第九章 蘇る悪夢

9.1.Side-ヴァロッド-交渉


 テクシオ王国の兵士と一緒にアストロア王国へとやってきたヴァロッドたちは、やはりというべきか恐れられていた。

 当たり前の反応だなと思いながらも、彼らは王城へと足を運ぶ。


 ここからが少し大変だ。

 今から王に直談判しに行くのだから。

 だが今回は特例中の特例……と言っていいだろう。

 なにせ、アストロア王国の国王からの直々の呼び出しなのだ。


「今回は、それなりに話はしやすそうだ」

「そうだな。前回はあの方の息子との交渉だったからな……」


 ヴァロッドの呟きに、ディーナが頷く。

 フェンリルとエンリルの説明をしに行った時に会話をしたのは、国王の息子……。

 要するに王子と交渉したのだ。


 その時国王は病で寝込んでおり、顔を見ることすらできなかった。

 だが今回はその国王が話を聞いてくれる。


「とはいえ、一筋縄ではいかなさそうだな」

「そりゃそうだ。こちらは戦争に勝利したし、それなりに強く出ることができるかもしれないが……あのグリフィード様だ。私たちのことを許してくれるかは分からない」

「そうなれば、俺たちのライドル領を本格的な国にするだけさ」

「はぁー……なんで私はあんたの下に付いちまったんだろうなぁ……」

「腐れ縁だからな」

「否定できないねぇ」


 軽口を叩き合いながら、二人は案内された部屋の前で立ち止まる。

 ノックをした後、ヴァロッドが自分の名前を言った。


「ヴァロッド・ライドルです」


 すると、ゆっくりと扉が開かれた。

 使用人二人が中から扉を開けたようだ。


「どうぞ。グリフィード様がお待ちです」

「ああ」


 二人促されるまま中へと入る。

 どうやらここは寝室のようだ。

 中には様々な物が整理整頓されて置かれているが、決して華やかではない。

 治療に専念するために多くの医学書や薬品などが置かれている。


 これを見ただけでも、国王の症状は未だに良くないのだということが分かった。

 今はたまたま調子がいいだけだろう。

 ベッドに上体を起こして座っている人物が、二人の顔を見て口を開いた。


「来たか」

「お久しぶりです、グリフィード様……。ヴァロッド・ライドルにございます」

「堅苦しいのは良い。楽にせよ」

「はっ」


 彼がこの国の国王、グリフィード・アルトリアである。

 髪は白くなり、かつては屈強だったその肉体も病に蝕まれて痩せ細っていた。

 顔の肉もほとんどなくなり、弱弱しく咳をする。


「儂はどれくらい寝ていたのだ?」

「私には分かりかねますが……一月は寝ておられたかと。エリアス様と交渉をした際、グリフィード様はお越しになられませんでしたので」

「ああ……あの馬鹿息子か……。話は聞いている」

「では……」

「まずはその話をしよう」


 久しぶりに会ったといっても、今は敵同士のような関係だ。

 こうしてここにヴァロッドが来ることができているのは、彼の助力があってこそ。

 だがグリフィードはヴァロッドを自分の前に呼ぶだけの価値があると理解していた。


 フェンリル、エンリルの話を聞いてから、それをずっと考えていたのだ。


「エリアスが……ライドル領への支援を切ったそうだな」

「はい。フェンリル、エンリルのことをお伝えしたところ、彼らに不利な要求を叩きつけられましたので、私がそれを拒否した故の行動だとは思いますが」

「王族にたてつける人間など、お前くらいしかいない」

「きょ、恐縮です……」

「だが、それが正しい」


 グリフィードはテクシオ王国のことをよく知っている。

 エンリルがもたらす平和は他の何にも代えられないものだ。

 あの国の研究者たちは、本当によく調べてそれを各国へと伝えていった。

 普通、それを自分たちの知識だとして隠すのだが、彼らはあえてそれを公開した。


 同じ過ちをせぬように、教えてくれたのだ。


 だというのにエリアスは目先の利益に目が眩み、エンリルを飼いならして家畜のような扱いをしようとした。

 民のことを考えるのであれば、その行動は愚者のやること。

 テクシオ王国の研究を無下にし、民の平和を脅かす行為だ。


 自分があの時床に臥せていなければ、真っ先にヴァロッドたちの支援を手厚くしただろう。

 アストロア王国領地のライドル領に彼らがいたと知れば、そうしたに違いない。


 あの地は元々酷い土地だった。

 魔物は多く、浸食も始まっている可能性がある場所。

 だがそれを冒険者から成りあがったヴァロッドに任せることにより、魔物を鎮静化させることに成功した。


 しかし、それはエンリルの力もあってのこと。

 二年でここまで安定させられるものなのかと当時は驚いたが、エンリルがいたというのであればそれも納得だ。

 やはり彼らの存在は、人間の存続にとって非常に重要なものなのである。


「倅の不始末だ。儂がすべて保証しよう。被害はどれくらい出たのだ?」

「……戦争での被害は、こちらには出ておりません。あるとすれば交易によるものなので」

「……フェンリルやエンリルは……そこまで強いのか」

「はい。サニア王国約一万の兵を、一瞬で殺したところを見てしまいましたので……確かな強さを有していると思います」

「儂らの兵が瞬殺された、という報告にも納得がいくな」


 アストロア王国の兵はエンリルに任せていたが、やはり結果はどちらも似たようなものだ。

 あれらに勝つことのできる人間は、この世界にほとんど存在していないだろう。


 グリフィードが軽く咳をする。

 ヴァロッドを見つめ、小さく頷いた。


「アストロア王国はライドル領の発展を望む。フェンリル、エンリルと共に歩む道を選ぶことのできたお前たちには感謝しかない。これから我らはライドル領を手厚く支援することを誓おう。代わりにライドルはフェンリル、エンリルとの関係向上に努めよ」

「承知いたしました」


 使用人が何かを羊皮紙に書いていたらしく、それをヴァロッドに手渡した。

 見てみればそれは契約書であり、今グリフィードが口にした言葉が記されていた。


「名を書くのだ」

「はっ」


 契約書を今一度目を通しヴァロッドはそれに名前を書いた。

 その後グリフィードにも手渡され、名前を書く。


「これで、戦争は終わりだ」

「はい。ですがよろしいのですか? こんな好条件を……」

「今後のことを見てゆけば、これくらいの条件では足りんと思うがな。それに、戦争に負けたのはこちらだ。する必要はなかったのだがぁ……」

「はははは……」

「で、サニア王国の方はどうするつもりだ?」

「はい。それはテクシオ王国に任せています。どうしてもしなければならないことがあるらしくて……」

「ほぅ?」


 とはいえ、当事者であるライドル領の人間もそちらには向かわせている。

 ハバルとレイドだ。

 ハバルがいるので交渉は問題ないだろう。

 それにテクシオ王国の者もいる。


 しかし、しなければならないことだけは教えてくれなかった。

 彼らはサニア王国と何か因縁があるのだろうか?


「ああ、そういうことか」

「何か分かるのですか?」

「サニア王国がライドル領に訪問したことは知っている。そこで起きたこともな」

「はぁ……」

「ヴァロッド、お前はこういうことに疎いな。分からんか」

「すいません……」


 呆れたような、いや、昔と同じヴァロッドを懐かしむようにして笑いながらため息を吐いたグリフィードは、その答えをヴァロッドに教えた。


「サニア王国の王子は、白と黒のエンリルの毛皮を羽織っていたそうではないか」

「あっ」

「それを奪い返そうというのだろう。テクシオ王国……彼らは本当に、償おうとしている」


 窓の外を通りすぎた鳥が、甲高い声で鳴いた。

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