3-3 過去

 軍にいた時、アートは「テスト」という名で働いていた。戦争で両親を失って孤児だったアートは、キュリオシティに拾われた。うちで働かないかと。食べるあても住むあても無かったアートはすぐにその話に乗った。

 そこで行われていたのは、動物を使った実験に加えて脱走兵を使った実験だった。



 『宇宙人』との闘いにおいて、『宇宙人』の細胞を独自に培養して研究することは人類にとっての最大の課題だった。『宇宙人』の細胞はたとえ戦場から持ち帰ってきても、すぐに死滅してしまう。冷凍保存など、様々な方法を試みたが、全て徒労に終わった。『宇宙人』の本体とその他の細胞とが、量子的に繋がっており、自殺の指令を受け取っているのではないかというのが、物理学者の立てた仮説だった。そうであればどうしようもなかった。

 細胞が死滅してしまうことを知った研究者たちは、今度は『宇宙人』の体液を動物に注射してみることにした。体液には未知の物質と、死んだ『宇宙人』の細胞が含まれている。

 動物の皮下に体液を注射しても特に何も起こらなかった。様々な動物で同じ実験をしてみたが、やはり何も起こらなかった。

 だが、ある人物が、人間の皮下に体液を注射する実験を行った。実験には脱走兵が使われた。これを行ったのが、当時技術部に転属してきてから日の浅かったキュリオシティだ。人間の皮膚に注射された体液は、周囲の細胞の遺伝子を変質させた。ガン化した細胞は次第に増殖していった。その細胞のDNAを調べると、『宇宙人』のものと同じであることがわかった。こうして、『宇宙人』の細胞を培養出来る可能性を示した。

 なぜ人間に対してだけ、このような現象が起こるのかは分からなかった。『宇宙人』が放出する体液には様々な種類があるため、その中のどれがガン化を引き起こすのか、調べる必要があった。

 それら全ての実験をキュリオシティが担当し、彼女は技術部内での地位を確固たる物にした。一連の実験の結果、人間の兵士が『宇宙人』に対して白兵戦を仕掛けた時に分泌される体液に、ガン化を引き起こす成分が含まれているということが分かった。宇美が運悪く手に付着させてしまった体液がこれだ。調合を行うときには欠かせないものでもあった。

 キュリオシティの挙げる研究成果は絶大なものだったが、そのやり方に批判の声も多かった。脱走兵や前線の兵士を使い捨てにするような研究をするキュリオシティは次第に孤立へと向かっていった。一人で専用の研究室へと閉じこもることになった。

 しかし彼女にとってはその方が好都合でもあった。実験対象を探していた彼女はアートと出会った。アートはその時、両親を亡くしたばかりで途方に暮れて、戦場の隅で倒れていた。そこへキュリオシティが手を差し伸べた。一緒に来れば、助けてやると。

 そうしてアートは研究所へと連れて行かれ、ガン化を引き起こす体液を注射された。コードネームは、「テスト」とされた。ガン化剤は、その頃にはかなり性能が上がっており、腫瘍を維持することと転移しないことを両立させるように配合されていたため、即座に死亡することはなかった。アートの身体は、『宇宙人』の細胞の生きた培養器として使われるようになった。キュリオシティはアートから採取した細胞を使用して実験を進め、対『宇宙人』兵器を次々と開発していった。

 一方、アートは自分の身体の変化に気がつき始めていた。腫瘍が少しずつ身体を浸食していく。それと同時に、『宇宙人』やその体液のことが感覚として理解できるようになってきたのだ。

 そして、キュリオシティが留守にしている間に体液を調合した。睡眠ガスでキュリオシティを眠らせた。その隙に研究室を抜け出した。強引に壁を溶かしたり、泡を発生させて銃弾を防だりして、基地を脱走し、戦闘区へとたどり着いたのだった。それからは『宇宙人』の体液を感覚で理解できるという特技を利用して、薬屋をやっている。



「これが、私が経験したすべて。悲劇のヒロインの熱い熱い脱走劇よ」


「キュリオシティが……そんなことを」


 宇美にとって、キュリオシティは信頼できる戦友だ。しかし、それほどに『宇宙人』に対して執着を持っているとは知らなかった。と同時に、宇美は『宙』のことが余計に気がかりになった。おそらく、宇美の家に憲兵を寄越したのはキュリオシティだろう。『宇宙人』の細胞を持つ『宙』を捕まえて、研究材料にするつもりなのだ。人体実験すらいとわない人物だ。やはりすぐにでも取り戻さなければならない。


「『宇宙人』の体液を、私にも注射してもらえませんか」


「何を言ってるの?」


「私の大切な人が、キュリオシティに捕まっているんです。『宇宙人』の身体を持っていて、実験に使われているかもしれない」


「気持ちは分かるけど、別にこれは万能薬じゃないし、無敵になる薬でもない。調合の知識が欲しければ私がレシピを書いてあげるから、そこまでする必要はないよ。確かに宇美ちゃんの寿命は10年ぐらいだけど、それでもまだ長い。死に急ぐ必要は無いよ」


「『宇宙人』の腫瘍が体内で広がっていくに連れて、『宇宙人』のことが分かるようになったんですよね。私は知りたいんです。彼女のことを。身体の全てが『宇宙人』の細胞で出来ていて、まともに意思疎通も取れない彼女のことを、私は知りたいんです。理解したいんです」


「……本当にいいの? 後悔するよ?」


「構いません、やってください」


 宇美の決心は固かった。ただし、宇美の背中を押しているのは、勇気よりも焦燥の方だったのかもしれない。



 注射が終わった。即効性を高めたガン化剤を使ったため、宇美は2日間高熱を出して寝込んでしまった。

 そして注射から3日目、宇美の身体と感覚に変化が起こり始めていた。

 棚に置いてある多数の瓶を見て、どのような効用があるのか、直感で理解できるようになっていた。試しに調合をしてみた。うまみ成分の生成に成功した。


「あ、良い感じじゃん」


「やった……」


 その時、アートの表情がこわばる。


「じゃあ、これも感じるんじゃない?」


 宇美の背中がぞわりとざわついた。遠くの方から、とてつもなく大きな物が近づいてくる感覚。圧倒的な質量ですべてを押し流してしまう規格外の戦力。


「『宇宙人』の、襲撃?」


「ご名答。でも今日のはいつもと違うね。なんていうか、大攻勢って感じ。とどめを刺しに来たのかな。溶解剤があればまだ持ちこたえられそうだけど」


 とにかく今は避難しよう。そう言ってアートは宇美をシェルターへと引っ張っていく。宇美も、これがいつもと同じような襲撃だとは思えなかった。



 今回の襲撃が、『宇宙人』による最後の襲撃となる。そのことを、宇美を含めてまだ誰も知らなかった。



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