3
大きな貝殻のようなベッドに、白くふわふわと波打つ髪を広げて、カモミールの姫は眠っていた。
ぷっくりとした唇、幼子のようにやわらかい頬、白い肌に、長いまつ毛。
ベッドの淵に腰かけて、彼の指先はゆっくりとカモミールの姫に触れる。
泉の妖精たちが強引に連れてきてから、彼女はずっと眠っていた。
「可愛い……、私の眠り姫」
彼はうっとりとつぶやく。
青灰色の髪に、同色の瞳。すっきりとした輪郭。目元は少し垂れ目気味で、印象は甘く優しい。だが、その瞳に宿るのは、仄暗い光だ。
左の頬には、墨で描かれたように黒い模様。それは曼珠沙華のような形をしていた。
「やっと手に入れた」
うっそりと笑う。
彼は愛おしそうにカモミールの姫の頬を撫でてから、その唇に触れるか触れないかというほどの軽いキスを落とす。
「早く目を覚まして。私がここでずっと――、愛してあげるから」
カモミールの野原に行くと、待っていたとばかりに妖精たちが集まってきた。
「さーしゃさま――!」
「さーしゃろっどさまぁ―――!」
「ひめさまが―――!」
妖精たちは今にも泣きだしそうな顔でサーシャロッドとエレノアを取り囲む。
カモミールの姫の両親は、目の前で娘が攫われてショックで寝込んでしまったらしい。
「サーシャロッド様」
「ああ、翁も呼ばれていたのか」
妖精たちをかき分けるようにして、ふわふわの白いひげを蓄えた妖精の翁が姿を見せた。真っ白い眉を下げて、疲れたような顔をしている。
「妖精のことでお手を煩わせて申し訳ございませぬ。奥方様もわざわざ起こしいただきありがとうございますじゃ」
「いや、かまわん。それで、どうなっている?」
「それが、わしにもよく……。先ほどから女王に話しかけてみてはいるのじゃが、まったく反応がありませんのじゃ」
「反応がない?」
翁は頷いて、小さな翁の身長の半分ほどの大きさの巻貝を取り出した。泉の女王は普段湖の底の城で暮らしているので、連絡の手段としてこうした魔法のかかっている道具を使うことが多い。翁は、その貝に向かって「女王やー」と話しかけるが、しばらく待っても何の反応もなかった。
「妙だな」
泉の女王は生真面目な性格だ。こちらからの呼びかけを無視したことはない。
エレノアも、一度だけ会ったことがある泉の妖精の女王を思い出した。濃い青色の波打つ髪をした、腰から下が魚の尾ひれのような姿の、可愛らしい妖精だった。とても優しそうな顔で、実際にエレノアに対しても優しく親切だった。
エレノアは心配になって湖に視線を向ける。
カモミールの姫も心配だが、連絡が取れないという泉の女王も心配だ。
(突然、どうしたのかな……。――あれ?)
エレノアはつないでいたサーシャロッドの手を放して、湖に近寄った。湖の中央のあたりが小さく泡立っているように見える。
「こら、離れるんじゃない。約束しただろう」
サーシャロッドの腕がエレノアの腰に巻きつき、言いつけを守れない子供を叱るような口調でたしなめる。
「ごめんなさい。でも、サーシャ様、あれ……」
エレノアが指さす方を見たサーシャロッドは、微かに眉間に皺を寄せた。
翁もそちらに目を向けて、ふさふさの眉毛に半分隠れている目を見開く。
「水が……」
それはあっという間の出来事だった。
小さくぷくぷくと泡立っていた湖の水が、中央から外に向けて、波紋を広げるかのように黒く染まり、エレノアは小さく悲鳴を上げる。
「く、黒くなった……」
サーシャロッドは近くにいたカモミールの妖精を捕まえ、こう命じた。
「急ぎ、雪の妖精の女王のところから、ポールを連れてきてくれ」
青水晶を持ってくるように――、サーシャロッドのその言葉を聞いて、エレノアは、ついひと月前の黒い雪だるまのことを思い出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます