第一話.探偵と象⑧

「すごいな……もちろん確認はしないといけないけど、なんでそこまでわかったんだ?」

 俺は雨恵にいてみた。さんざんからかわれたことを思い出すとなんだか悔しいけど……降参だ。

 あまはまだ俺の机の上に居座っている。俺の言葉にきょとんとして、それからもどかしげな声を出す。

「ゑぇぇー!? それを今まで説明してたんじゃん! 聞いてた?」

 突き出された雨恵の素足に胸のあたりを突っつかれて、俺は椅子ごと倒れそうになった。

「き、聞いて納得したから不思議なんだよ。普通、あれだけとっちらかった情報の中から今みたいな結論は出せないと思うぞ」

 ボンクラの俺は元より、入試トップクラスのゆきにだってそんな曲芸じみた思考はできなかったのだ。

「……雨恵は昔から、勉強はできないけど、こういうおかしな問題に行き合うと変に知恵が回るんです」

 年季の入った双子だけに、雪音は姉の思考力には驚いていないようだ。ただし、あきれてもいるようだった。

 その呆れられた姉は、後頭部に手を当て、照れたように笑った。

「ぇへへ。ほら、勉強ってつとめているって書くじゃん。ファシズムだよ。ファシズムよく知らないけど」

 つまり、興味を持てば尋常でない集中力を発揮するが、興味のないことには一切身を入れて取り組めないということだろうか。生真面目で責任感の強そうな妹とは、まさに正反対の性格だ。

 ……ともかく。

 俺は椅子から立ち上がった。見上げてくる雨恵に、小さく頭を下げる。

「とにかく、助かった。後は……そうだな、適当な理由を付けていとぐち先輩に会って、お姉さんがいないかいてみる」

 面識のない上級生に突撃するのは気後れするが、浮気を追及したり浮気相手を見つけ出すよりは何万倍も楽なミッションだ。それでお姉さんの存在が確認できれば話は終わる。

 もしお姉さんがいなかったら……まぁ、その時に考えよう。

 しかし、少なくとも今この時、俺はやま雨恵の考えを支持している。ここまで成立した理屈が偶然とは思えない。だから、

「ありがとう山田さん。話、聞いてもらってよかった」

 顔を上げて、素直に礼を言う。

 ……が、反応は返ってこず、雨恵は半眼になって無言で俺を見つめてくる……どうやらごまかせないようだ。恩がある以上、無視もできない。

 俺はなんとなくネクタイをいじって、浅い呼吸を挟んでから言い直した。

「ありがとう……雨恵」

「ぅひゃぁ。やっぱ、なんかカユいや」

 自分で言わせといて、あまは体を抱き締めるようにしてもだえている。世話になっておいてなんだけど、めんどくさいやつだな……

「て言うか、名前くらい言われ慣れてるだろ……?」

「家族や女友達にはね。でも、ここ何年も男子には言われてなかったし」

 意味がわからず首をかしげると、ゆきが補足してくれた。

「中学ではずっと別クラスでしたから。二人とも『やま』呼びされてました」

 そして高校は始まったばかりだから、名前で呼ぶのは俺だけということか……なんだろう、余計に恥ずかしくなってくる。顔が熱い……

 俺が戸惑うのとは交代に鳥肌も収まってきたか、雨恵はちょっとだけ真面目な顔を向けてきた。

「でも、あたしが今みたいに考えられたのは、むらくんのお陰なんだよ」

「俺……? え、でも──」

 俺はただ、ことはしさんたちから聞かされた話を整理して姉妹に話しただけだ。

 しかし雨恵は、うン、と深くうなずいた。

「戸村くんはさ、マリーにちやりされたことを、マリーの性格の悪さと取らないで、先輩に対するいじらしい乙女心の表れだって考えたでしょ?」

 そういえば、そんなことを言った気もする。琴ノ橋さんのそういう必死さもあって断りづらかったのは確かだ。メインは女子グループがこわかったからだけど。

「女の子のワガママ一つにも、その子のゴーマンさとか、不安だとか、強い恋心だとか、いろんな側面がある。

 だったら、三人に見える謎の女が、実は一人の女かもしれない──

 そんな風に思い付いたから、さっきの考えは出てきたんだよ。て言うか、その発想がなかったら考えてみようともしなかったし。カップルの浮気だとか痴話げんなんて、なんも面白くないからね」

 面白いかどうか。それが、怠惰な雨恵が持つ行動原理の全てらしい。人の困り事に向き合う姿勢としてどうかと思うのに、不思議と悪い感情が浮かんでこない。

 初めて会うタイプの相手だった。俺の隣にいて、別の世界を見ている。見せてくれた。

「だからさ、戸村くんのお陰」

 そんな雨恵から感謝のように言われても、どうにも受け取りづらい。

 言っていることは解る。俺の言ったことがスイッチになって回路がつながり、今回の推論を組み上げられたということだろう。それにしても、やはり雨恵の思考のジャンプ力は普通じゃないと思う。

「……まるで、『ぐんもうぞうひようす』だね」

 俺たちの会話を聞いていたゆきが、ぽつりと言った。象……? と目で問いかけると、すらすらと説明してくれた。

「たしかインドの説話で、目の不自由な人たちが一頭の象をでた時、それぞれ全く別の感想を言うという話です。足に触れた人は柱だと言ったり、耳を触った人は扇だと言ったり……象くらい大きいと、手探りでいくら撫でてみたところで全容は知れません。

 目の不自由な人を見識の狭い人の例えにしているところがあって、その面では旧弊でナンセンスな話です。でも、物事の一面を見て全体を知った気になってはいけない、という戒めとしては今でもたびたび引き合いに出される寓話ですね」

 さすが委員長、博識だ。そしてまさに今回の一件を表すような話だった。

 派手な「傘の女」は象の鼻、髪をばっさり切って心機一転した「朝帰りの女」は象の脚、母親になる体に合わせて装いを変えていく「ランジェリーショップの女」は象の胴、結婚したことで変わったはしもとという名字は象の尻尾──それらのパーツを一望できる視野を持てれば、一頭の象、一人の女性をいだすことができる。

 その考えに及ばなかった反省からか、雪音は目を閉じて重めの吐息を胸元に落としている。いやまぁ、普通は思い付くもんじゃないと思うけど。

 そうして妹から姉に目を移せば、窓外に広がる夕空を眺め、なにやらしみじみとつぶやいていた。

「乙女心は象よりずっと大きいってことだね……知らんけど」

 知らないのかよ……

 それはそれとして、いい加減、俺の机から降りてほしかった。

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