第82話

 時刻は〇六一〇。

 サフィール・エンディード准尉は、隊長からの許可証を見せて基地を出ると、ジャック・オーヴィル曹長の行方を求めて基地周辺の捜索を開始した。

 彼が隊長に何を言われたのかは分からない。しかし、何を言われようと隊長からの命令書を偽造してまで基地から脱走するなど、到底許される行動ではない。


「一体何考えているのよ、あの単細胞は……!」


 サフィールは行方をくらませた世話の焼ける後輩に向けて毒づく。部隊が一つにまとまっていかなければならない大切な時期に、一人身勝手な行動を取ったジャックに対する怒りが彼女の胸の内に渦巻いていた。

 ただ、一方で彼女の冷静な部分が、このような行動を取るなど正義感の強い彼らしくない、と指摘もしていた。誰よりも先にどんな理由があるのか聞き出さないことには納得が出来ないと、彼女の本能が告げていた。久しく忘れていた感覚であった。


 サフィールは大学を卒業する直前まではジャーナリストになることを希望していた。民間の通信社への就職も決まっていて、本来ならば軍隊になど入るつもりなど全くと言っていいほどなかった。


 彼女の運命を変えることになったのは、一人の友人の死だった。

 友人には軍人の彼氏ががいて、サフィールも一度顔合わせをさせてもらったことがあった。一見すると真面目な好青年であったが、サフィールは彼女特有の勘で彼の中にある暗い何かを感じ取っていた。

 ただ、それだけのことで友人に彼氏と別れた方が良いと言えるわけもなく、彼女が釈然としないまま卒業を控えたある日、事件は起きた。


 友人が何者かに襲われて命を落としたのだ。死因は、拳銃で撃たれたことによる失血死だった。現場に犯人につながる遺留品いりゅうひんなどはなく、彼女は亡くなる直前まで単独で行動していたという証言もあり、捜査は難航していた。

 友人の死をサフィールは心から悲しんだ。そしてそれと同時に、何が何でも自分の手で友人の死の原因を突き止めて、犯人を司法の場に引きずり出さねばならないと固く誓った。

 友人の彼氏だった男はその日は基地で訓練をしていて友人とは会っていないことが警察の捜査で明らかになっていたが、彼女はその発表を鵜呑うのみにしていなかった。


 そんなはずがない。百歩譲ってあの男が本当に現場にいなかったとしても、あの男につながる何かが周辺に残されているはずだ。


 そう考えたサフィールは、卒業式を迎えるまでの毎日を事件の調査にあてた。何度も彼女が亡くなった場所に足を運んでは周辺に聞き込みを行った。あまりのしつこさに聞き込みを行った人物から警察を呼ばれる騒動になったこともあったが、サフィールはくじけなかった。


 そして卒業式を翌週に控えたある日、ついにサフィールは有力な情報を掴むことに成功した。友人の亡くなるその前の週に一人の若い軍人らしき男を車に乗せたと一人の顔馴染みになったタクシー運転手が話してくれたのだ。運転手の話によると、その男はあまり治安のよくない裏街で降りると、いずこかへ歩み去っていったということだった。

 その男の詳しい特徴などを聞いたサフィールは、その男が友人の彼氏だった男に違いないと断定した。まだ、あの男が犯人かどうかを決定づける情報ではないが、少なくとも再捜査を促す材料ぐらいにはなるはずだった。


 しかし、意気揚々と警察署に向かったサフィールを待っていたのは友人の彼氏であった男が自殺をしたという残酷な事実だった。


 男は基地の近郊にある雑木林の中で首を吊って自殺したとのことだった。現場には遺書が残されていて、自分が恋人を殺した犯人であること、軍の名誉を著しく傷つけることになってしまったことを謝罪する内容が書かれていたという。

 サフィールはその話を聞いた瞬間に『嘘だ』と感じた。

 その程度の罪の意識で、あの男が人殺しを犯した上で今の今までしらを切ってのうのうと生活できるはずがない。これは陰謀だと直感した。


 しかし、警察は男の遺書は間違いなく本人の書いたものであり、友人を殺害した実行犯は別にいるにしろ、殺害を企てたのは間違いなく本人であると断定し、捜査態勢を大幅に縮小してしまった。

 そこで彼女はこの話を入社が決まっていた通信社に持ち込もうとした。何が何でも真相を明らかにしたかった。

 だが、彼女を待っていたのは通信社からの入社取り消しと出入り禁止の通達だった。著しく品格を欠き、会社に不利益を与えかねない行動を取り続けていた、というのその理由であった。流石に大学の卒業だけは取り消されなかったものの、大学からも卒業間際だというのに厳重注意を受けた。

 事ここに至って、サフィールはこの事件が自分の想像を遥かに超える何か巨大な力が動いていることに気が付いた。そして、自分はいつの間にかその巨大な何かに絡めとられ、巻き込まれつつあるのだと。


 事件を調査するあても就職先も失ってしまったサフィールは、卒業から数か月の間実家で悩みながら日々を過ごした。このまま泣き寝入りして人生を過ごすなど死んでもごめんだったが、かといって何の備えもなくこのまま深入りしてしまえば自分も友人の二の舞になってしまうのは確実だった。

 そうして悩みに悩みぬいた末に、彼女は軍に志願することを決めた。もし仮にあの事件の背後にいるのが軍であるのならば、軍の内部に入れば何らかの手掛かりが得られるかもしれない、というのがその理由だった。また、軍が事件の背後に関わっているとして、軍にとっては煙たい存在であろう自分がわざわざ入隊を志願することによる嫌がらせの意味も含んでいた。

 こうして軍への入隊試験を受けることになったサフィールは、最後の面接で軍への不信感を大っぴらに語って面接官を大いに慌てさせたものの、最終的にその件は考慮に入らなかったのか無事に合格し、職業軍人の道を歩み始めた。


 軍に入ってからの彼女は基本的に品行方正な人物を貫いた。何かと問題を起こしてばかりでは周囲に信頼されないと考えたからだ。周囲に信頼されねば必要な情報も得られない。彼女の目的はあくまであの事件の探求にあった。

 彼女は必死に生きた。時には最前線に立ち、ゲリラとの戦いで生きるか死ぬかの極限状態に置かれたことすらあった。そんな中でも友人の無念を晴らしたいという思いが彼女を突き動かしていた。

 また、そんな中だからこそ気付けたこともある。友人の彼氏であった男が死んだのは断じて自殺などではないのだと。生死の境を生きなければならない軍人は自分の命を軽くは見ない。むしろ誰よりも生き延びようとするのが軍人の性なのだ。だから、あの男は自殺などしてはいない。何者かに始末されたのだと、皮肉にも軍に入ったことで彼女はそのことを確信できた。


 そして、幾度かの配属替えを繰り返したのちに彼女は今の仲間たちと出会った。


 理知的でありながらも人情家のアレク隊長、生真面目で心優しい努力家のナオキ、そして単純だが正義感が強く仲間思いなジャック。

 三人は三人とも仲間とのつながりを大切にするという共通点があった。彼らの優しさは、あの事件以来人間不信気味で、必要とされる以上の他人とのかかわりを避けようとしていた彼女の頑なな心を徐々に溶かしていった。サフィールにとっては、三人は自分の心を救ってくれた恩人だったのだ。

 それだけに、仲間のことを軽んじているとも取れる今回のジャックの行動をサフィールには放置できなかった。今は亡きアレク隊長の魂に誓って、絶対にジャックから真相を聞かねばならない。彼女はそう決心していた。

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