3
次の日の昼、エレノアは昨日作ったイチゴジャムを詰めた瓶を持って、回廊を二つ渡った先にある、カモミールの姫が今日から二週間滞在するという棟に向かった。
カモミールの姫は今朝早くに月の宮殿に到着し、わざわざ挨拶に来てくれたようだが、そのころエレノアはサーシャロッドの腕の中で深い眠りの中にいた。
起こすのがかわいそうだと言って、サーシャロッドはわざとエレノアを起こさなかったようだが、せっかく挨拶に来てくれたのに寝たままだったなんて申し訳なさすぎる。
お詫びに、エレノアは昼からリーファに手伝ってもらってスコーンを焼くと、イチゴジャムと一緒に届けに向かうことにした。
月の宮殿は広く、うっかり迷子になってはいけないからと、リーファも一緒についてきている。
だが、いつもはエレノアが向かうところ向かうところわらわらとついてくる妖精たちが、どうしてか今日は一人もついてきていなかった。
不思議に思っていると、リーファがおかしそうに笑いながら教えてくれた。
「ばあやさんがいらっしゃいますから、恐ろしいのでしょう」
そう言えば昨日も妖精たちは「ばあや」と言っていた。
――ばあや、こわいもんねー?
――ねー?
――かもみーるのおひめさま、だいじょうぶかなぁ。
――すぐにつえで、おしりたたくもんね!
――こわいー!
妖精たちがぷるぷると震えていたことを思い出し、エレノアは顔を曇らせる。
「ばあやさんって、どういう方なんですか?」
「そうですねぇ……。わたくしはお世話になったことはございませんが、この月の宮殿に昔から住まわれている妖精で、妖精の花嫁教育をされている方ですわ。普段はお優しそうなおばあさんですのよ。ただ、花嫁修業に来る妖精たちのなかには、悲鳴を上げて逃げ出そうとなさる方もいらっしゃいますが」
リーファはもう十年もこの宮殿で暮らしているから、それなりに顔はあわせているそうだ。
(優しそうだけど、妖精さんたちは逃げ出そうとするの?)
エレノアにはいまいちピンとこないが、少しだけカモミールが心配になった。
棟と棟を結ぶ朱色の回廊を渡り終えると、大きな平屋の棟にたどり着く。
エレノアの生活スペースである棟も一階建てだが、ここは異国情緒があるというか、少し不思議な作りだった。
ばあやが暮らしているこの棟の雰囲気は、リーファが以前人間界で暮らしていた国の建物に似ているらしい。ここに来るといつも懐かしい気持ちになるのだそうだ。
大きくせり出した屋根に、壁には幾何模様の窓が整然と並ぶ。入口の扉は鮮やかな朱色で、細かな彫刻が彫られていた。
「ばあやさん、リーファです。エレノア様をお連れしました」
リーファが声をかけて扉を開ける。
リーファに促されてエレノアが中に一歩足を踏み入れたとき―――
「いたいっていってるでしょ――――――!」
聞き覚えのある叫び声がして、何かかびゅんとこちらへ勢いよく飛んできて、ゴンッとエレノアの額に激突した。
「いったぁあああ」
「きゃああ!」
どうやら突撃してきたのはカモミールの姫らしかった。エレノアにぶつかって後方に吹っ飛んだカモミールの姫を視界にとらえたエレノアは、そのままぶつかられた拍子に尻餅をつく。
持っていたイチゴジャムの瓶がするりと手の中から飛び出して―――
「かー! はしたない娘じゃ!」
遠くからしわがれた怒号が響いて、びっくりして顔をあげたエレノアの頭に、真っ逆さまに落ちてきたジャムが、べしゃりとかかった。
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