失意の果て

1

 半年前――


 十八歳の誕生日をむかえた日の昼下がり、エレノアは花嫁修業で向かった城で、婚約者に言われた言葉がすぐには理解できなかった。


 婚約者――、二つ年上のサランシェス国第一王子クライヴとは、エレノアが生まれてすぐに婚約がかわされた。


 それは、エレノアがサランシェス国で由緒正しい公爵家の生まれで、娘が生まれれば第一王子の婚約者にすると生まれる前から決められていたからだった。


 物心ついた時にはすでにクライヴの婚約者と呼ばれていたので、エレノアは彼の妻になることをこれっぽっちも疑っていなかったし、貴族の世界で政略結婚は当たり前だと教えられて育ったので、ひんやりと冷たい目で見つめる彼との結婚を嫌だとは思わなかった。


 エレノアは生まれてこの方、誰かに「大切」にしてもらったことが一度もないので、これが当たり前だと認識していたというのもある。


 エレノアは、誰にも大切にしてもらえない。つらく当たられることは日常茶飯事で、結婚して幸せになれるとはこれっぽっちも思っていなかった。


 ただ、彼は自分の婚約者。一生かけて尽くさなければならない大切な人。そういう認識で今日まで来た。なのに――


(どうして、ここにシンシアがいるのかしら……?)


 シンシアはエレノアの三つ年下の異母妹だった。


 エレノアを産んで半年ほどで母が亡くなり、そのあとすぐにやってきた後妻の娘、それがシンシアだ。


 シンシアはなぜかクライヴの隣に座って彼の腕に自分の腕をからませ、勝ち誇ったようにエレノアを見上げている。


 シンシアが、バラの花びらのように赤い唇をにいっとつり上げて、馬鹿にしたようにエレノアを見つめるのはいつものことだが、今日はいつもよりも少しだけ様子が違った。


「聞こえなかったのか?」


 エレノアがぼんやりしていたからか、クライヴがイライラとした口調で言った。


「聞こえなかったのならばもう一度言ってやる。いいか、俺はお前のように不細工でとろくて使えない女と結婚する気は毛頭ない。今ここで、お前との婚約は破棄することにした。かわりにお前の妹と結婚する。わかったら、無意味な花嫁修業などしていないで、さっさと城から出て行け」


 エレノアにしっかりと聞かせるためだろうか、今度は一字一句ゆっくりと区切るように、クライヴが告げる。さげすむような、冷ややかな、心底嫌そうな声で。


 エレノアは目を見開いたまま、大きく息を吸った。


 心臓がおかしい。なんだか音がとても大きいし、頭の芯がぼんやりする。ガンガンと殴られたように頭が痛いし、息は吸えても、吐き方がよくわからない。


 はっはっと浅く息を吐きだすエレノアを見て、シンシアが広げた扇で口元を隠した。


「なあに、その息。発情した犬みたい。無様ねえ、お姉様」


 くすくすくすくす―――、シンシアの笑い声がどこか遠くて響いている。


 エレノアはシンシアを見ようとしたが、視界が赤く染まって、見ることが叶わなかった。


(わたし―――)


 イラナイ、ムスメ。


 幾度となく言われた言葉が、ガンガンと痛む頭の奥で響く。


 そして、エレノアはふっと意識を手放した。

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