3
木の枝をかき分けるように進んでいく。
どこへ向かおうとか、目標があるわけではない。
ただ、じっとしていると泣きそうになるから歩くことにしたのだ。
泣くと、父が怒る。義母が怒る。妹が冷めた目で見て「醜い」と嘲笑う。だからいつしか泣くことはいけないことだとエレノアは思うようになったし、実際ここ何年も泣くのを我慢して生活していた。
クライヴに婚約破棄と言われてゴミを見るような目で見られても、涙は出なかった。
だけど知らない山の中で一人ぼっちにされると、心細さから涙が溢れそうになる。
ここにはエレノアの涙を怒る父も義母もいなかったが、泣くたびに叩かれ、蹴られたあの恐怖はしっかりとトラウマとして心に植え付けられている。
道なき道を進んでいけば、やがて目の前に泉が現れた。
覗き込めば澄み渡った水の底が見える。そっと手をつけてみれば、さすがに春先とあって冷たかった。
エレノアは水辺に膝を抱えて座ると、ただぼんやりと光を反射してキラキラと輝く泉を見た。
「これからどうしよう……」
山の中で、一人で生きていくことはできないだろう。
こうして水は見つけたが、水だけで生き延びられるのはせいぜい数日がいいところ。もともと栄養失調気味のエレノアでは、数日も持たないかもしれない。
それに――
(わたしの生きる価値は、殿下の婚約者であったことだけ。婚約者でなくなったのなら、わたしが生きている意味って何だろう……?)
エレノアには価値がない、価値はクライヴの婚約者という名前だけだと言われ続けたエレノアは、それが正しいことだと認識している。
エレノアには価値がない。
クライヴの婚約者でなくなったのならば、生きている意味はない。
エレノアの視界には、泉がある。
悩んだのは、ほんの一瞬だった。
エレノアは立ち上がると、靴を脱いで、冷たい泉に足をつける。
あまりの冷たさに身震いしたが、震えながらも一歩一歩、泉の中心に向けて歩みを進めた。
冷たい。寒い。
水深は徐々に深くなって、すでに小柄なエレノアの胸のあたりにまで達している。
このあたりでいいだろうか。
エレノアは大きく深呼吸をしたあと、目を閉じて、泉の中に倒れこんだ。
口を開けると、途端に勢いよく水が押し寄せてくる。
苦しかったのは最初だけで、体が沈んでいくにつれて、意識がどんどんと混濁した。
これでいい――
生きる価値はないのだから、これでいいのだ、と。
エレノアは遠くでキラキラと光る水面を見つめながら、そっと意識を手放した。
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