第13話 食肉加工会社渡部ミートの誤算
〔渡部ミート株式会社社長 渡部大吾〕
俺こと渡部ミート二代目社長、渡部大悟はただただ彫刻の様に凍りついていた。
震えているどころではない。
声も出ない。筋肉一つとっても動かない。
48歳になって初めての経験である。
「この度は彼女のお披露目に参加して頂き誠にありがとうございました。あらためましてこちらが私のペットとなります。お持ち頂いた牛は彼女の餌なのですよ」
隣でにこやかに喋り掛けてくるのは、見るからに高級そうな白い一張羅にサングラス、髪をオールバックにした青年――昔馴染みの山崎が連れてきた上客である。
俺は蛇に睨まれた様に、目の前の“あまりにも大きすぎる爬虫類”から視線を逸らせずにいた。
――これ、ペット?
飼うのか?
これを?
うちの
あはははははっ。
……笑えねぇ。
「私が命じない限り人は襲いませんから、そう緊張なさらず」
無理だ。無理、無理無理無理。
先程までの大口契約に喜んでいた空気は“ソレ”を見た瞬間、木っ端微塵にぶっ飛んだ。
今この場を支配するのは目の前にいる、絶対にこの世界に存在してはならない“ソレ”から放たれる、その圧倒的な生命の危機と常識を根本からぶち破る非常識さのみ。
――もしかしたらライオンがいるかも知れないっすね。
一瞬、福島県家畜市場のセリで落札してきた成牛を見ながら、うちの若い家畜商がそんな冗談を言ったのを思い出す。
ただ俺もそれは疑っていた。契約内容から考えるとなにかよからぬヤツ、下手すればライオンでも飼ってやがるな、と。
けれど今なら思う。
ライオン程度ならばどれだけ良かったか。
これが親父を越えようと年甲斐もなく無茶をした結果なのか。
「……これはやっちまったかもしれねぇ」
俺が急死した父親から食肉加工会社を引き継いで早二十五年。
今では同業者や取引相手から舐められる事もなく、確かな目を持つベテランの家畜商――家畜の取引の資格を持つ者達にも支えられ、二代目として胸を張れるくらいにはなった。
けれど俺は親父の敷いたレールの上を歩いてきただけ、という棘が心の何処かにあった。
ゆえに新たな試みとして、直営の焼き肉店を東京へ出店させようかと思っていた矢先だ。
高校の同級生である山崎が尋ねてきた。
山崎は東京の六大学へ行き、商社に就職したエリートだ。十年に一度会って他の同級生達と飲んだりもしていた。
しかし家庭で問題を抱え、四十半ばと一番難しい時期に会社も辞めたという話を、風の噂に聞いて以降は会うこともなかった。
あいつと親しかった奴は癌を患って入院した、なんて言ってたがそれさえ聞かなくなった。
――金の無心か?
かつての友達をそんな風に疑いたくはなかったが、この歳になれば人間の汚い部分もたくさん見てきてしまった。
就職先の斡旋くらいならしてやるか。
当時の俺はそんな事を思いながら、あいつと向かい合った。ただその時から不思議だったのが、無類の酒好きだったあいつが飲みに誘っても断った事だ。
「生きた牛を定期的に卸して欲しい」
素面のやつの口から出てきたのは、想像とは異なる仕事の話だった。
配達は四日に一度。
必ず生きていること。
一頭ずつ福島のとある山に搬入して欲しい。品質はそこまで問わない。金額も言い値で構わないときた。
とんでもない上客だった。
四日一頭、無加工、品質は並みで価格は言い値。普通では考えられない話だ。
確かにセリは毎月の始めごろに行われ、その後すぐに加工してしまうので本来は難しい。
けれど知り合いの酪農家に頼み、セリでまとめて購入した牛を一ヶ月間飼育して貰うのならそれは可能となる。
とは言え冷静に考えれば金銭的にも品質的にもリスクは高い。
「難しいな。セリは月にまとまった日に開催する。知り合いの酪農家に買った牛を置いて飼育して貰うことは可能かもしれないが、それには金が掛かる上に、セリで一月分まとめて買うリスクも出てくる」
ただ最後のはどこの業界でも起こる問題で、ただのビジネストークだ。
「いいだろう。酪農家への支払いはこちらが持とう」
「なんだと?」
「それと金については一月分、先払いにしよう」
おいおいおいおい、本当になんだこの話は?
「ただし――こちらからも条件がある」
それを聞いて逆に俺は落ち着く。
やっぱりな。気前よくこっちの条件を呑んだのは、まだ問題があるからか。
「いいぜ、話せよ。受けるかどうかはそれ次第だが」
「――守秘義務を守ると書面にて残して貰いたい」
「は?」
なんだそれは? それだけか?
「他に条件は?」
「絶対にない、とは言えないが今のが最重要である事は間違いない」
「守秘義務の内容は?」
「牛を搬入する際に知り得る情報全てと、俺の雇用主に関する全ての情報。そこには俺の事も含まれる」
無意識に腕を組む。
出来すぎてやがる。なんだこれは。山崎の話でなければ鼻で笑う所だ。
しかも守秘義務が最大の懸案?
なんだよ。品質よりも金よりも重要な秘密って。
ただ、実のところ何となくではあるが“牛”の用途については心当たりが出来た
――こりゃあ何か金持ちがロクでもないの飼ってやがるな?
生きた牛を品質に関係なく毎日供給し、その過程で知り得た情報は伏せる。
飼育許可の出ない大型の肉食獣の存在が過る。生きたまま搬入なのはソイツに襲わせて食わせる為、一種のショーの演出なら納得行く。
そういった可能性まで考えるならば……。
「こっちからも幾つか条件がある」
「なんだ?」
「俺達は牛を売るのであって、売った牛が何に使われるのかは一切知らない。それを録音でも書面でも不自然にならない様に記録に残す」
「いいだろう」
「それと最初のうちは全て現場にて現金払いだ。守秘義務は当然守るが何か問題が起きれば即座に手を引かせて貰う」
「構わん。友人のよしみで言わせて貰うのなら、どうせ引き返せない。だから一番信用出来そうなお前に話を持ってきた」
「なんだそりゃ?」
本来なら今のは言う必要のない事だ。
たぶん、山崎の配慮なのだろう。意味は分からないが。
「まぁいい。最後に……これは条件というより提案だな。このまま取引すると怪しまれる。一応、経理に上手くやらせるが、出来れば不自然ではない取引先を作ってくれ。
「分かった、用意しよう。ただ業種はなにがいい? 飲食店にでもするか?」
「あはははっ、生きた牛を四日に一頭卸す飲食店か! そいつぁ面白いな。……実はな山崎、今度東京に直営の焼き肉店を工場とセットで作ってみようかと思っているんだが……」
せっかくなので元商社のこいつに出店計画のアドバイスを貰いつつ、牛の話も詰めていき実際に取引が行われる当日、今日に至る。
俺は当然として運転手に俺の倅、そして若い家畜商の三人がこの仕事に携わる事となり事務所で守秘義務に関する契約書にサインした。
その後、なぜか持ってこさせられた着替えを担ぎ目的の山にまで来たのだが。
「……………………ドラゴンなんて、分かる訳ねぇじゃねぇかよ」
出てきたのは巨大な翼を持つトカゲ――ドラゴン。
そのファーストコンタクトで俺達は恥ずかしながら、この歳になって全員が失禁し気絶した。
なぜ着替えを用意しろと言われていたのか痛い程に分かった。
その後、ここに来るまでの和気藹々とした雰囲気は一変。
誰も一言も発せず通夜の様な空気で服を着替え、考える事を放棄した俺達が戻ると。
「MOOOOOOO!!?? MOOOO!?!?」
俺の連れてきた牛が泣き叫びながら、ドラゴンに後ろからゆっくり丸呑みにされていた。
……悪夢だ。
「――」
「――」
隣で家畜商の若者と運転手の倅がまた泡を吹いて卒倒したのが分かる。
ああ、もういやだ。
会社帰りたい。
「いやぁ、牛で大丈夫かと心配していたのですが、どうやら彼女も気に入ったようです」
一人で泣きそうになっていると白い一張羅の山崎の雇用主でもある青年が俺達を見つけ、笑い掛けてくる。
「そ、そうですか。それは何よりで。……ところで、雇い主さん? もうこうなったら聞いてしまいますがね、あれ、ファンタジーでお馴染みのドラゴンですよね? なんでこんなとんでもないモノがいるっていうか、そもそもホントに飼うんですかアレ?」
彼はニヤリと笑う。その顔立ちと合わさって女なら簡単に落とせそうな笑みだ。しかし口から出た言葉があまりに厄介過ぎる。
「ええ。防衛戦力ですから。対魔王軍の」
俺は思わず息切れした様に膝に手をついた。
……聞きたくなかったッ!
対魔王軍ってなんだよ!
五十歳間近になって今更ファンタジーはきついんだよ!!
「くっ!」
ドラゴンさえ、このドラゴンさえいなければ鼻で笑うのに、笑う所か目の前が真っ暗だ。
「さて。一応釘を刺しておきますが、くれぐれもここで見たもの、そして私達の事は内密にお願い致しますよ。――でないと」
「っ、でないと!?」
「先程の契約は呪術契約ですから、あそこに書いてあったペナルティが本当に起きるのでお気をつけ下さい」
「――」
呪術契約。そんなものは知らないが、言葉からどんなものかは想像がつく。
ましてやこんな怪物をペットにしている奴だ。敵になんて死んでも回したくない。
俺は恨めしさ全開の顔で山崎を見る。
「……俺は守秘義務を守るのが最重要だと言ったはずだぞ?」
やられた。
完全にしてやられた。
「そういう訳ですので――」
突然、一張羅の青年に俺の左肩をがっしりと後ろから掴まれる。全く動かない。
「四日に一度の牛の搬入――」
さらに今度は右肩。そちらを振り返ると山崎に同じ様にガッチリと掴まれている。
両肩をそれぞれ拘束され、呆然とする俺に二人は悪意満々な笑みで言う。
『餌の供給、頼んだよ』
二人から伝わるのただ一つ。絶対に逃さなさないぞという強い意思。
ああ、親父。
俺が間違ってた。
俺は一生あんたのレールにいれば良かったわ。
「GYOOOOOOOOOOO!!!!」
俺は牛を丸呑みにして満足そうなドラゴンの咆哮でまた意識がプッツンした。
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