1章 皇国での日々

第1話



 あ、知らない部屋、ではないか。ミベラとか名乗っていた神? と話していて今ここにいるということは、まあつまりここがミベラの世界なのだろう。外を見るとまだ薄暗い。もう少し寝ていていい時間だろうし、一度自分のことをちゃんと思い出すことにしよう。


感覚的には、この体の人格に、弥登陽斗が混じった、という感じかな。だから、もともとのことも覚えているし、それが他人、というよりもちゃんと自分自身だ。


 僕はスーベルハーニ・アナベルク。アナベルク皇国のえーーっと、第7皇子、と。僕が末っ子で8歳。皇女も4人いるし皇帝子だくさん過ぎない? それに娶りすぎ。皇后に皇妃に、側妃が3人? なんだかなー。

しかも妃のなかで母上が一番身分が低いから冷遇されているみたいだし。元が庶民となってしまった僕はそんなに気にならないけれど、ほかと比べるとここの暮らしは質素すぎるらしい。


 母上はとても優しいけれど、体が弱く寝込んでいることが多い。同腹の兄弟は兄が一人だけ。第3皇子であるスランクレトは16歳で、騎士団に所属しているからあまりここにいないんだよね。気にかけてはくれているみたいだけれど。今もどこかに遠征に行っていてしばらく顔を見ていないし……。

 

 こんなところかな? なんの才能もないし、後ろ盾もないってほかからは見向きもされていないみたいだし。まあ、ありがたいことではある。これで食事に毒とか……、いれられることあったか。もういいじゃん、放っておいてくれて! 権力とかいらないし。

 

 神様? ミベラ様? 確かにある意味特別な立場かもしれない。でもこれは違う! こんなどろどろした感じの特別いらない。切実に。ひとまずこれからどうしよう……。どうしようといっても、いつも通りの生活を送るしかできないか。


 日が昇ってきてしまったのであきらめてベッドから出る。朝になっても誰も起こしに来ない、これは本当ならおかしいことだろう。まあ、このスーベルハーニにはいつものことだけれど。


スカスカのクローゼットから今日着るものを取り出す。洗濯もしないとまずいかな。さて、母上の様子を見に行ってから朝食を考えなければ。


「母上、スーベルハーニです。

 体調はいかがですか?」


「スーハル、おはよう。

 今日はね、体調がいいみたい」


「本当ですか?

 よかった」


 にこりとはかなげにほほ笑む美人。これがわが母である! 黒い髪で真っ白な肌が際立っているし、目の赤もとてもきれい。僕は母上からは慣れ親しんだ黒髪を、そしてまったくもって尊敬できない父からは蒼の目を受け継いでいる。せっかくなら赤の目を引き継ぎたがったのに。


「朝食を準備しなくてはね」


「あ、僕がやります。

 母上は休んでいて」


「そう?」


 せっかく今は体調がいいのに、無理してすぐに崩してしまったら大変だ。ベッドから降りようとする母上を慌てて止めると、困ったような笑みを浮かべながらも戻ってくれる。よかったよかった。


「後で散歩に行きましょう?

 今日はいい天気ですから」


 ええ、とうなずいてくれるのを確認して、ひとまず僕は朝食を準備するためにキッチンへと移動することにした。危険はあるものの母上と、たまに兄上が入っての穏やかな日常。確かに特別、かもしれない。それに陽斗が望んだものと近い。うーん、これを願いを叶えてくれたと解釈するべきか。でもなんだか悔しい。


 定期的に届けられる食料。それを使って簡単に料理をする。と言ってもパンを焼いてジャムを塗ってとかそんな本当に簡単なものだけど。どこに何が仕掛けられているか油断ができない場所だから、毎回銀製品を使っての確認、あとは一応母上に出す前に自分で一口は食べるようにする。絶対に僕よりも母上のほうが耐性ないもの。よし、この食事も大丈夫そう。


 早速母上に持って行って食べてもらう。その間に自分の食事も済ませて、あと洗濯も! 本当に皇子って感じ皆無だけど、僕にはこっちのほうが落ち着くのかもしれない。ただ、うすうす感じていたけどここは日本ほど科学技術が発展していない。だから洗濯もごく原始的なものなのだ。つまり、うん、手洗いですね。二人分だし量は多くないんだけど、これが結構大変。おかげで僕の手もあれている。これがごくごくたまに会う皇后さまたちに馬鹿にされる原因でもあるけど、仕方ないよね。誰も洗ってくれないんだもの。


 まだ小さい手では時間がかかってしまったけれど、なんとか洗濯も終えてもう一度母上のところに。午前中には邪魔が入る可能性がとても低いのだ。午後もこの辺りまで人が来ることは少ないけれど、念には念を入れて。


「母上、散歩に行きましょう」


 ひょこっと顔を出すと、ちょうど支度が終わったところだった。皇后さまたちが着ている、一人では着れないようなドレスとは比べ物にならないあまりにも質素なドレス。いや、ドレスというよりもワンピース? でもそれが母上にはとてもよく似合っている。僕の自慢の母上だ。


「待たせてしまったわね。

 行きましょうか」


「い、いえ!」

 

 いけない、ぼーっとしていた。慌てて母上の手を取る。そして、いつもの散歩道へと向かうことにした。


「まあ、もうこんなに花が咲く季節になっていたのね。

 最近は過ごしやすくなってきたな、とは思っていたの」


「そうですね。

 あまり手入れもされていないはずなのに、本当にきれいに咲いて……」


「ええ」


 母上はおもむろにしゃがむと、一本の花を手折る。母上の瞳の色のように美しい赤の花。そして、その香りを楽しむようにそっと顔に寄せた。


「ああ、よい香りだわ。

 こんなに美しく咲いていても……」


「あの、母上?」

 

 なんだかいつもと様子が違う? 単に陽斗の記憶を自覚したせいでそう感じるだけなのか……。あ、そういえばよくある記憶が戻る際の高熱、なかったな。まあ、こんな状況で寝込んでもかなりまずい状況になるだけだから助かるけど。そんなことを考えていたら、母上がこちらを向く。その瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。


「ごめんね、スーハル。

 スランにもとても申し訳ないと、そう思っているの。 

 心優しいあなたたちを、縛り付けてしまっていること。

 弱い母でごめんなさい。 

 わたくしがあなたたちにできることは、もう多くない。

 こんなことしかできない母で、ごめんなさい。

 でも、母は二人を愛しているわ、心から」


 母上? そう発した言葉は母上の肩口に吸い込まれていく。瞳からは耐えきれなかったのかぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。ぎゅっと抱きしめられて、安心する香りとぬくもりを感じる。なのに、なぜかどうしようもない不安が僕を襲っていた。





 母上が何者かによって仕込まれた毒で命を絶ったのは、それから数日後のことだった。



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