していた中国人従業員から感染していたらしい(ベトナム人口頭情報。ニュースでは武漢での「研修」だとある。研修と里帰りを兼ねたボーナスみたいなものかも)。


2月1日

8名感染確認、首相による「流行」宣言。

この辺、今にして思えば迅速で適切。しかし、当時日本人の間では「やり過ぎだろう」「でもまあ、ベトナムの医療体制を思えば、そうかもね」と完全に上から目線であった。とはいえ、ベトナム人の間でも「流行が宣言されたぞ」「やばいな」くらいで、日常生活に大きな変化はなかった。

「手洗いをしよう」「咳エチケットを守ろう」「治療より予防がいいぜ!」といった、啓蒙ポスターを見かけるようになる。


とはいえ、この流行宣言により、学校の旧正月休みが延長された。親御さんたいへんじゃないかと思いきや、親御さんの評価はすこぶる高かったらしい。ベトナムは共働きが基本なので、夫婦だけの家族は結構たいへんだったみたいだけど、そういう時はだいたい、ばあちゃんが出てきて面倒を見る。子供を大切にする国民性。


日本人学校は、ベトナムの学校ではないので、当初はしれっと再開したが初日で閉鎖命令。「1週間休校します」と言われていたのが、ずるずる延長に延長を重ねて、結局2月は1日しか通えなかった。


この頃から、ベトナムでマスク不足が深刻化する。

みんなが買うから無くなった感じ。日本製のマスクの高値転売がニュースになる。


2月5日

週末のハノイ歩行者天国中止決定。

とはいえ、商店の様子などにさほど変わりは見られなかった気がする。子供が暇そうにスマホをいじってる場面があちこちで目撃される。


2月10日

ベトナム政府、中国政府宛に医療支援。人工呼吸器や防護服、手袋、医療用マスク等。ベトナム人を連れて帰る特別機に積んで行ったみたい。日本でもそんな方法が取られたと聞く。

またこの頃、世に名高き「ダイアモンド・プリンセス号」が、ベトナムのフエ・ハロン湾に寄港していたというので騒ぎになる。が、半分笑い話。結局このDP船のせいで感染したという例は聞こえなかった。


2月11日

ホーチミン市政府が、スーパーなどでマスクを無料配布を検討するよう指示していた模様。ただ、市中からマスクが無くなっている状況で、スーパーなどがどうやって確保できるのかは知らん。ベトナムは理念が先行することも多い。「配布を検討するように」という指示だから問題ないと思うが、日本じゃ袋叩きじゃないか。。

ちなみに、3月22日にイオンモール・ハドン店では、ちゃんと布マスクの無料配布が行われてた。


2月13日

ベトナム全土で、感染者16名に。このうち11名が、1月末に初期の感染者を出した、例の日系企業などがあるビンフック省に集中しているというので、中心地たるソンロイ村がまるごと封鎖される。感染が疑われる人は施設へ。その他の村民は自宅。ちなみに人口は、wikipedia情報によると、1999年時点で7,692人。それから20年たってるから、1万人くらいになるのじゃないか。

移動販売の人が来て、生存に問題はなかった由。自宅で隔離するひとは1日6万ドン(300円くらい)、施設の人は4万ドン(200円くらい)が支給されたとか。

ちなみに封鎖期間中、村民の一人が、他村にいる恋人に会いに行ったというので、氏名と生年をwikipediaに晒されていた。まじか。


この日の時点で、5,110人の中国人労働者が、隔離措置を受けているという。

企業の寮や自室などでの待機といったかたちである。

 

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