第88話

 基地を出発した僕たちは市街地を抜けて、郊外にあるスラム街へと入っていく。ここはヤーバリースの街の中でも特に治安の悪い地域として知られている。目的の廃工場はそんなスラム街中心部の一画に位置していた。


「目標の建物に近付きました。隊長、ご命令を」

「うむ、車両はここに停車してくれ。停車後、まずはケヴィン曹長のスペクターを先行させて様子をうかがわせる。他の者は状況が判明するまで待機しているように。……頼むぞ、ケヴィン曹長」

「了解!」


 助手席にいるホリー軍曹からの通信を受け取ったジェノ隊長が指示を下し、それを確認したケヴィン曹長が、スペクターを発進させる。敵側のスペクターと識別するため、ケヴィン曹長のスペクターは白と赤の二色に染め分けられていた。


「ケヴィン・オーグス曹長、スペクター、発進させます」


 ケヴィン曹長の幾分か緊張気味の声が響き、スペクターが発進した。

 運搬車両の周辺は、風の音がする程度で静まり返っている。


「周辺に異常なし。隊長、工場へ向けて進めてみてもよろしいでしょうか?」

「許可する。ただし、慎重に様子を見ながら進めてくれ」

「分かりました」


 隊長の指示を受けたケヴィン曹長は、ゆっくりとスペクターを工場へ向けて前進させた。

 ここまで敵からの反応は全くない。


「もう間もなく工場の入り口にたどり着きます」

「ケヴィン曹長、周辺に敵影は確認できるか?」

「いえ、特に敵の姿は確認できません」

「ホリー軍曹、周辺に変わった反応はないか」

「レーダーには何も映っていません」

「妙だな……」


 ケヴィン曹長とホリー軍曹、それぞれの報告を受けたジェノ隊長は声をひそめた。確かに、敵にとって重要な拠点の割には警戒が薄すぎる。


「隊長、どういうことでしょうか?」

「……一つ考えられるのが、彼らが我々の攻撃を予期して既にここを引き払っている可能性だ」


 僕の問いかけに、隊長は慎重に言葉を選んで言った。


「まさか、あいつらに俺たちの攻撃をピンポイントで予知なんか出来やしませんよ」

「いや、分からんぞジャック曹長。彼らはあなどれない情報網を持っているという話だ。どこかから情報が洩れているという可能性も考えられる」

「しかし、仮にそうだとして、一体連中はどこに逃げたのでしょうか?」

「彼らの本拠地かそれに準ずる拠点、というのが妥当なところだろうな。ケヴィン曹長」


 ジャックとケヴィン曹長のそれぞれの質問に、ジェノ隊長は順番に答えていった。そうすることで隊長自身も考えをまとめているようにも感じられた。


「どうなさいますか、隊長?」

「うむ、ひとまず我々も出てみよう。理由がどうであれ、敵が動かないのであるならば、こちらから仕掛けてみるより他に手はない」


 サフィール准尉の問いかけに、隊長は現状での決断を下した。


「良いのですか? 当初の予定とは異なる形になりますが……」

「構わん。仮に推測の通りならば、ここで抵抗を受けることも無く任務を遂行できるのだからこちらとしては願ったりだ。逆に敵がこちらを引き付けてまとめてせん滅するつもりでいるのなら、こちらも手持ちの手札を切っておいた方が良いだろう」


 当初の予定ではスペクターを先行させて敵の目を引き付けている間に、残りのWPで工場内部に突入し、敵戦力を撃滅して内部を制圧するという計画だった。敵の抵抗が現段階まで全くないというのは予想外であったわけだが、ジェノ隊長はそれを最大限活用していくつもりらしい。


「……そういうわけだ。準備はいいな、ナオキ曹長、ジャック曹長」

「了解です」

「いつでもいけるぜ、隊長」

「よし、出撃せよ」


 隊長の号令の下、エクリプスをはじめとした残り三機が次々と運搬車両を発進した。


「ナオキ曹長はこちらで待機、後詰めに当たってくれ。私とジャック曹長はケヴィン曹長を合流して工場内に突入する」

「自分が後詰めですか?」

「エクリプスは大型機だから狭い工場内では不利だろう? ここは我々に任せておけ」

「分かりました。周辺の警戒はお任せください」

「頼んだぞ」


 僕は隊長に力強く請け負ったものの、内心ではこの調子ではまたエレイアの要望には応えられそうもないな、と考えていた。

 ジェノ隊長とジャックの機体はスムーズにケヴィン曹長のスペクターと合流し、いよいよ工場内に突入することになった。

 工場の入り口と思われる場所は、バリケード状に積み重なった大量のゴミによって塞がれている。


「ジャック曹長、ロケット弾でゴミを払ってくれるか?」

「了解!」

「いいのですか、隊長。流石に敵に気付かれるのでは?」

「構わないよ。逆にこれだけやって気付かれないようなら、何かあるのは確実だからね。実際どうなのか試してみる価値はあるだろう」


 ケヴィン曹長の疑問に、隊長は軽い言葉ぶりとは裏腹に極めて真面目な口調で答えた。罠の可能性がありながらも目の前の疑問を積極的に解こうとする姿勢が、あるいはジェノ隊長の持ち味なのかもしれない。


 バシュッ!


 ドガァァァァァァァン!


 ジャックの発射したロケット弾が積み重なったゴミを吹き飛ばす。

 そのタイミングだった。


 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……


 工場内部からけたたましいアラーム音が鳴り響く。

 と、同時に工場の奥から無数の銃火を三機に浴びせかけてくる。


「やはり罠か! ホリー軍曹、敵のWPらしき反応は確認できるか?」

「いえ、反応はありません。恐らくは自動迎撃システムによる反撃ではないかと思われます」

「どういうことだ? この期に及んで戦力の出し渋りをしているとでもいうのか、敵は?」


 隊長が敵の出方に疑問を抱いたその時、僕は異変に気が付いた。


「隊長、まずいです。いつのまにか運搬車両の周囲にスラム街の住民らしき集団が無数にたむろしてこちらの動きをふさごうとしています!」

「何だと!?」


 僕たちが工場の方に気配を向けている間に一体どこから現れたのか、スラム街の住民と思しき無数の人影がエクリプスと運搬車両、そして工場の三機を寸断するように道を塞ぎつつあった。


「その集団は火器らしきものを持っているのか?」

「いえ、特に武器の類は持っていません。ですがとにかく数が多くて、下手に動けば怪我をさせてしまう恐れがあります」

「サフィール准尉、何とか車両だけでも動かせないのか?」

「駄目です。既に人だかりがひどくて……クラクションをいくら鳴らしても効果がありません」

「これが狙いか? ……いや、これだけが狙いのはずがない。何か、なにか別の目的があるはずだ」


 と、そこに更に別の異変が起きる。車両内のコントロールピットとWPとの間の通信回線が唐突に遮断されたのだ。


「なっ! どういうことだよ、おい?」

「まさか、電波かく乱か!」


 ジャックとケヴィン曹長がそれぞれのコントロールビットの中で大声を上げたのが聞こえてくる。


「ぐっ、このタイミングでだと……ホリー軍曹、出所は分かるか?」

「こ、この付近であることは間違いありませんが、レーダーが完全に死んでしまっているので正確なことは……」

「まさか、ここにたむろしている住民の誰かが電波妨害装置を持って動いているとでもいうのか……」

「じょ、冗談じゃねえぞ。こんなところで足止めかよ」


 ジャックが焦りを隠そうともせずにつぶやいたその一言に、僕はある重大な可能性に思い至った。

「まずいです隊長、これは……!」

「今更何を言っているんだナオキ曹長、これが罠なのは一目瞭然だろう」

「そうじゃありません。敵の狙いは僕たちじゃないんですよ」


 僕のその言葉に、車両に乗っていた全員の注目が僕に集中する。


「どういうことです、ナオキ曹長?」

「つまり、この工場というのは最初から囮に過ぎなかったんだよ、ケヴィン曹長。だから、WPを置かずに回りくどい手段で僕たちを無力化する手段を取った」

「囮だぁ? ……一体何のためにだよ」

「ジャック、敵は一台でも多くのWPを必要としているんだ。囮に割くWPも惜しいくらいにね。僕たちを足止めしつつ、なおかつ大量のWPを必要とするような行動と言ったら、考えられるのは一つしかない」


 僕がそこまで言うと、サフィール准尉が思わず「あっ……」という声を漏らした。どうやら意図が伝わったらしい。


「ナオキ曹長、敵の狙いはヤーバリーズ基地への直接攻撃だとでもいうのか?」


 隊長が固い声で僕に問いかけた。


「工場を狙った相手を倒すつもりならばもっと他にやり方があるはずです。こんな回りくどい手を使っている以上、狙いはここを襲った部隊ではなく他にあると考える方が自然でしょう」

「だからって、ヤーバリーズ基地を攻撃するっていうのは話が飛躍しすぎのような気もしますけれど……」

「ホリー軍曹、今、国内のWP部隊がヤーバリーズに集結しつつある。逆を言うなら……」

「ヤーバリースさえ落とせば共和国軍のWP戦力は激減し、同時に共和国軍の士気をくじくことも出来る、ということだな。ナオキ曹長?」

「はい……」


 隊長の言葉に僕が言葉を続けようとしたその時、工場から鳴り響くアラーム音とは異なるサイレン音が、遠くの市街地で鳴り響いているのがこちらまで伝わってくる。


「いかん! 気付くのが遅すぎたか!」


 隊長が焦りに満ちた声で言った。


「こうしちゃいられねえ! どうにかして基地に戻らねえと、隊長!」

「しかし……サフィール准尉、車両周辺はどうなっていますか?」

「状況は変わらないわね。誰一人としてサイレンなんて気にしていないわ」


 ジャックの言葉に、ケヴィン曹長は冷静にサフィール准尉に状況を確認し、サフィール准尉はお手上げというような口調で言った。


「やむを得んな。拳銃で威嚇いかくしてでも彼らを退去させなければ、基地が危うい」

「彼らをどかしたとして、電波妨害はどうします。WPを動かせないことには……」

「……ナオキ曹長、君のエクリプスに搭載されているTRCSは有線接続も可能だったな。コネクタは持ってきているな?」

「はい、もちろんです」

「ナオキ曹長、今から我々がエクリプスまでの道を切り開くから、君はエクリプスを有線操縦して基地へ先行してくれ。我々もなるべく早くWPを回収して君を追いかける」


 隊長は苦悩をにじませながらも僕に命令を下した。


「分かりました。至急ヤーバリーズへ急行いたします」

「頼むぞ。ジャック曹長、ケヴィン曹長、今から後部の扉を開けてナオキ曹長の為に道を作るから協力してくれ。サフィール准尉とホリー軍曹は周辺の警戒をおこたらないように頼む」

「了解!」

「了解だぜ、隊長!」

「分かりました、隊長」

「隊長、お気をつけて。ナオキ曹長も……」


 隊長の号令にそれぞれが返事を返し、僕らは状況を打開するべく動き出した。

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