第三章 学園ラブコメと侵略者
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スーパーに併設されたATMにお金を入金する。一度に入金できる限度額は二〇〇万円。だから私は二回に分けてATMを操作しなければいけなかった。
「……まさか本当に記帳できるなんて」
アパートの中でもその枚数を数えたけど、それが通帳に印字されると感慨もひとしおだ。
入金額は二八三万円。サラリーマンの手取り年収レベルの金額。これならば少なくとも年内であればバイトを一つ辞めてもいい額だ。休日手数料で目くじら立てる必要も無い、珍しく私は通帳を目にして余裕を感じている。同時に記帳された両親からの振り込みは相変わらずの雀の涙でも今は許せる。
そして恐ろしい事に「取引」という概念を覚えてしまったがためにかぐやは私が彼女に協力するごとにそれなりの金額をイース式錬金術で提供する事を確約。貧乏学生から一転して「普通」の生活に手が届くようになり始めて……このままかぐやにべったりすればそれこそ億万長者に……なんだかそれは宇宙人のペットというかヒモみたいでいやだけど、プライドが許す範囲で彼女に協力すれば少なくとも今よりましな生活を送れるのは確かなようだ。
土曜日はそれ以降大きなイベントは無かった。かぐやはアパートの中を二人で生活できるように生活用品を3Dプリンティングして忙しかったし、私も夕方のそば屋のバイトに向けてお昼寝。そして夕方は二人でそば屋に行き私は出前・かぐやはそばの探求もといまたお客さんにおごられてとそれぞれの行動に邁進。
地球人からしたら万能に見える活動体も疲労はあるようで、午後に錬金術をフルで使っていたからか、帰りにかぐやは前カゴのなかでぐっすり眠っていた。ヘッドライトの方へ頭を凭れてくるのは邪魔で仕方が無かったけど、こうしておとなしくしている分には彼女は美女で……本当になんで私と一緒に行動しているのか分からなくなる。体重が軽い事だけが救いというか、私は彼女を私の布団の隣に敷かれたイース製の布団の中に寝かせて、私自身も一日を終わらせた。
そして日曜日。金銭で誠意の形を見せたかぐやに義理を果たすべく、私は配達の終わりに所長に辞める旨を伝える事にした。
「……別に今すぐというわけじゃないんですけど、お金のあてが見つかったのでそちらの都合が良い時期で辞めさせていただくことは可能ですか」
「ああ、それだったら明日から来なくて大丈夫だよ」
「え、明日からで……大丈夫なんですか⁉」
仕事において欠員を出すのはそのまま会社全体の利益の低下につながる。とりわけ運送業などでは一人の穴を全体で分担しなければいけない。この営業所では体感各スタッフがギリギリの分量の新聞を抱えては街をかけずりまわっていた。おごる訳じゃないけど、私一人消えるだけでも一人当たりの分担量はえげつないものになるんじゃ……。
「いやー実のところ言うとものすごい美女がよさそうな希望者を紹介してくれてね。今すぐにでも雇いたかったんだけど、ほらウチみたいにギリギリでやりくりしている所って無制限に人を雇えるわけじゃないからね。給料払うには誰か辞めさせないとって丁度思っていたんだよ」
ものすごい美女というキーワードに私は心当たりがありまくりだった。アイツ……こうなる事を見越していたのか⁉
「それにほら、この仕事って重労働でしょ。君みたいな女の子には荷が重いし、仮に体が壊れても補償とかね……出すことになるとウチの営業所にクレームが来てその処理に困るし、ああ、もちろん保険は適応されていたよ、何かあったらもちろん。でもね、ウチとしても良い人が入るならそっちを優先したいな、ってね」
もう自分とは関係ない、そう思った瞬間に人間はいくらでも横柄になれる。目の前にいるおっさんはその典型例と言わんばかりに余計な事を洪水のように吐き出す。
「君としても良かったんじゃないかな。こんなおっさんだらけの場所を辞められて。正直息苦しかったでしょ。お金に都合がついたんだったらいいじゃない。勤労学生返上、働かなくていいなんておじさん羨ましいよ」
そう言い放つと所長は思い切りたばこを吸い始める。営業所内でも最もヤニが強いそれをストレスと共に思いっきりはき出す。俺はもう満足、彼の顔にはそう書いてあった。
私はそれを見るとなんだか何もかもバカバカしくなって、形だけあいさつを済ませると営業所を出て自前のカブプロに跨った。
「チッ」
惜しむらくは新型のプレスカブに乗れない事。数か月の間だけど暖気の要らないセルでいきなり発進できる彼らは急停車・急発進・急始動を必要とする新聞配達で頼りになるパートナーだった。
だけど――
「クソが‼」
シフトペダルを踏んでも、全速力を出しても気分が晴れない。一年数か月、確かに私が営業所に貢献した期間は他のスタッフと比べると短いかもしれない。だからって……私は自転車をこいでいた時から大人と同じ分量の仕事をこなしていた。お金のためとはいえヘルプだって積極的に入っていた。なのに……少なくともあのおっさんは私の事をただの子供だと侮っていた……。
こんな仕打ちを受けたら所長からかぐやの事なんて聞く気が失せる。今までは少しだけど誇りに思っていた労働の疲労も今ではただの徒労にしか感じない。その日はそば屋のバイトが休みなのを良い事に私は一日中不貞寝した。
はぁ……ますますもって子供っぽくて嫌になる……。
けれど、これはほんの始まりに過ぎなかった。今思えば出会ってからこの日までかぐやは力を溜めていたのかもしれない。日曜日がやけに静かだったのも単純に、邪魔をしないという約束を守っていたからだと油断していたのがまずかった。
私はかぐやと交わした取引がいかに、彼女という存在が私の生活に食い込んでくるのかを身をもって知ることになる。
「じゃあ行ってきまーす」
スマホのアラームと共にかぐやはアパートを出ていく。
時刻は午前五時。新聞配達のアルバイトをしなくてもよくなったので起床時間を二時間ほど後ろ倒しにしてみた。目覚めはそれほど良くない。無意識に一度二時半に目覚めてしまうほどやはり習慣の力は強くて寝溜めができて良かったというよりは、新しい習慣に体が戸惑っているのが正解だ。適切な睡眠時間を取っているはずなのに体が拒否反応を示している辺り重症だなと自嘲してみる。
しかしこう……改めて起きてみると何もやることが無い。課題はすでに終わらせてあるし、予習する内容もこれといって無い。今時の高校生を真似て初めてSNSや動画サイトに触れてみたけど何が面白いのか全く分からない。
とりあえず顔を洗って朝食を食べてみた。奮発してかぐやにおごらせた賞味期限が普通のお弁当は普通に美味しかった。しかしそれが終わると本格的に暇な時間が流れ始める。
「…………………………」
貧乏暇なしと言っていたけど、お金が入った瞬間ここまで余裕が出来るのか。それならば私よりも裕福な人間で「忙しい」とか「時間が無い」とか言っていた奴らは一体時間をどうやって使っていたんだ。新しい環境に慣れず頭も指もソワソワソワソワ。
「ああムリ。これはきついわ」
気づいたら私は制服に着替えてカブに跨っていた。暇な時間をどのように活用するのか、それ以前に暇な時間に慣れる必要があるなんてリハビリかよと思うけど、現に私がそれを必要としているのだから仕方がない。二種類のバイトの経験から都市部の道は大まかに把握している。今の時間でかつての同僚と遭遇しない、尚且つ地図だけでしか知らない道を実際に走って脳内に追加する。そんな道を時間つぶしで走りながらいいところで学校へ進路を取る。
「……」
家で朝食を食べてしまったことだし、もっと余裕をもって登校しても良かったのかもしれない。けど時間になると……やっぱり足は学校へ向く。今日ばかりは早朝の渋滞が全く気にならない。これが心の余裕というやつなのだろうか。
普段通りにカブを駐輪場に入れ、教室に向かう。眠れる気は……しないな。あらかじめ充分に寝てしまったし。せっかくだから割と真面目に大学の進路でも考えてみるか。
と、柄にもなく殊勝な心でいたのがまずかった。
「ん?」
時刻は七時四十分。登校するにはまだ全然早い時間。Sクラスで三人くらい。途中の通常のクラスだと人気なんてほとんどない。私が歩くと変に注目されるから、それを避けるという意味でも、私は早い時間に登校していたわけだけど――
「いつ見ても美人だよなぁ」
「ホント惚れ惚れする」
「あー……この学校に入学して本当に良かった……」
Sクラスの教室前が人だかりになっている。どうやら彼らは教室内の誰かの熱心なファンらしい。そんな注目に値する生徒なんていただろうか。勉強が出来る家庭は確かに財力があるから、私を除いてクラスメイトは血色が良いと思う。中には確かに顔が良いと思う女子もいたんじゃないかと思うけど……こんな突然ファンが押し掛ける程の美女なんていただろうか。
人混みを押しのけて教室に入る。全く途中まで余裕をもって行動出来たのにここに来て窮屈な目に遭わされるのか。
「ふぅ……」
当てつけに思いっきりドアをスライドさせる。
「おはよう」
「⁉」
瞬間目が合う。
そこにいたのはここ数日で見知った顔。この世の物とは思えないズバリ惑星イース産の宇宙の神秘。誰もが認める輝く美女・かぐや。
そんな彼女が驚くべきことにうちの学校の女子の制服、セーラー服を着て教室に座っているのだ!
「……………………何の冗談?」
「何ってエリ、いやだなぁ私達はクラスメイトじゃない。そんな怖い表情しないでよ」
かぐやについていた視線がにわかに私へも注がれる。普段二、三人しかいないはずなのにみんなどこから情報を仕入れてきたのやら……かぐやを間近に拝める特権を行使したいのかアホみたいな時間なのに半数近くが登校している……。そして早朝登校の常連である宇宙と交信していた彼がとりわけかぐやを熱心に見つめ、彼女に絡む私に向けて険しい表情を向けてきた。……かぐやを地球に呼んだのはお前じゃないだろうな……‼
「チッ」
こっちに来なさい。そういって私はかぐやの腕を掴んで外に出るように促す。
「まぁエリったら大胆」
「うっさい!」
この構図はひょっとするとクラスで調子に乗っている優等生をシメる不良の図になるのだろうか。移動する間様々な感情が、視線が主にかぐやに注がれる。輝く美しさはどこを歩こうと注目の的で……まったく秘密裏に行動するのに向いていない。
結局校舎裏というまことにそれっぽい場所でようやく人目を避けることができた。ついて来ようとする奴らはひたすら睨んでは逃げて……なんだ私のチベスナ顔も役に立つじゃないか。嬉しくないけど。
「アンタ何でここにいるのよ!」
「えー、制服似合うと思うんだけど、駄目だったかな」
かぐやは笑顔で見当違いな答えを返しながらその場で回転を始める。セーラーカラーにスカーフ、プリーツスカートをはためかせる様子は驚くべきことに彼女が今まで着ていたどの服よりも似合っていた。まるで最初からセーラー服を着るために生まれてきたと言わんばかりだ。
……って見惚れている場合じゃない。
「で、転校手続きでもしてウチのクラスに通うことにしたわけ? 漫画みたいに」
だとしたらあの人だかりも納得だ。新聞部の見出し的に言うなら「号外! 超絶美少女が我が校に入学!」といった所だろうか。
「いや、転校じゃなくて最初からエリと一緒に通っていた事になっている」
「最初から……? はぁ、どういう意味」
回転を止めると説明モードの無表情へ。ということはこの状況は彼女の宇宙的な技術が関わっているということか……。
「ざっくり説明すると、この学校で生活する人間に催眠術をかけて、私がその場所にいても違和感が無いように感じてもらっている」
「この学校どれだけデカイのか知ってんの⁉ そんな大がかりな仕掛けなんて朝のちょっとした時間じゃ――」
いや、ちょっとじゃない。少なくとも三日、かぐやは私と街に関わる情報を収集してしかも実力を行使する機会があった!
私の表情を見てかぐやは満足そうに微笑み再び口を開く。
「まあ催眠術っていってもそこまで万能じゃないよ。種族によっては効きにくいし、嘘のつじつまを合わせようとすると一週間は期間が欲しいかな。例えば、私がこの学校に在籍している証明書みたいなものはまだ存在しない。あくまで調査員がその場の雰囲気に溶け込んで情報収集するためのものだから効果は限定的。まぁその辺は徐々にならしていくつもりだけどね」
「なっ……」
おいおい……どこが侵略なんて時代遅れなハイソ宇宙人だよ。コイツ私の日常を侵略する気満々じゃねーか!
「……アンタ私の邪魔はしないって言わなかったかしら」
「もちろん邪魔をするつもりは無いよ。学校は第一に勉強するための場所。だから私はエリが勉強する邪魔をするつもりは無いよ。私は私の目的を遂行するためにここにやって来たんだから」
「その目的ってまさか……」
かぐやはおもむろにスカートのポケットから一冊の少女漫画を取り出す。その体積の物体が小さいポケットから出るはず無いだろうと思うけど、これもまたイースの偉大な技術でも使っているのだろうと突っ込まないでおく。
「いやー恋愛モノといえば少女漫画! 地球のエンタメはいいわね、こんなにも教材に溢れている! そしてシチュエーションの王道は学園ラブコメ! そうと決まれば調査員として実態調査しない訳にはいかないよ!」
ここ数日でだいぶ人間らしさを学んだのか、かぐやはバイブルのように可愛らしい表紙の漫画をかかげながら再び回りだす。
……漫画なんてあくまでフィクション。そう言ってやりたいけど、こんなにハイテンションな彼女に何か言うのは野暮な気がして来た。何もかもその嬉しそうな笑顔が悪い。太陽よりも輝かれると悪意も失せる。
「はぁ……まぁ、私の邪魔をしないのであればなんでも勝手にどうぞ……」
結局かぐやのペース。漫画風に言うなら敗北した不良のように私はその場を去る。
「ああ、エリ待って」
はずだったのだがかぐやに腕を掴まれる。
「私はエリの邪魔をするつもりは無いけど、ほら、私ってまだこの学校に不慣れだから協力はして欲しいかなって」
「はぁ。アンタ街の事とか調べつくしたんじゃないの? 催眠術だって――」
「まさか、いくら活動体がポテンシャルを持っているからってこのスケールじゃ限界があるよ。数日目立った格好をして街の人には私の事を馴染んでもらっているけどまだまだ全然。現地調査は地球人の尺度で言えば二、三年はかかる。そうなるとお友達として学校で行動する協力者がいた方が都合が良いんだよね」
これはこれからお世話になる分ね。そう言ってかぐやはこんどはポケットから札束を取り出して私に握らせる。百万円……これは援助交際になるのか、それとも買収に当たるのか。確かに取引の、お金の価値観を教えたのは私だけどまさかこんな形で使われるなんて……。
私達の会話を打ち切る形でチャイムが鳴る。かぐやは学校の住人として当たり前のようにその音に反応して教室へと歩み始める。
「どうしたの? エリも早く行かないと遅刻だよ」
「……」
狂ってるのは私なのか、私以外なのか。彼女はもはや学校の風景の一部として機能を始めている。
一つ言えるのは、私はもう元の静かな生活に戻れない。
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