5
サーシャロッドは、サーシャ様と呼ばれているようだ。
わらわらとエレノアの周りを取り囲んだ羽の生えた小人たちが、そう教えてくれた。
小人たちは、妖精というらしい。
月の世界には妖精が、太陽の世界には龍族が住んでいるのだそうだ。
もちろん、妖精以外にも住んでいるものはいる。鳥や動物や、エレノアが知らなかった見たことのない存在もいるらしい。だが、人は数えるほどしかいないのだそうだ。ここに住む人間は、サーシャロッドに気に入られた人間だけだという。
だからエレノアも気に入られたんだよと妖精たちが言ったが、気に入られたのと「妻」とはどう結びつくのだろうとエレノアは首を傾げた。
いきなり妻と呼ばれても実感はないし、どうしてそう呼ばれたのかわからない。
凍りついてしまったエレノアを見て、苦笑したサーシャロッドが、少しゆっくりするといいと言って退出したが、ゆっくりしても理解できないものは理解できなかった。
(どうして、わたしなんかを……?)
エレノアは無価値。そう言われ続けてきた特別美人でもなく、とろくてどうしようもない、がりがりに痩せた娘を、どうして月の神が「妻」と呼んだのか。
「サーシャ様には、奥さんがたくさんいるの……?」
もしもそうならば、そのうちの一人として迎え入れられたのだと考えられる。
エレノアが暮らしていた国は一夫一妻制だが、遠い異国にはたくさんの妻を娶る国もあるそうだ。その妻たちには序列があり、序列が下のものは、妻と言いながら召使に近いという。位の高い妻たちの身の回りの世話をしたり、主人の世話をしたりする。もしエレノアも同じであれば、妻という召使として迎え入れられたと考えられるのだが――
「残念ながら私の妻はお前だけだな」
考え込んでいると突然頭の上から声が割り込んできて、エレノアは顔をあげた。
サーシャロッドが面白そうに笑いながら、深皿を手渡してくる。
「糖蜜で煮た桜桃だ。甘いぞ」
器の中には、赤々としたサクランボがシロップの中にいくつも浮かんでいる。サーシャロッドはビスケットを取り出して、それもエレノアに手渡した。
「甘いからな、これと一緒に食べるといい」
だが、エレノアは皿とビスケットを持ってまたしても固まってしまった。
甘いもの。お菓子。それらは一度も与えられたことがない。どんな味がするのかもわからないし、そもそもエレノアが食べることを許されたものかどうかもわからなかった。
困ったように眉を下げていると、突然サーシャロッドがエレノアを抱き上げた。目を白黒させているエレノアを連れて、ベッドから部屋の中の大きなソファに移動すると、エレノアを横抱きに抱えてサーシャロッドが腰を下ろす。
「え? あの……?」
またしても理解不能な状況がやってきてエレノアはおろおろするが、サーシャロッドはお構いなしに糖蜜漬けのサクランボをスプーンですくうと、エレノアの口に運んだ。
「ほら、口をあけろ」
「で、でも……」
「早くしないと糖蜜がこぼれるぞ」
確かに、スプーンを伝った糖蜜が、今にも零れ落ちそうになっている。エレノアが慌てて口を開けば、口の中にスプーンが突っ込まれた。
途端に広がる甘くて少しだけ酸っぱいサクランボの味に、エレノアはパチパチと目を瞬かせる。
「甘いか?」
頷く。
「美味いか?」
これにも頷く。
恐る恐る咀嚼しながら、エレノアは生まれてはじめて食べる甘いものに感動した。
(……おいしい)
食事と言えば硬いパンと残り物のスープ。ミルクがあるときは贅沢だった。憐れんだ使用人が、昔一度だけリンゴをくれたが、感動して眺めていると、食べる前に妹にとりあげられた。そして、エレノアにリンゴを渡した使用人は次の日にはいなくなった。それ以来、みな腫れ物のようにエレノアを避けるようになった。
飲み込むのがもったいなくて、エレノアがいつまでももぐもぐと口を動かしていると、サクランボをすくったスプーンがもう一度口に寄せられる。
今度は、エレノアは素直に口を開いた。
「甘すぎやしないか?」
そう言ってサーシャロッドがビスケットを手渡すので、素直に受け取って一口かじる。芳ばしくてサクサクしていて、エレノアはまた感動した。
「そうか。お前は甘いものが好きなんだな」
好き。好きってなんだろう。よくわからないが、甘いものは嬉しい。もっと食べたいと思う。だったらこれが好きってことかもしれないと、エレノアは頷いた。
「……すき、です」
エレノアが答えると、サーシャロッドが目を細めてサクランボを口に運んでくれる。
「嬉しいときは笑うものだぞ」
サーシャロッドに言われて、また考える。笑う。そう言えば、いつから笑っていないのだろう。最後に笑ったのは、もう思い出せないほど昔のことのよう。
エレノアはこくんとサクランボを飲み下して、笑おうとした。だがうまくいかずに、口の端がぴくぴくと引きつってしまう。
「無理はしなくていい」
サーシャロッドはあきれたりはしなかったが、少しだけ落胆したように肩を落として、エレノアの口にサクランボを運ぶ。
素直に口をあけて、もぐもぐと咀嚼しながら、うまく笑えなかった自分をちょっぴり悔しく思った。
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