アコンプレス・レイニー・キルオフ

赤魂緋鯉

第1話

 しとしと、という言葉通りに強くもなく弱くもなく、湿っぽい様子で雨が降り注ぐ夕暮れ間近。


 うーん、ご飯何にしよう。残り物だけってのもなー……。


 止まっている時間の方が長いぐらいの渋滞を抜けて、住宅街の外縁にある自宅に向かう麻里まりは、夕食のメニューを考えつつ、ゆっくりと枝道を走行していた。


 牛歩のごとく軽自動車を走らせつつ、数分考えた彼女だったが、特になにもアイデアは浮かばなかった。


 まあ、冷蔵庫の中見て決めればいいやー。


 とりあえずそれは後回しにして、彼女は家の裏手にある月極つきぎめ駐車場に駐車した。


 スタイル自体は良いものの、平均よりは多少大柄な身体を運転席から出し、麻里は頼りない大きさの折りたたみ傘を差して、ローヒールの足元をらしながら自宅へと向かう。


 そこから家を2軒挟んで隣から、黒い瓦をてっぺんに使った、漆喰しっくい塗りの塀に囲まれた角地に建つ邸宅が麻里の自宅になっている。


 純和風造りのその邸宅は、2世帯が同居するぐらいでちょうど良い、といった具合の広さだが、どこの窓からもあかりが漏れてきてはいなかった。


 塀に囲まれた丁字路を曲がって、正面の重厚な作りの門に視線を向けると、


 ん? 雨宿り、かな?


 小学校中学年ぐらいの女の子が、ずぶ濡れで門のひさしの下にしゃがみ込んでいた。


 彼女の表情は思い詰めた非常に浮かないもので、麻里から見て、年相応の無邪気さ、といったものは全く無いように思えた。


 ちなみに今降っている雨は、降り始めの急な土砂降りから以降したものだった。

 その証拠に、道路を挟んで向かいの家では、ベランダに洗濯物が干しっぱなしになっている。


 麻里が歩みを止めずに近づいていき、残り2メートルほどの距離まで近づいたところで、少女はハッと顔を上げた。


「――あっ、すいません」


 すっくと立ち上がって頭を下げた彼女は、腹側で背負っていたリュックを頭に乗せ、そのまま走り去ろうとした。


「ストップストップ!」

「はい?」


 その背中にそう声をかけられた少女は、足を止めて振り返った。


「その格好じゃ風邪引くよ。あなたが良ければ、ちょっとウチで雨宿りしていって」


 麻里は内心、声かけ事案になりそうだな、とは思ったが、ここで少女を行かせると後悔する様な予感がして、不審者扱い上等でそう言って引き留めた。


「……まあ、良いです、けど……」


 少女はそんな常識外れの言葉にちょっと面食らったが、麻里からは何の悪意も感じなかったので、門扉を開けて待っている彼女の提案を受け入れた。


「ささ、入って入って」

「お、お邪魔じやまします……」

「洗面所、突き当たりを右に行ったところにあるよ」

「はあ」

「服、カゴに入れといてくれたら洗っとくから」

「は、はあ……」


 非常に甲斐甲斐かいがいしくあれこれ気を遣う麻里は、少女に若干引かれていた。


 それを一切気にせず、いろいろ勝手に使って良いから、と追加で言った後、


「下とかの替え買ってくるけど、身長どのくらいか教えてもらってもいい?」


 麻里は近所の店に、少女の下着などを買いに走るため、脱衣所の外から戸越しにそう訊いた。


「ええっと140――いや、赤の他人置いて出かけるなんて正気? 名前もお互い知らないのに?」


 当たり前の様に言うので、普通に答えかけた少女は、つい完全に素でそう指摘した。


「わざわざ言ってくれる子なら大丈夫だね。あと私は麻里だよ」

「私は柚子葉ゆずは――」

「柚子葉ちゃんね。じゃ、行ってきます」

「いや、ちょっと……」


 角が立ちかねないそれを受けても、麻里は全く気に留める素振りも見せず、ふんわりした口調でそう言って、仕事着のレディーススーツのまま鍵をかけて出かけていった。


「……」


 引き戸を少し開けて顔だけ出す柚子葉は、唖然あぜんとした様子でそれを見送るしか出来なかった。


「ただ、いま……」


 彼女がシャワーを浴び終えたところで、慌ただしく帰ってきた麻里が息を切らせながら言う。


「あー……、パンツとか……、洗濯機の上に……、置いとくね……」


 その声は、それだけを聴いたら、犯罪者と疑われても文句は言えないものだった。


「何でわざわざ走ってるのよ……」

「裸で居させるのは、申し訳ないかな、って思って……」

「別に、帰ってくるまで私が浴びてれば済む話じゃない」

「あっ」

「……考えれば分かる事でしょう?」


 その発想はなかった、といった様子で目を見開いた麻里に、風呂場のスライドドアをちょっとだけ開けてのぞき見つつ、柚子葉は呆れた声でそう言った。


「そ、そうだね……。あ、はいタオル」

「どうも」


 洗濯機の左側のラックから、麻里が取り出したバスタオルを、柚子葉はほっそりした腕を伸ばして受け取った。


「あ、ねえねえ柚子葉ちゃん。お腹とか減ってない?」


 カゴの洗濯物をドラム式の洗濯機に入れつつ、りガラス調のアクリル板の向こうで、身体を拭いている柚子葉に訊く。


「そこまでお世話になろうとは――」


 彼女が丁重に断ろうとしたところで、きゅるり、と腹が鳴って黙り込んだ。


「残り物に手加えるだけだから、大したものじゃないけどね」

「……わざわざごめんなさい」

「いいよー、手間全然かかんないし」


 じゃ、作ってくるね、と言って脱衣所から出ると、麻里は居間を横切って台所へと向かった。


 変な人……。私なんかに……。


 ふわっとしている様で、どっしり肝が据わり過ぎるほど据わっている麻里に、柚子葉は終始圧倒されていた。


「あ、ドライヤー使って良いからねー! 新品のくしがタオルの上のところにあるから、それ使っちゃってー!」


 目を丸くしながら脱衣所に出たところで、台所から麻里の大きな声が飛んできて、柚子葉はビクッとする。

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