第三話 能力

「あの……。もしかすると、あまりの苦さに口から吹くかもしれないんで、真正面から退いていてもらえますか?」


とき姫。和哉かずやの真正面は、とってもとーーっても危険ですので、お下がりください」


 和哉が緊張した面持ちで警告すると、李を遠ざけようとするいとに、危険という部分を物凄く強調される。危険扱いされて若干落ち込む和哉の手には、制服に入れていた漢方薬の袋。今から高熱を治すのに必要なものだ。


「えっ、なんで? 確かに布久ふくは毒を持った魚だけど、口から出すだけなんだから危険はないじゃろう?」


「その『ふく』では御座いません! というか、口から魚を出す怪奇な輩など、色々な意味で危険です。もし遭遇したら、直ぐ様お逃げください 」


 絆は天然すぎる主のボケを丁寧に拾ってから、彼女の着物を掴んでグイグイ引っ張っていく。ちなみに、布久とは現代でいうところの河豚のことであり、丸く膨らんだ腹部にちなんで名付けられたらしい。

 男女の力の差でどんどん離れて行くお姫様と侍従。ある程度、距離を置いたところで、絆がオッケーの合図を出してくれる。それを受けた和哉は細長い筒状の袋を開けて、独特な香りを醸し出す粉薬と対峙した。


 何らかの事情で病院へ行き診察を受けると、薬局で抗生物質や痛み止めなどの薬を処方される。それらを医師や薬剤師の言う通り服用し続け、大体、一週間か二週間ほどかけて全快させるというのが、一般的な風邪の治し方だ。

 和哉はそういった薬で治すことができる症状を、粉状の漢方薬を飲むと癒せる不思議な力を持っていた。しかも、他人に使いたい場合は、その人に触れるだけで治療できるのである。奇怪な力故、家族以外には知らせていない。


 高熱に侵されてボーッとしていると、余計なことをして警戒される危険が高い。それに、初対面の人に看病してもらうのは気が引けた。というわけで、和哉は今まで家族以外に話さず隠してきた力を二人に説明し、怪しむ絆に能力を使用する許可を貰って今に至る。


「…………」


「…………」


「…………」


 いつまでも飲もうとせず、警戒心が強い野良猫のようにジッと薬を見つめる和哉。そして、彼が持つ薬を珍しそうに見ている李と、彼の一挙手一投足を監視しつつ訝しむ絆。誰も口を開くことなく、辺りが静寂に包まれる。


「私達のことは気にせず飲んでくれて構わないよ?」


「のっ、飲む勇気が出ないんです……ッ!」


 和哉が怪訝な顔をしている絆の問いに、泣きそうになりながら返した。情けなくて穴があったら入りたい。だが、何故か質問者には微塵も呆れた様子がなく、むしろ納得したような顔で気遣わしげに見られる。そんな反応を不思議に思っていると、彼の隣に居る李に手招きされた。


「和哉、こっちに来るのじゃ」


「えっ、良いんですか?」


「いいから、来るのじゃ」


「は、はい」


 チラッと侍従の様子を伺うも止められない為、簀子すのこへと座った彼女の指示に戸惑いながら従う。そこは母屋を囲むびさしの外側をめぐる高欄の付いた濡れ縁で、通路であると同時に宴会の座を設ける場所としても利用されるところだ。きざはしと呼ばれる五段の階段にも高欄が付き、欄干のない邸は格が低いと見なされれていた。


「ここに座って、それを貸すのじゃ」


「はい」


 彼女の細くしなやかな手に漢方薬を渡し、恐る恐る隣へと腰を下ろす和哉。着物に香を炊き染めているのか、仄かに甘い匂いが漂ってくる。近い距離と脳まで響く香りでドキドキしながら、階の前で濡れた靴と靴下を脱いだ。その間に母屋へと向かった李が、どこからか銀色の匙を持ってきた。

 そのまま、既に封が切られている袋を逆さにして、匙に中から出てきた粉で渋い色の山を築いていく。全て注ぎ終えた後、色香に官能を擽られて目を白黒させた和哉と更に距離を詰め、匙を持つ右手の下に左手を添えた。


「はい、あーん」


「へあっ!?」


 そして、ルビーの瞳を優しく細めてふわりと微笑みながら、顔を真っ赤にして驚く初心な少年の口元に匙を近づける。彼女から全く揶揄っている気配は感じられず、親切心での行動だと伝わるのが破壊力を助長。無自覚で無防備な天然美少女ほど、男の夢と希望を体現してくれる。


 すると、簀子の付近に控えていた絆が、慌てた様子で階を上がってきた。


「と、李姫! お待ちください! 何をなさるおつもりですか!?」


「ボクが飲ませてあげるのじゃ」


「おやめください!」


「薬が飲めない人にはこうやってあげるんじゃろう? ボクが薬を飲めない時は絆がこうやってくれるのじゃ」


 答えを聞き必死に止める侍従に、なんの悪びれもなく何故止められるのか分からないと訴え、小さく首を傾げる天然お姫様。異性を魅了しドキドキさせる戦法を仕込んだ絆に、和哉は自分には無理だと尊敬の眼差しを向ける。


「和哉、そんな目で見ないで。仕方がないんだよ。李姫は布団の中に潜り込んだりして、自分で薬をお飲みになってくれないから……」


 絆は居た堪れない顔で紫色の瞳を逸らした後、気持ちを切り替えるように小さく咳払いをした。


「何はともあれ、李姫が和哉にそのようなことをなされば、他の者が自分もしていただきたいと押しかけてきます。どうか御自身の影響力と容貌——いえ、容姿をご理解いただけますようお願い申し上げます。マジで」


「……ヨウシって何じゃ?」


「容貌じゃご理解いただけないと思って、わざわざ言い直したのに……」


 姫を狙う数多の男を頭に浮かべ心の底から訴えるも、理解してもらえず泣きそうな目を両手で覆い撃沈する絆。肝心の李は顔を隠して動かない絆の袴をくいくい引っ張り、話を呑み込めていない顔で不思議そうに呼び掛けている。


(苦労してるんだなぁ)


 和哉は侍従に憐憫の情を向けた。あの様子だと、主人は自分が色々な男性に狙われていることを、あまり分かっていないのだろう。と、同情的な瞳に晒されて石化状態を解いたのか、絆が床に片膝を突いて李から匙を受け取った。


「……和哉」


「は、はい」


 絆から奇妙なほど満面の笑みで名前を呼ばれ、和哉は萎縮しながら縮まる距離に軽く身を引く。刹那、あくまで姫の暴走阻止を優先する忠誠な家臣に、荒っぽい口調で無理やり口の中に匙を突っ込まれた。


「李姫がまた暴走なさらないように——早く飲め❤︎」


「んぐっ!? ———————ッッッ!!」


 勢いよく口内に捻じ込まれた苦味の塊を、唾だけで飲み込んだ直後に悶絶する和哉。両手で口を押さえて吐くのを堪え、涙目になりながら元凶である絆を見上げる。


「へぇ、やはり和哉も諸刃の能力者なんだね。その薬を飲むだけで高熱が治るとは思えなかったから、飲めば何か能力が使えるのだろうと思っていたよ」


 それと同時に、先程と同じように手で熱を測った絆は、率直な感想と共に感心した表情を返した。飄々とした顔で悪びれもない態度に拗ねたくなるが、そんなことより聞き覚えのない単語が気になり聞き返す。


「諸刃の能力者?」


「そうだよ。君と同じ——って、李姫、お待ち下さい? 今度は何をやらかすおつもりです?」


 漢方薬を飲まされた和哉を見ていたかと思えば、唐突に距離を詰めて額をくっつけようとした李を羽交い締めにする絆。従者にあるまじき乱暴な行為なのに、主は特に気にした様子もなく首を傾げる。


「ホントに熱が下がったのか確かめるだけじゃよ?」


「額で?」


「……? うん」


「…………」


「だ、大丈夫ですか?」


 自分の発問にキョトンとして何の躊躇いもなく頷く李に、彼女を解放した絆が落ち込んだ様子で天を仰いだ。先程の懇願が全く伝わっていなくてショックなんですね。心中お察しします。という意味を込めて、和哉は労うような顔で声をかけた。


「明日からは勉強の時間を増やします! 異性を誘惑するとどのようなことになるのか、懇切丁寧に何度も何度もお勉強しましょう!」


 絆の何かを刺激してしまったらしく、瞳に闘志を燃やした侍従がやる気に満ち溢れる。本当に異性を魅了していることに気付いていないのか、勉強時間が増やされた李が嫌そうに顔をしかめた。


「えー、これ以上勉強するのは嫌じゃ」


「嫌じゃねぇ!」


「いーやーじゃー!」


「駄目です。このまま勉強を怠れば、貴女が怖い目に——。……って、おいこら、耳を塞ぐな!」


 気持ちが昂っているのか口調を荒げた絆が、駄々っ子のように反対しながら両手で耳を塞ぐ李を説得する。和哉は目の前で繰り広げられる子どもの喧嘩みたいな争いに、巻き込まれない位置で傍観を決め込んだ。下手に参戦して過保護な従者が大切にしているお姫様に無礼を働きたくない。そんなことをすれば、再び警戒されるか首が飛ぶだろう。


(この人達にとっては、あんまり身分とか関係ないのかな)


 せめて凍死する前に終わってほしいと思いながら、濡れたままの身体を震わせ現実逃避気味に終息を待った。

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