1―2

 ドサッ!と何か衝突音が聞こえると同時に私は腹ばいで倒れていた。

「………………?」

 ストロボを焚いた真っ白な視界、それが竹林の闇に浸食されて脳が視覚を取り戻す。頭の中がまだチカチカしているけど問題なく物を見れている。

「何だったの……」

 気づけば光る赤ん坊も竹林に広がる輝くゆりかごも消えている。私が見たのは幻覚だったのだろうか。

「ここ最近働き詰めだったもん……幻覚を見てもおかしくないか」

 おぼろげな視界の中で振り返ると年代物のカブが倒れている。私はきっと寝ぼけてカブから放り出されたのだろう。うん、そうに違いない。

 横倒しになったカブをキックで始動させる。ろくでもない両親が残した物だとしてもスーパーカブに罪は無い。無限の耐久性を誇るそれは問題なくエンジンを震わせ、ライトを点灯させると――

「………………っ――‼」

 ――とんでもないものを浮かびあがらせた。

 照らした先、青竹が光り、何かが成長した箇所には竹林の空間を削り取ったような直径三メートルのクレーターが出来ていた。群生した竹をたった一瞬で消し飛ばす。周辺部に残った竹も側面が丸くくり抜かれていることから消失は真球状だったのだろうか。いや……そんな事ありえない。

 そして、輪をかけて不可解なのはクレーターの中心に裸体の美女が横たわっている事だった。私が今ボロボロのスニーカーで踏みしめているのはビビットな茶色の土のはず。だのに向こうで美女が気持ちよさそうに横たわるそこは砂浜のように白く、月光を受けて彼女をゆりかごの如く包んでいる。美女も光を受けてその素肌を真珠のように輝かせ、腰まである長い黒髪は扇のように彼女の体を包みながら温かな光の波紋をなびかせている。光る君、輝く女性。思わずそんな言葉が浮かんでしまうほどに彼女は美しかった。

「んっ……」

 月光の柔らかい光と異なる無機質で無遠慮なフロントライトが障ったのか、美女はゆっくりと瞼を開く。花弁が開くような優美な動作。瞳に光が宿ると黒真珠の輝きが生まれて――

「あっ――」

 目が合う。光の赤子と同じ、柔らかな微笑み。片目から両目。横顔から正面に彼女は私へと表情を見せ――

「&ZZS#%Q!」

「っ――‼」

 アクセルターンで旋回。私は勢いよくスロットルを回してシフトペダルを踏んでカブが跳ねるなんて安全運転している場合じゃない三速なんて遅い一気に四速だ加速しろ!

 多少の無茶をしてもバイクを制御できたのは習慣のおかげなのか、今なら私の腕にもカブにも、今なら私にこれを残してくれたろくでもない両親に感謝したっていい。

 見た目こそ楊貴妃やクレオパトラ、小野小町だってうらやむほどの美女だった。でも……彼女が発した言葉は何だ。いや、あれは言葉なのか⁉ 支離滅裂というか動物の鳴き声ですらない、一番近いのはガラスをひっかいたような不快な振動。アレは何か全く違うものだ!

「#、AZZS、JZZW%――」

 ここからアパートまで十分。一気に加速すれば、こんな山奥に警察はいない声なんて聴かずにフルスロットルで逃げろ。

 メーターはすでに振り切っている。ウサイン・ボルトだって時速六十キロオーバーで五分以上なんて走れない。十分逃げ切れる!

「J#ZW! に“ない……で!」

 おかしい、体感スピードでいうならもうとっくに引き離しているはずなのに声が聞こえる。本格的に疲れたのかな、それとも幻聴?

 それはライダーとしての条件反射だったのか、後方から存在感を覚えると、視線は自然とサイドミラーへ。

「……‼」

 この日ほど「見なきゃよかった」と後悔した事は無い。ついでにスピードメーターを見てしまったことで私は今起きている事態を理解する羽目になった。

 相対速度にして六十キロ。クレーターの美女は奇妙な音を発しながら私に近づいている!

 何でこう美男美女は何をしても画になるのか。彼女のフォームは陸上選手のように洗練されていて、彫刻のような腕を振るとすらりと伸びたしなやかな足が優美に地を駆ける。そんな中で豊かなバストがブルンブルン揺れるのだけは不釣り合いで滑稽だけど、見蕩れている場合でも笑っている場合でも無い!

「ちょZ……と……Jって!」

 こっちはメーター振り切っているのに彼女は機械と同じ速度で距離を詰める。

「ちょと……ま……てえ」

 コイツ距離が縮まる度に流暢になっていないか⁉

「アンタ一体何者なのよ!」

 ボロアパートはとっくに過ぎて私は逃避行を続けている。どれだけペダルを踏んでもこれ以上変速はしない。50CCのエンジンは限界まで燃焼し、スロットルも遊びいっぱいまで開いている。もう私は加速できない。そんな窮地追い打ちをかけるように正体不明の何かは私と並んだ。

「ねえ……止まて!」

「はぁ? 何がよ! アンタみたいな危ない女に絡まれて止まれるワケ無いでしょ!」

 もしかしたら私は人類で初めて宇宙人か何かとコミュニケーションを取ったのかもしれない。でも被害者が加害者とコミュニケーションなんてしても意味が無い。なんだ、這いつくばって惨めに命乞いでもしろって言いたいのか!

「でも」

「でももへちまもな――」

「あ」

 瞬間彼女はスーパーカブを追い越して私の腕を掴む。バランスを崩した私は反射的にバイクから手を離した。彼女に腕を引かれると目の前には急な角度の切り立った崖が。車は急に止まれない。それはバイクだって一緒だ。乗り手を失った原付はゆらゆらとバランスを崩しながらも限界ギリギリの加速を纏ったまま――

「――ッ……」

 聞きたくないど派手な音と共にカブの前輪が、前かごがひしゃげる。さすがはスーパーカブ。化け物並みの耐久力を持つからこそエンジンとかの重要な部品は生き残っている。それでもグチャグチャになったフロントを見ると、自分も一歩間違えればああなっていたのだと思うと肝が冷える……。

「助かっ……た⁉」

「……」

 彼女はゆっくり私の体を下ろしてゆく。興奮で神経が麻痺していたけど、よく見ると彼女は右手一本で私の体を持ち上げ、しかもしっかりと支えている。あれだけ走ったっていうのに膝が笑うどころか汗一つかいていないし……。助けてもらったのはありがたいけど――

「あなたは……何者なの……」

 私の言葉に彼女は「ふふっ」と笑う。状況がこんなのじゃ無ければ同性だって絆してしまうほどの完璧な微笑み。私も微笑み返したかったけど……。

「あの、もう大丈夫だから離して欲しいんだけど……」

 無事に地に足はついたけど彼女は私の腕を離そうとしない。この白魚のような手のどこに怪力が秘められているのか、私の右腕は万力に締め上げられたようにびくともしない。

「■■■■■■」

 さっきまでの言語的急成長はどこへやら、彼女は再び宇宙語を響かせると、

「ちょっ、イヤアアアアァアアアアァ――」

 いきなり腕を離してそのまま人差し指を私の、おでこの中に、貫いて入って来る!???

 ヘルメットはやっぱりきちんとした物を買うべきだったのいやもはやそんな次元の話じゃないしズブズブって指先から根元まで――

「アアアアアアアアアアアアアア#$“:@‼」

 もはや自分だって宇宙語みたいなよく分からない言葉を出している。いくら相手が美女の姿をしているからっていきなり頭をほじくり返されて冷静でいられるだろうか。

 いや……この数分の間もう何度驚いたか分からないけど、驚くべきことにこの行為で私は痛みなんて感じないしむしろ肉体の方はちょっとこそばゆい快感に酔っているから恐ろしい。頭の中をこじ開けるんじゃない、彼女と私が溶けあって繋がって……。

「■まる■」

 断片的に彼女の言葉が理解できる! 頭の中で何かが弾けた!

 瞬間頭の中が真っ白になって――


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