第2話


母上が毒で亡くなった。基本的に食事は僕が用意していた。毎回毒の確認はしていた。なのに、毒で亡くなった。母上が意図的にそれを口にしたとしか思えなかった。それに先日の言葉、それがこの考えを確信に変えていた。


 めったに見かけない使用人が来て、母上の亡骸を運んでいく。それが現実には思えなくて、泣くこともせずに見ていた。ああ、ノイズがうるさい。ひそひそと、母親が亡くなったのに泣かない子だ、とか、いらない皇子、とかそんな言葉をささやかないで。周りが悪意を持ってその言葉を口にしているって知っている。でも、仕方ないじゃないか。


 わからないんだ、まだ。母上にもう会えないことをどう受け止めたらいいのか。大切な人との別れなんて、初めてじゃない。初めてじゃないはずなのに、まだわからない。涙をこぼせばいい? 泣き叫べばいい? でも、悲しいと感じるはずの心がぽっかりと空いてしまった気がして。何も感じないんだ。まだ、母上の言葉を耳が覚えている、母上のぬくもりを体が覚えている。亡くなってなんかいない。僕の中ではまだ母上が生きている。


 じっと見つめていたはずなのに、気が付いたらもう母上が入っていた棺はすっかり運び出されていた。僕はこれからどうしたらいいのだろう。いや、どうしようもなにも、生きていくしかないんだけれど。ねえ、ミベラ様? あなたは僕に何をしてほしかったのですか。僕が感じたこと? 何も、感じないよ。ねえ、やっぱり僕が特別を望むのは間違っていたのかな……。



「スーハル、スーハル!

 ……スーベルハーニ!」


「え……、あに、うえ?」


「ああ、よかった、俺の声が聞こえるな?」


 どうして、兄上がここに? 遠征に、いっていたはず?


「体が冷え切ってる。

 とりあえず中に入ろう」


「兄上?」


「なんだい?」


 ふわりと、僕を抱き上げると中に入っていく。久しぶりに見た兄上。優しい瞳でこちらを見ている。どうして、どうして怒らないんだろう? 母上のこと、頼まれていたのに。


「どうして、僕を怒らないの?

 兄上に、母上を頼まれたのに……」

 

 兄上の長い脚では外から中まではあっという間で、すとんと椅子に降ろされる。離れているぬくもりに、なぜか不安になって手を伸ばした。じっと、兄上を見ているとすとん、と膝をついて目線を合わせてくれる。そして伸ばした手を包み込んでくれる。


「ごめんな、一人にして……。

 ありがとう、俺がいない間母上を必死に守ってくれて。

 怒られるとしたら俺の方だよ。

 いいんだよ、一回くらい殴って」


 ほら、と言われても……。兄上を殴る意味が分からない。固まって動かない僕に苦笑いをして兄上は何かを取り出した。そしてそれを僕の手に握らせる。


「これは?」


「母上の形見、かな。

 母上がスーハルに渡してほしいって、以前言っていたんだ」


 母上の形見……。手元を覗くと差し込む日を受けてきらきらと輝く懐中時計があった。一度だけ見たことがあるそれは、母上がとても大切にしていた覚えがある。確かおじい様にもらったって言っていたっけ。


「これを、僕に?」


「そう。

 最後に会った母上は、スーハルにとても感謝していたよ。

 そして、謝っていた」


 謝る? そういえば、この前も母上は僕に謝っていた。でも、謝ることなんて何もないのに。僕は何もできなかったのに。


「まだ、理解できなくていい。

 でもね、母上にとって、そして俺にとってもスーハルの存在は救いなんだよ。

 いろいろな意味で。

 だから、スーハルには権力に関係ないところにいてほしい。

 俺が、きっと守るから……」


 僕が、救い? 言っている意味が分からないよ。でも、本当にきれいな懐中時計。ぱかっと蓋を開けてみると、カチカチと時を刻んでいるのが見える。その蓋の裏、そこに小さな一枚の絵? が入っている。ここには写真という技術がないから、たぶん絵。でも、写真みたいだ……。


「これ、母上?」


 ひょこっと兄上が手元を覗き込む。そして、あ、と小さく声を上げた。


「これ、スーハルが生まれたばかりの時の絵だ。

 母上と俺と、それにスーハル。

 そっか、母上はこれをスーハルに遺したんだね」


 母上……。陽斗が入った僕としての母上との記憶はこの前の散歩だけ。でも、スーベルハーニとして過ごしてきた数年間の記憶が僕には詰まっている。とても大切な人だった。でも、もういない?


「あ、兄上。

 ぼ、僕、僕は……」


 なんで、なんで今涙があふれてくるんだろう。心は冷静、なはずなのに。だって、僕はスーベルハーニだけど、陽斗でもある。なのに、なんで……。


「スーハル、身勝手な願いかもしれない。

 でも、どうか母上のことを覚えていてくれないか?」

 

 どうして身勝手なんていうの? 母上のことを覚えているなんて、当たり前じゃないか。そういいたいのに、どんどんあふれてくる涙で言葉にできない。せめて、と僕は必死に首を縦に振った。



 

「隊長、そろそろ戻りませんと……」


「はは、曲がりなりにも皇帝の妃が亡くなったっていうのにな……。

 国民はきっとそのことすら知らないのだろう」


「隊長……」


 ん、なんか声が聞こえる? いつの間にか寝てしまったみたいだ……。なんだか外も明るくなっている気がするし。


「あに、うえ?」


「ああ、起きたか。

 すまない、これから少し出なくてはいけなくてね。

 また帰ってくるから、ここを頼んでいいか?」

 

 兄上が、行ってしまう。いつものことなのに、それが急に不安になる。思わず裾をつかむと、困ったような笑顔を浮かべてしまった。困らせたいわけじゃ、ないんだけど……。


「ごめんな。

 でも、今ここを任せられる適当な人がいないんだ。

 なるべく早く戻るから」


 な? と言われるとうなずくしかない。手を離すと、兄上は僕の頭を一撫でして迎えに来た人とともにどこかへ行ってしまった。どうしよう、何もしていないのは嫌だ。自分でもよくわからない感情が襲ってきそうだから。……、書室に行こうかな。あそこには本がいっぱいある。きっと、それに集中すればそのうち帰ってくるよね?



「初めて拝見しましたが、あの方が、第7皇子スーベルハーニ様ですか?」

 

「ああ、かわいいだろう?」


「かわ、い……。

 ええ、そうですね。

 なんというか、好感が持てる方でした、珍しく。

 守りたくなるというか……」


「あの子はまだ外のことを知らない無垢な存在だから。

 だから、俺みたいに汚れた存在からはとてもまぶしく見える。

 真綿にくるんでどこまでも大切にしたくなる。

 でも、きっと運命からは逃れられない……」


「例の件、ですか……。

 隊長は汚れてなんていませんよ。

 でも、どうして隊長があえてここにいるのか何となくわかりました」


「そうかい? 

 ……、俺にとってスーハルは光だよ。

 俺が俺でいられる理由だ」


「本当に、大切に思われているのですね」


「もちろん」


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