3
エレノアが目を開けたとき、そのぼんやりとした思考でまず考えたのは、ここはどこだろう――、だった。
高い天井からはクリスタルの豪華なシャンデリアがぶら下がっている。
なんだか、どこかで見たことがあるような気がするシャンデリアだ。
(わたし、どうなって――)
割れるのではないかと言うほどの頭の痛みはほとんどおさまっていた。若干鈍い痛みがある程度だ。
(そう、カモミールの姫は―――)
どうなったのだろう。エレノアは慌てて体を起こそうとして、失敗した。頭の痛みはほとんど引いているが、体はまだ言うことを聞かないらしい。
ここがどこかもわからないし、どうしたらいいのかからずに途方にくれていると、かたりと物音がして首を動かしたエレノアは、目を見開いて凍りついた。
「目が覚めたのか」
そう言いながら、ベッドに近づいてきたのは――
「クライヴ様……」
エレノアの声が震える。
――俺はお前のように不細工でとろくて使えない女と結婚する気は毛頭ない。
そう冷たく吐き捨てた、エレノアの、元婚約者。
もう二度と会うことはないと思っていた彼が、どうして目の前にいるのだろうか。
エレノアは混乱して、ベッドに横になったまま視線を彷徨わせる。――見たことが歩きある気がするのは当然だ。ここは、クライヴの自室だった。
クライヴが近づいてくる。
手を伸ばされて、エレノアはビクリと体を硬直させた。
クライヴはぎゅっと目をつむって体を硬くしたエレノアの様子に、一瞬手を止めてから、そーっと彼女の額に触れる。怯えさせないように――、そんな気遣いが見える触れ方に、エレノアはそろそろと目を開いた。
「少し熱があったんだが、下がったな」
エレノアに話しかけるクライヴの声が驚くほど穏やかで、困惑してしまう。
いつも冷たくて、イライラした様子を見せていたクライヴの、こんなに穏やかな表情を見たのは生まれてはじめてだった。
だからだろうか。話しかけるだけで緊張していた彼に対して、自然と口が動く。
「わたしは、どうしてここに……」
エレノアは月の宮で暮らしていた。カモミールの姫がさらわれて、湖の底にある泉の妖精の城に引きずり込まれたのは覚えている。そこで泉の妖精の王子が、カモミールの姫との結婚を強行しようとして――、そう、止めに入ったのだ。彼が黒い水晶をカモミールの姫の口に押し込もうとしていたのを止めようとして――、そこからの、記憶がない。
エレノアの問いに、クライヴは困ったような顔をした。
「それは俺が聞きたい。俺が部屋に戻って来たとき、お前はこの部屋の床の上に倒れていたんだ。どうやってここに入った。いや――、今まで、どこにいた」
エレノアはうつむいた。
どうやってここに入ってきたのか――、そんなこと、エレノアこそ教えてほしい。今までどこにいたのかなんて教えられるはずもない。彼の問いに何の返答もできなくて――、もしかしなくてもこれは不法侵入ではないだろうかと気がついて青くなる。
城への、しかも王子の部屋への不法侵入――、下手をしたら、捕えられて処刑されてもおかしくない。
エレノアが押し黙っていると、ベッドの淵に腰かけたクライヴが肩をすくめた。
「そんな顔をしなくても、覚えていないのなら別にいい」
思いがけず優しいことを言われて、エレノアはまた驚く。
王家に多い、エメラルドのように綺麗な緑色をしたクライヴの瞳を見つめると、そこに冷ややかな光がなくてエレノアは混乱する。
クライヴはエレノアが嫌いだ。ずっと忌々しそうな視線を向けられてきた。
(どうしてそんな顔をするの――)
エレノアが婚約者ではなくなったからだろうか。自分に関係がなくなったから、憎む必要もなくなった?
戸惑うエレノアをよそに、クライヴは水の入ったコップと、薬紙に包まれた薬を持ってきた。
「念のため、もう一度飲んでおいた方がいい」
「これは……なんですか?」
「妙なものじゃない。解毒薬だ。苦しそうだっから、さっきも飲ませた」
解毒薬と言われて、エレノアは自分が毒に蝕まれていたのだろうかと首をひねる。だが、この薬が効いて楽になったというのなら、飲んだ方がいいのだろう。
エレノアは素直にクライヴから薬を受け取った。こくんと薬を飲み下すと、ホッとしたようにクライヴが表情を緩めた。
「食事は? 何か食べられるか?」
「い、いえ――、わたしは……」
早くここから出ないと。だが、やはり体に力が入らなくて、エレノアは眉を下げる。
クライヴはエレノアからコップを受け取ると、強引に彼女をベッドに押さえつけて肩まで布団をかけてしまった。
「まだ体調が悪いんだ、安静にしろ」
「でも――」
「安心しろ。お前がここにいることは誰も知らない。これからも誰にも言わないし、この部屋には誰も近づけないから、調子がよくなるまでゆっくりしていればいい」
それは、安心してもいいのだろうか。エレノアにはわからない。
でも、動けないのだから、クライヴの言う通りにするしかなく、エレノアは小さく頷く。
「待っていろ、何か消化によさそうなものを持ってきてやる」
エレノアの姿を隠すように、ベッドの天蓋を全部下ろして、クライヴが部屋から出て行くと、エレノアはそっと息を吐きだした。
どうしてこうなったのだろう。
「サーシャ、さま……」
カモミールの野原でいい子で待っていろという言いつけを守らなかったエレノアを、サーシャロッドは怒っているだろうか。
「……帰りたい」
涙が出そうになって、エレノアはきゅっと唇をかみしめた。
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