かぐやとエリ

蒼樹エリオ

第一章 未知との遭遇

1―1

「お疲れ様でしたー……」

 お嬢ちゃんお疲れ様! と店長の声に押し出されるように勝手口を出る。背中に張り付く熱気を感じると、このエネルギッシュな店長だからこそこの店は繁盛しているのだなと思わざるを得ない。

「熱い……」

 店長の自宅兼そば屋のガレージは真夏の熱気が籠っていて背中どころか全身が蒸し焼きになりそうだ。ついさっき乗っていた出前用のスーパーカブもサウナの石みたいにこの空間の熱気を、不快指数を上昇させるのに一役買っている。

 私は逃げるようにガレージの隅に置いた自分の通勤通学用のカブプロに駆け寄る。これ以上熱や汗で不快な思いをしたくないので手に持ったリュックを前カゴへ雑に放り、跨るとキックでエンジンを始動させる。

「……よし」

 ハーフヘルメットを手早く身につけてシフトペダルをニュートラルからローへ。「バツン」と大げさな音と共にギアが入るとようやく自由時間への開放感を覚える。

「帰ろう」

 スロットルを開けて二速、三速とスピードを上げると全身に夜風を感じる。疲労と熱気を剥がしてくれて、この瞬間だけは夏もいいものだと呼吸が楽になる。今日は天気も良い。満天の星空の下でスピードを上げて一呼吸すると自分と夜とが溶けあう感じがして気持ちが良い。程よく都会で程よく田舎な郊外の地。午後十時を周れば交通量はまばらで目ざとい国家権力も見張っていない。時速三十キロだなんて非常識な原付の速度からメーターを徐々に右へと倒してゆく。前カゴのライトが照らす夜闇が支配する視界、この狭い視界がいっそう道と自分との境界を曖昧にして私は風になった感覚を大いに楽しむ。

 薄暗い視界の中で一等星のような光が入り込んでくる。私がよくお世話になる深夜まで営業する大型スーパー。素早く思考を現実へと戻す。食料はこの前買った値引き品が明日の分間に合うだろう。生活用品も特に切らしていない。バイクで走るのに最高な環境を打ち切る必要は無さそうだ。

 私は恒星の重力圏から逃れるようにさらにスロットルを開ける。一々バイクのエンジンを切って再始動させない、余計な買い物もしない、その方が経済的だし――

「ふんっ!」

 スロットルを戻してエンジンブレーキ。シフトペダルを二速に戻すと減速が甘かったのか「ギィ――‼」と悲鳴を上げる。別に私が気合いを入れる必要なんて全くないけど、50CCのしかもおんぼろなカブで坂を上がるのは踏ん張りが必要。アスファルトで整備されているとは言え、この坂を上るのはあまり気分が良いものじゃない。

「――チッ」

 上るごとに夜風は沈殿し、再び熱気が足元から這い上がって来る。カブの経済性は好きだけど、足元にエンジンがあるのだけはいただけない。夏場の熱をたっぷりため込んだそれは坂を登らされる悲鳴をあげながらその身を焦がす。ちらほらと存在していた街路灯はめっきり姿を消し、空を竹林が覆い出すと境界を超えた気分になる。

 そう、境界。これは経済が作りだす境界だ。私がバイトに学校に行くための街の中心・都会部と竹林の先にあるボロアパート・田舎。坂を登り切って平坦な道になると三速へ。軽い音と共に再び風を感じるけど夜の竹林がもたらす風は涼しいけど、ドライアイスの粉を吹き付けるようでとげとげしい。気温は二十度後半を余裕でマークしているのに、星明りが無くなるだけで体感温度はここだけ冬の入り口みたいだ。冬場は冬場で両サイドの竹林と灰色の空が寒気を圧迫してくるし、路面が凍るといくら悪路に強いカブだって滑る。生活のために毎日この道を走っているけど、やっぱりこの道にはこれっぽっちも魅力を感じない。

「速く帰ろう」

 幸いな事に竹林からアパートまでは平地を走る。私はスロットルを思いっきり開けると自由な速度で冷たい場所を抜けようと――

「――⁉」

 慌ててスロットルを戻しその場にカブを停める。目の前に飛び込んだ光景が本物かどうかを確かめるためだ。

「……光って、いるの?」

 一度カブのライトを消す。そして再びキックでライトを灯す。しかし状況に変化は無い。目の前で起こっている現象は……!

 思わす空を見上げる。そこに存在するものが原因であるとすがるように顔は反射的に上を向いた。

 竹林の茂る視界を穿つように、そこには白銀に輝く満月が浮かんでいる。でも満月は光を反射しているだけ。太陽のように光を他者に焼き付ける事なんて出来ない。どれだけ明度を上げようとせいぜいうすぼんやりとした視界を確保してくれるだけの物だ。

 そう、は言うなれば恒星のような輝き。与えられた光じゃ無くてそれ自身が発する光だ。

 おそるおそる、私はありえない物の前に近づいてゆく。

 むかしむかし、あるところに竹取の翁ありけり。目の前で起きているのはそんな昔話を彷彿させる現象。

「……嘘でしょ」

 間違いない。私の目の前で、一本の竹が内側から眩しく光り輝いている……‼

「何なのよコレ……」

 夏の熱気とか竹林の底冷えなんてどこかへ行ってしまった。背中を伝う冷や汗だって温度も感じない。心臓が早鐘を打っている。引き返すなら今の内だと、私の本能が訴えている。

 こんな得体のしれない物に関わるヒマがあったらアパートに戻ってシャワーを浴びて、明日の朝刊配達に備えて寝るのが一番効率的だ。慢性的にお金の無い私には一秒だって浪費できない。

 でも、自分でも不思議な事に指は真っ直ぐ光へと伸びている。全身もまた吸い込まれるように前へ、おびき寄せられた蛾のようにふらつく足取りで進んでゆく。

「!」

 触れてみる。驚くべき事に、これだけ輝いているのに熱くない。蛍光灯のような刺す痛みも、エンジンの焼け焦げるような熱気もそこには無く、青竹の滑らかな涼しさが存在するばかりだ。

「……」

 リュックの中には畳んだ制服と教科書くらいしか入っていない。これが古典だったら竹を割って中にいるお姫様をお持ち帰りするところだけど今の私には刃物も他に誰かを養う余裕も無い。自分一人の食い扶持を支えるので精いっぱいだ。

「……チッ」

 貧乏である事にイラついたのがスイッチになったのか、指先が竹を強く押してしまう――

「――⁉」

 青竹の強度は女子高生が爪を立てたって傷つく物じゃない。そんな生命力にあふれた青が地面に対して水平にパックリと割れる。私が押したせいなのか背が高い上部はゆっくりと後ろへと倒れて竹林をざわつかせる。

「ちょっと……ッ――‼」

 覆っていた竹筒から解放されたことで光は存分に輝きを振りまく。辺りは一瞬のうちに昼へ、いやそれを超えた白い領域へと昇華される。

「何よ何よ何なのよ!」

 この日ばかりはヘルメット代をケチった事を後悔した。ジェットタイプでもいいからスモーク機能を付けていればこの状況を正確に判断できたはずだ。逃げるなら今だと思うも光は人間の方向感覚を失わせるほどに強い。まぶしすぎて順光なのに後ろにあるカブを視認できない。

「くっ……………………ん――⁉」

 それでも逃げ出そうと薄目を開けた時だった。周囲を包む光の中心、光の源。そこがうねるように動き出したのだ。小粒程の光源は徐々に体積を増していってソフトボール大の大きさに。その南半球に大きなが入ると次は北半球へと細かいが広がってゆく。球は次第に体を唸らせると伸びだし、三日月のような形状へと体積を膨らませてゆく。胎児のような形状にまですると私はそれが生物で習った卵割なのだと悟る。

 そう、成長。胎児は徐々にヒトの形に近づき赤ん坊のような姿に、光のゆりかごの中で急成長している。もはや一刻の猶予も無い。目の前の存在が何なのかサッパリ分からないけど少なくとも私の手に余る事だけはハッキリと分かる。こんなの妖怪ハンターかMIBの管轄だ。一介の貧乏女子高生がどうにかできる物じゃない。

 けれど、警戒のシグナルがシナプスで限界まで弾けるのと同じくらい私の好奇心もまた光に釘付けになっていた。この存在がこのままどのような物に成長し終えるのか。私には珍しく特定の何かに引き寄せられていた。

「――」

「――ッ⁉」

 音が聞こえた。光の中から音を聞いた瞬間私は。赤ん坊の目が私を認めて……微笑んだように見える。赤ん坊なんて面倒な生き物もはたから見る分には可愛く見える。でも目の前にあるのは人間の赤ん坊じゃ無くて赤ん坊の形をした何かだ! ほっこりなんてしない。体にようやく体温が戻ってくる。蛇に睨まれた蛙のように、私の背筋に鋭い悪寒が走る。

「――――――」

 片目から両目へ、光は私に表情を向けてくる。光は私へ興味を向けると同時に成長のスピードを上げ光度も増す。

「ああああああああああ―――――――――――――――‼」

 光の声なのか、私の悲鳴なのか、薄目ですら何も見えない、白を超えた超新星。光の爆発の中で何もかもが浮き上がるようにすべての感覚が消える。


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