文字媒体と世界観


 前回、漫画とアニメ(動画)との間で「漫画特有の表現」「漫画の動画的表現」「動画の漫画的表現」「動画特有の表現」が存在していると書いた。


 妄想を広げる。


 小説は文字列に世界を落とし込むというのは、よく考えると、とてつもない話だ。

「白い雲が広がる」という一文だけでも、白は200色あるし、雲の形、大きさはバラバラだ。読者はその中で思い思いの「白い雲」を想像する。


 人物もそう、出来事もそう、感情もそう。すべては読者に委ねられている。

すべての文の意味や風景をくまなく想像してられる方は中々いなくて、そういう場合は、読み飛ばしというか、印象的な場所だけ具体化しているに留まっているのではないか。

 そういった性質があるので、叙述トリックといったものが使えたり、気軽に「三億回ねじれた宇宙」だとか「光速が裏庭でジャンプした」だとか理解を超える文章が作れたりする。


 詩や俳句になると更に短くなっていく。類希な感性が文意を極限まで凝縮し……いや、世界観を投影させているというのが近いか。

 詩、俳句に載っている文章は、読者の背後にある(本来なら膨大な文字数がかかる)光景を引き出すための鍵(媒体)なのだと思う。

 ある意味、読者側が扉を、眺めを持っているといえばいいのか。「詩を読むには想像力が要る」というが、「詩の深みは読者の想像力に比例する」と読み替えればよいか。



 なんだそりゃあ。

 さっきから好きに書かせておけば、なんて受け取り側に負荷を与える媒体なんだ。

 誰一人として同じ光景を想像出来ないんじゃないか? そりゃ、出版されたらイラスト、挿絵が出たりするだろうから、ちょっとはイメージがつくかもだけど。

 有名になれないうちは、書き手の想像した通りに読者が見てくれているかすら分からないってのか。


 自分達はそういった他人任せな媒体を……書いたり読んだりしているのか。

 なんて光栄なことなのだろう。

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