ラスボスについて


 以前からやろうと思っていたトピックを、今ここで片付けておく。


 個人的な考えであるから、もちろん反論があって然るべきなのだが……やっぱりラスボスとなるキャラクターは滅びるべきなのだと思っている。散り際の呪詛や辞世の句ぐらいは残してもいいが、極力痕跡すら残らないくらいに吹っ飛ばされるべきなのだ。

(ドラゴンボールはこのあたり容赦がなくて好みである)

 まず、ラスボスは最大の異物でなくてはならない。実力が最強、規模が最大など、物理面で提示してもいいし、精神面での悪辣さ、異常さで示してもいい。ともかく主人公サイドから見て、「今まで出会った何よりも異なる」存在であるということだ。

 その上で、歪んだなりでの人生論の構築が必要になる。弱肉強食でも、誰も信じないでも、すべて滅びるべきだでも何でもいいのだが、それは心から出ているものでなくてはならないし、その歪んだ目的に向かって全速前進している様を見せなくてはならない。

 これは単なるスローガンや目標程度ではない。「なんで今すぐ実行しない?」とか「なんで物語開始までに終わっていない?」とか、突っ込まれないようにしなくてはならない。そうなると、自ずと最低限の賢しさが要ることに気づくだろう。

(言っておくが、勧善懲悪の話をしているのではない。別に主人公が善であるべき、ラスボスが悪であるべきではない。しかし、主人公とは相容れず、過程はどうあれ、完膚なきまでに敗北する役どころが好ましい)


 悪行を重ねておきながら、それを独自の理論で正当化する。下手するとこちら側が間違っていると思わされる、強大な一本の筋が通っている。

 それ故に並のキャラクターでは打ち勝てず、研鑽を積んだ主人公が打破をすることになる。

「仲間との絆」を悪用したラスボスがいても良いだろう。「助け合い譲り合い」の精神をディストピアの糧にしてもいいかもしれない。根底が善である理屈は、否定しにくいし、異質にも感じられるだろう。


 ラスボスはもう一人の主人公であり、作者の代弁者でもある。主人公(自分)の語る格好いい台詞につられ、てっきり主人公と自分を重ねてしまうことがあるが、その台詞の価値は言ったときの状況、盛り上がり具合によって大きく変わる。そしてその雰囲気を作り上げるのは対戦者である悪役、ラスボスなのである。

 そうでなければ、どんな格好いい台詞もクサいだけ、主人公も自分に酔った気障なキャラクターにしか映らない。

 だからやはり、ラスボスに該当するキャラクターもある程度早期に出して、実績(悪行や経歴)を積み上げておいた方がいいと思う。異常な思想へと染まっていく過程、はたまた屈服させるだけの実力の描写を書いていくことで、恐怖しつつも納得することが出来るからだ。そうなればこのラスボスが何をしようとも、もはや頷くしかない。


 そしてそんな積み上げた像を粉々に打ち壊すイベントこそがラストバトルなのである。

 主人公とラスボス、遂に交わることのない二本の太い線がぶつかり合い、どちらかの線がまっさらに消える。

 否定され、凌駕され、ある時は潔く、ある時は醜く、悪の巨星が砕け散る。これが物語最大の盛り上がりクライマックスであり、読み終えた時のカタルシスにも繋がるのかなとも思っている。



 話をまとめると、フリーザってやっぱり偉大なキャラクターなんだなあという話。

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