第110話

 駅前から中心市街地へと歩いていく途中、ホリーは開いている店を見つけた。

 様々なスープを出すことを売りにしている食堂で、ホリーも共和国軍に所属していた当時から知っており、休日に基地から外出した際には欠かさず立ち寄っていたほどだ。

 店を切り盛りしていたのは年老いた夫婦で、ヤーバリーズの戦いの後どうやっていたのか、ホリー自身も気がかりだった。

 ホリーは扉が開けっ放しになっている入口から中に入ると「ごめんください」と厨房の方へ声をかけた。

 すると元気のいい声で「いらっしゃい!」という返事が聞こえてきて、やや遅れて背筋のしゃんとした老婆が厨房から出てきた。

 老婆はホリーの顔を見るなり目を丸くする。


「おやまあ、あんた、無事だったのかい? 基地に勤務しているって言っていたから心配していていたんだけれど」

「え、ええ……まあ、何とか……」


 驚きの声を上げる老婆に、ホリーはバツの悪そうな表情で口を濁す。紆余曲折の末にこうなったのであるが、事情を全てこの老婆に話す訳にもいかない。


「まあ、まあ、とにもかくにも無事だったのなら何よりだよ」

「おばあさんこそ、ご無事で何よりでした」

「それより何か食べていくんだろう? もっとも今はモノがないからね。出来るメニューも無くて、有り合わせの材料で日替わりスープを出すくらいしかできないのだけれど」


 老婆は困っているような表情など微塵も見せず、明るく言った。


「それで構わないです。少しおなかが空いていましたので」

「日替わりスープひとつだね。ライスはつけるかい?」

「小盛でいいなら、お願いします」

「はいはい、少し待っててね。すぐ出すからね」


 老婆はホリーの注文を受け付けるといそいそと厨房へと歩いて行った。

 それから三分も経たずに厨房からスープとライスを載せたトレイを持った老婆が現れる。


「はい、注文の日替わりスープと小ライス。今日は根菜の鳥コンソメ仕立てよ」

「いいにおい。食欲が湧いてきますね」


 ホリーは運ばれてきたスープの匂いに嬉しそうな表情を浮かべる。中身の方も有り合わせの割にはしっかりと具材が入っていて、ホリーの想像はいい意味で裏切られた。

 ホリーは温かい手作りスープに舌鼓を打ちつつ、老婆から話を聞いた。


「おばあさん、おじいさんはどうしたんですか?」

「この近辺じゃ食材の仕入れもままならなくてね。今はルドリア周辺の顔なじみの農家に直接仕入れに出かけているよ」

「ルドリア……国境付近じゃないですか! そんなに遠くまで行って大丈夫なのかしら……?」


 国境の街ルドリアも一応は評議会の支配地域に属してはいるものの、共和国軍だけでなく隣国であるドゥリング連邦共和国からも圧力を受けている微妙な立ち位置にあり、また道路沿いの治安も安全とは言い難い。ホリーもつい先日、ギレネスから近々ヤーバリーズとルドリアの間にあるハイウェイを根城にしている野盗集団の討伐作戦を計画中だという話を聞いたばかりだ。


「まあ、危ないのは私たちもわかっているんだけれどね。けど、店を開けるためにはどうしても仕入れが必要なんだよ」

「商売熱心なのはいいですけれど、それで危険な目にでも遭ったら大変ですよ。もういいお年なのに……」


 ホリーが心配そうにそう言うと、老婆は屈託のない笑顔を浮かべる。


「心配はいらないさ。私たちはこう見えても戦争には慣れっこでね。二十数年前の第三次五か月戦争の時だって、何度も危険な目に遭いながらも店を開き続けていたんだ」

「しかし……」

「それにね、街に住んでいる人たちが苦しい時だからこそ、私たちは温かいスープを作って街の人たちに元気になってもらいたいのさ。商売も大切だけれど、一番は街の人たちのためさ」

「おばあさん……」


 かつての大戦争をくぐり抜けて来たという老婆の言葉に何とも言えない重みを感じ、ホリーはスプーンを持つ手を止めて言葉を詰まらせてしまう。

 老婆はそんなホリーのことを優しい目で見つめている。


「さあさ、話はこれまでにして早く召し上がれ。せっかくのスープが冷めたら大変だよ」

「は、はい……そうですね」


 老婆の言葉にホリーは気を取り直して、再びスプーンを動かし始める。

 ホリーがすっかりスープと小ライスを食べ終わった頃、表から車が止まる音が聞こえてきた。


「今帰ったぞ母さん……おや、お客さんか。いらっしゃい」

「あ……お邪魔させていただいています」

「いやいや、来てくれてありがとうな」


 入口に店主である老人が元気な姿を見せていて、ホリーが軽く会釈するとうんうんと嬉しそうにうなずいた。

 話の後は厨房に下がっていた老婆も、どこかほっとしたような笑顔で主人を出迎えていた。強気なことを言ってはいても、やはり主人のことを心配していたらしい。


「お帰りなさい。仕入れはどうだった、あんた」

「うーん、向こうさんもこのご時世中々苦しいらしくてな。期待したほどは仕入れられなかったけれど、ひとまず一週分の食材は確保することが出来たよ」

「それなら良かったよ。仕入れがゼロじゃあスープを作れないからね」

「いやいや、全くだな」


 老夫婦はお互いに顔を見合わせてカラカラと笑いあった。

 それを見たホリーは少しだけ父親のベゼルグのことを思いだしていた。父と母も何事もなければ、この老夫婦のように仲睦まじく暮らしていたのだろうか。

 少ししんみりとした気持ちになったホリーを見て、老婆が心配そうに声をかけてくる。


「どうしたんだい。そんなに寂しそうにして」

「あっ……いえ、その、何でもないんです……あっ、そうだ! 仕入れの荷物をお店に運び込まなきゃいけませんよね? わたしも手伝います!」

「えっ、どうしたんだい? いきなり……」

「そりゃ手伝ってくれるのは嬉しいけれど、店に来たお客さんにそんなことをさせるのは……」


 ホリーの唐突な提案に老夫婦は揃って戸惑ったような表情を浮かべる。


「いえいえ、いいんですよ。こう見えてもわたし、見た目よりは力持ちですよ。それに困っている時はお互い様って言うじゃないですか」

「しかしなぁ……」

「じゃあ、じゃあ、わたしが荷物運びをお手伝いする代わりに、今日のスープ代を無料にしてくれる、というのはどうですか?」

「あんた、そこまでして私たちを手伝いたいのかい?」


 熱心に頼み込むホリーに、老婆は呆れたようにつぶやく。


「まあ、そこまで言うのなら手伝ってもらうとしようか、母さん。せっかくのお客様のご厚意を無駄にするのも良くない」

「それもそうだね。そうと決まれば、三人でさっさと降ろしてしまおうかね」

「はい、それではよろしくお願いします!」


 ホリーはそう言うと着ていたカーディガンを脱いでシャツ一枚になり、自分から率先して店の外へと出ていった。

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