2-4 逃避
「もう一度言う!憲兵だ。家宅捜索を行う。ドアを開けろ!」
嘘に決まっている。何が家宅捜索だ。2人ともとっ捕まえて片方は研究所に、もう片方は監獄にぶち込むつもりに違いない。そんなのはごめんだった。
『宙』とはあれだけ愛しあっておきなから、一緒に逃げようという気持ちはほんの少ししか起こらなかった。追う・逃げるという行為にはかなりの思考力が必要になるし、身を隠すためには過酷な辛抱が必要だ。だが『宙』がそのような状況に耐えきれるとは思えなかった。ならば、自分だけでも逃げ延びて、後から助け出した方がいいというのが、宇美が出した結論だった。
その結論は、成功の可能性と判断の正しさによって練り固められている。しかしその中に、自分だけでも助かりたい、という感情がほんの少しだけ入っていることに宇美は気がついていた。気がついていながらそれを見ないようにした。
戦場からかすめ取って来ていた手榴弾3個と拳銃を一丁持ち出して、宇美は床下を開けた。そこには『宇宙人』に攻め込まれた時用の床下シェルターが備え付けられている。宇美が自力でこしらえたものだった。宙が『宇宙人』建物ごと飲み込まれた恐怖が、宇美にこのシェルター造りを行わせた。そしてその成果が、今宇美の窮地を救おうとしているのだった。
真っ暗なシェルターの中をしばらく進み手を前に伸ばすと、金属のひやりとした感触ぶつかる。地上へ出るためのはしごだ。もっとも、地上と言ったところで地下であることは変わりないのだが。
出口を塞いでいる金属板を持ち上げると、光が差し込んでくる。その隙間から、光が闇の中を切り裂くように照らした。そこへ、憲兵たちの怒号やドカドカという足音が聞こえてくる。
もう入ってきたのか。短気な奴らめ。この通路ももうすぐ見つかってしまうだろう。ここからは単純な追いかけっこだ。宇美は急いでよじ登り、外へと這い出す。
辺りを見回し、誰も伏兵がいないことを確認する。いたとしてもどうすることもできないが。
宇美は走った。できるだけ物陰に隠れながら、姿を見せないように走った。繁華街の中へ飛び込んだ。老若男女が入り交じって交流している。できるだけ人が多いところを通って逃げる。そもそも憲兵たちはほとんどが初対面だ。写真で見ただけの人間を、複雑に動いている人混みの中から探し出すことは至難の業だ。
みつからないように最善を尽くしてはいるが、それでも冷や汗が止まらなかった。動機が必要以上に早くなる。だが、むやみに足を速めてはいけない。遠くへ逃げることよりも見つからないことを重視しなければならないのだから。
トン、と肩を叩かれる。宇美は相手の顔を確認もせず、振り向きざまに腕を振った。
「ってえな!何しやがる!」
それは何かの客引きだったようだ。あるいは勧誘だろうか。周りの人間たちが一歩引いていくのが見えた。
最悪だ。
これでは見つけてくれと言っているようなものではないか。無我夢中で人混みの中へと飛び込んでいく。先ほど殴った男が何やら叫んでいたが、謝る余裕などなかった。心の中で謝罪しながら、繁華街を駆け抜ける。繁華街を抜けた先には工場地帯がある。様々な物資を積んだトラックが互いに衝突を避けながら動き回っていた。それはまるで、人工漁場の水槽を見学したときに見たイワシの群れのようだった。 宇美は工場から出てきたばかりのトラックの運転手に声をかけた。首にタオルを巻いた高齢の男が顔を出した。
「どちらへ向かいますか?」
「戦闘区だ」
そう聞いて一瞬、宇美はひるんだ。そこは毎日のように『宇宙人』との戦闘が行われている最前線の中の最前線。法も人権もあったものではない、文字通りの地獄のような場所だと聞いていた。だが逆に、憲兵から逃げるにはもってこいの場所でもある気がした。
運転手の方は、宇美のことを家族や恋人との関係をこじらせた家出か何かだと思ったらしい。戦闘区と言っておけば諦めるだろうと思ってカマをかけているようだ。
宇美はこれを逆手にとることにした。
「本当に戦闘区に行くんですよね?」
「何度も言わせんな、何だ、乗りたいってのか」
この運転手は、一度行ったことを撤回できないタチの人間らしかった。
「乗せて欲しいです。お金は払いますから。まさか、嘘をついたわけではないですよね?」
宇美を乗せたトラックは渋々と発車した。二人乗りだった。後ろはすべて荷台だ。はぁ、と運転手は溜息をつく。
「姉ちゃん、何があったんだ」
「言わない」
「そうかい」
「迷惑をかけてごめんなさい」
運転手は答えず、運転席の横に置いてあった袋入りの菓子パンをもそもそと片手で食べ始める。
「運転中ですよ」
「自動運転だ」
「嘘だ」
「手を離しても道や前の車を見て走ってくれる。ほら」
運転手は突然、もう片方の手も離してしまった。
「ちょっ!!」
宇美は横からハンドルにしがみついた。道に合わせてハンドルを動かそうとするが、なんだか様子がおかしい。何か別の力がハンドルの軸にかかっているようだ。
「本当に、自動運転なんですか……?」
「だからそう言ってるじゃねえか」
状況に合わせて左右に揺れるハンドルを見て、宇美は呆然としていた。驚かされてしまった。
「まぁ、アシストって言った方が正しいけどな。ほら、食べるか?」
運転手は右手をハンドルに戻し左手でパンを差し出してくる。
「おなかすいてないですから」
「こんな朝早くにヒッチハイクしてるやつが、もう朝食を済ませたのか?」
「……じゃあ、1つください」
「おう」
しばらく無言の状態が続いた。運転手は会話上手ではないようで、たまに口を開きかけては溜息をついていた。宇美の方も、あまり身の上を知られたくないから下手に話を振ることも出来ず、会話の内容に迷っていた。また、運転手におかしな方向へ連れて行かれないように見張っておく必要もあった。
何時間ほど続いていただろうか。気まずい無言の時間が終わろうとしていた。
「そろそろ、戦闘区だ。本当にこんなところに降ろしていいのか」
「大丈夫です。ここが目的地なので」
運転手は車を止めた。これ以上は車で行ける道ではない、道路はひび割れだらけ、ゴミだらけで、通る前からタイヤが悲鳴をあげている気がした。
宇美はトラックから降りると、振り返って一礼した。
「ありがとうございます。このような危ないところまで運んでいただいて」
「まあ、とにかく気をつけろよ」
トラックは一度Uターンした。運転手が座っている面が宇美の方へと向く。窓が開けられる。運転手が窓の内側から声をかけてくる。
「堅気の人間じゃないんだろうが、気を付けろよ。自分が何を大事にしたいのか、よく考えて行動しな」
そう言い残してトラックが走り去っていった。いや堅気だよ、と言い返してやりたかったが、前職が軍人で、その上憲兵に追われる身となってしまった今は、確かに堅気でないのかもしれないなと思った。
宇美の目の前には、戦闘区が広がっていた。毎日のように『宇宙人』との戦闘を繰り広げている。それがそれは本当のことのようで、兵士たちが大勢街の中を歩いていた。街の中ではけんかのような騒動も起きていたが、兵士たちは我関せずを貫いていた。治安維持は職務に入らないのだろう。
しばらく進んだところには、闇市が広がっていた。配給でした手に入らないはずの米や小麦が、山積みされていた。
複数の生気の無い目が、場違いな雰囲気を放つ宇美を刺し貫いてくる。
ここが戦闘区。宇美や一般の人々が住んでいる居住区とは空気の味が違った。何より、人々が全く違う法則で動いている。
『自分が何を大事にしたいのか、よく考えて行動しな』
宇美の目標は『宙』ともう一度会うことだ『宙』は研究対象になるだろう。すぐに殺されるようなことは絶対にあり得ない。
今できることは、ここ戦闘区で体勢を整えて機会を伺うことだ。軍部の誰かと仲良くなるも良し、武器を手に入れるも良し、仲間を増やすも良し。
ここで新しい生活を始めよう。いつか、いつか帰ることが出来る。その日まで辛抱を続けよう。
軍のスローガンにもあったとおりだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのだ。
いつか報われる日来る。
宇美の新しい生活が始まった。
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