3
朝降り出してきた雪は、昼前には吹雪と呼んでもおかしくないほどの強さになった。
横殴りの風と共に吹きつけてくる雪を受けながら、サーシャロッドたちは青の洞窟の魔女に訊いた情報を頼りに雪山の奥へと進んでいく。
妖精と人間の混血とはいえ、さすが雪の妖精の女王の血を引くだけある。カイルは雪の中も涼しい顔で歩みを進めていたが、先のその父親が音を上げた。
「ストップー。さすがに無理です。ちょっと休憩させてください」
人間にはこの吹雪の中は相当つらいようで、ポールが肩で息をしながらそう言ったのも無理はない。
雪原を抜けて、針葉樹の森に入ったところでサーシャロッドたちは足を止めると、休憩をとることにした。
サーシャロッドとカイルは平気だが、さすがにポールが凍死してはまずいので火を起こすことにする。涼しい顔であっという間に、針葉樹を切り倒して薪にして火をつけてしまったサーシャロッドとカイルに、ポールはしみじみと言った。
「神様と妖精って、すごいですねぇ」
道具もなしに木を切り倒して薪にしたカイルと、それに一瞬で火をつけたサーシャロッド。すごいすごいと頷いていれば、カイルがあきれたような顔をした。
「僕にはあの母上と結婚した父上の方がよほどすごいと思いますけどね」
「え、どうして?」
「母上みたいな人を妻にする勇気は、僕にはありません」
「ええ? カーミラ、すっごく可愛いのに」
カーミラ、と雪の女王を呼んだポールに、カイルははあとため息をつく。
半分人間の混血であるカイルはともかく、妖精たちは普段名前で呼び合うことはない。妖精の名前は特別なのだ。力あるものに名前を知られれば、使役され、下手をすれば命を落とす。だから妖精たちは基本名乗らないし、名前で呼び合わない。彼らの名前を知っているものはごくごく限られるし、呼ぶことを許す相手はもっと少ない。
父は結婚した時に母に名前を教えられたそうだ。だがその名前を呼べるのは、雪の女王の城では父だけ。息子であるカイルにすら、呼ぶのを許されていない名前だった。
ポールはそんな息子がかわいそうなのか、たまにこうして母の名を告げる。呼ぶことを許されていなくてもカイルが母の名を知っているのは、父がたまに会話に乗せるからだ。それを聞かれても問題ない人の前でないと、呼ばないが。
「母上が可愛いという父上が理解できません」
「可愛いじゃないか。普段ツンツンしてるのに、たまに甘えてくるのがたまらないよ」
「……はあ」
カイルは火の中に薪を一本放って、嘆息した。
サーシャロッドはそんな親子の会話を笑って聞いていたが、ふと顔をあげた。
「……今、何か聞こえなかったか?」
「僕にも聞こえました」
カイルが手に持っていたもう一本の薪も火の中に放り込み、立ち上がる。
「父上。ちょっとここで火の番をしていてください」
カイルがそのまま森の奥へと向かおうとすると、サーシャロッドがそれを押しとどめた。
「私が行く。カイル、お前はここでポールといろ。万が一、黒だるまの残りがいたとして、ポール一人だと心もとない」
あんまりな言いようだったが、実際、頭を使うことは得意だが武術はさっぱりなポールは、黙ってうんうんと頷いた。
カイルは情けない父親にあきれながらも、サーシャロッドに従う。
そしてサーシャロッドは、何かが聞こえてきた森の奥へと足を向けた。
しばらく歩くと、「何か」はまた聞こえてきた。
「……声、か?」
吹雪の音にかき消されてはっきりとは聞こえないが、それら誰かの声のようだった。
声は進むにつれてだんだんと大きくなり、それが叫び声だと気がつくとサーシャロッドは駆け出した。
――助けてくれ、と聞こえたからだ。
やがて、サーシャロッドの目の前に切り立った断崖が姿を現した。
「……黒だるま」
サーシャロッドの眉間に皺が寄る。
そこには黒い雪だるまの妖精たちが十数匹、断崖に向かって半円を書くように集まっていた。その奥に、雪に半分埋もれたような人影を見つけて、サーシャロッドは考える前に手を振った。
パキン――、と乾いた音を立てて、黒い雪だるまの妖精たちが足元から凍りついていく。青水晶はポールが持っているので、サーシャロッドはとりあえず黒い雪だるまの妖精たちを氷漬けにして動きを封じ込めると、その人影に走り寄った。
「おい――」
助け起こして、サーシャロッドはハッとした。男だ。しかも、サーシャロッドが知らない人間。
「ばかな……」
この世界にいる人間は、サーシャロッドが連れてきた人間ばかりだ。サーシャロッドが知らない人間がいるはずがないのである。
サーシャロッドは茫然としたが、男の口から小さなうめき声が聞こえて我に返った。男の意識は朦朧としていて、このままでは危険だろう。
サーシャロッドは男を抱え上げ、何気なく崖肌へと視線を向け――息を呑む。
断崖には、まるで墨を塗ったかのような黒い亀裂が入っていた。
「……こんなものが」
サーシャロッドは男を抱えたまま亀裂に近づく。まだ小さいが、これは空間と空間をつなぐ亀裂だった。男はこれに吸い込まれてやってきたと考えていいだろう。
そして、亀裂の周りには、ポールが青の洞窟で見つけたのと同じ黒い水晶があった。
サーシャロッドは小さく舌打ちすると、亀裂の上に手をかざした。亀裂は、まるで傷が塞がるかのように消えて、何もない崖肌に戻る。サーシャロッドは黒い水晶を一瞥して、ポールを呼ぶために、男を抱えたまま来た道を引き返した。
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