アセンブル3.5 ―― duo
桜木樹
第1話 因循と変革 前編
猪口ねね――
良家に生まれ、何不自由ない暮らしの中にあり順風満帆な生活を送っていた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、彼女が万葉学園高等部に入って、心機一転し新たなスタートを切ろうかという時であった。
…………
万葉学園――
将来紳士淑女となることが約束された人たちが通う初等部から大学部までの一貫教育ができる学園。ここに通う生徒たちは総じてお金持ちであるという共通点がある。
初等部の頃から通い続けている私は、その年高等部へと上がった。
高等部生ともなると、心身ともに大人の仲間入りで、周りもみんな落ち着いた雰囲気を漂わせる。初等部の頃から礼儀作法を叩き込まれるので、他校に比べてもともと大人っぽい生徒が多いというのもある。
ただしこれはあくまで理想論。
現実には、落ち着いた行動を心がけている生徒の数は多くない。
先生たちが見ているところでは慇懃を装い、一旦監視の目が離れれば年相応の“素”が露呈する。
中には他人をからかったり直接手を出したりする生徒だっている。
そんな彼らにとっては、中等部から高等部に上がるこの時期はとてもいいタイミング。理由は、いわゆる“外部生”が入ってくるから。
高等部までの9年間を同じ学び舎で過ごしてきた生徒には手を出しにくいけど、外から来た初めて顔を合わせる人間には手を出しやすい。
そして……こういうときに限って、私のクラスにからかい甲斐の有りそうな生徒がやってくるんだから……
その子の名前は
見た目は幼く、言動もまた子どもっぽい女の子だった。
自己紹介の際にみんなの前で話をする彼女に厳しい視線を向ける生徒がいた。
なんでこんな子がこの学園に? ――って、みんなそう思っていたに違いない。私もその一人だった。
万葉学園で過ごしてきた人間にとって彼女の存在はまさに突如現れた宇宙人のようで、本当に私と同じ年齢なのかと疑いたくなるほどだった。
――――
入学早々私は担任の先生に職員室に呼び出された。
背が高くて綺麗な女の先生。この学園の先生は生徒たちの模範となるように性別を問わず気品に溢れていた。中でも担任の先生は軍を抜いて所作が美しく、私もこうなりたいと思わせてくれる素晴らしい先生だ。
「猪口ねねさんよね?」
「はい」
「いきなりで申し訳ないんだけど。級長をお願いしてもいい?」
やっぱり……って思った。
中等部の頃からずっとそういう役を押し付けられてきたからなんとなくそういう話がくるんじゃないかって思ってた。
「はい。わかりました」
私としてはそれが嫌なことじゃないから全然気にしてないから、特に断る理由もない。
…………
4月のある日のこと。午後の授業が始まっても犬塚さんが教室に現れなかった。午前の授業にはちゃんと出ていたし、荷物も置きっぱなしになっているから学園内にいることは明らかだった。
始業と同時に犬塚さんがいないことに気づいた先生が、級長である私に彼女を探してこいと命じた。
犬塚さんは外部生。入学して間もない彼女はもしかして校舎内で迷っているのかも知れなかった。
私は校内を探し回った。もしかして行き違いになったのかなと思って、一度教室に引き返しもした。それでも見つからなくて、私は校舎の外へ捜索範囲を広げることにした。
外に出るとき、犬塚さんの下駄箱をチェックしてみたら、案の定上履きが残っていた。休み時間等に決められた範囲でなら校舎外へ出ることは禁じられていない。
――外でお弁当を食べて戻ってこれなくなったとかだろうか?
万葉学園の敷地は広大だ。初等部の頃から通い続けている私でもそのすべてを把握しているわけじゃない。せめて他の学部の敷地内へ行っていないことをことを願った。
すると……
校舎裏でこちらに背を向けてしゃがんでいる女の子の姿を見つけた。
「犬塚さん?」
彼女に近づきながら呼びかけると。
「あっ! ねねちゃん!」
やっぱり犬塚さんだった。
驚いたのは、彼女が私の名前を呼んだこと。しかもちゃん付けで。
私が自分の名前を告げたのは自己紹介の時の1回きり。その1回で私の顔と名前を覚えてくれてたってことだ。
「こんなところで何してるの? もう授業始まってるよ」
「みてみてっ! ねこちゃん!」
犬塚さんは私の言葉を無視して、両手で持ち上げた猫をグッと私の方に突き出した。
確かに猫だった。白と黒のぶち。首輪をしていないことからどこかから迷い込んできた野良猫だ。
「ねこさんと遊んでたんだよ。――ほら! ねこおにぎりっ!!」
犬塚さんは両手の人差し指と親指で三角の形を作ってその間に猫の顔を挟んだ。猫の顔の形を無理やり三角にして……たしかにおにぎりと言えなくもない。
「って、ダメだよそんなことしたら。猫さんが可愛そうでしょ?」
実際、猫はかなり嫌がっていて前足で必死に犬塚さんの手をどけようとしている。
「かわうそ? でも楽しいよ?」
「かわうそじゃなくて可愛そう、ね。――それと楽しいのは犬塚さんの感想でしょ? 猫さんは嫌がってるから離してあげないと」
「ええぇぇぇ~。やだよぉ、持ってかえるの~」
犬塚さんはイヤイヤするみたいに体全体でを左右に捻って拒絶を表す。それにつられて猫もゆらゆら揺れる。
「でも、校舎内には連れていけないから、ね?」
「じゃあ、ここにうめとく。そしたら帰るとき持ってかえれるよ?」
「だっ、ダメだよそんなことしたら!! 死んじゃうでしょ!!」
「しなないよ。顔だけだしとくから~」
「顔……ぷっ――」
猫が地面から頭だけを出して埋まっているところを想像してしまって堪らず笑いそうになる。
――って、彼女のペースに飲まれちゃダメだ。
「あたしね、茶色のねこさん好きだから、持って帰って茶色くぬるんだよー」
「ますますダメでしょ!」
普段声を荒げることのない私だけど、さっきから叫びっぱなしだ……
「そういうのは虐待って言うの。やっちゃダメって意味だよ」
私がピシャリと言ってのけると、
「そう……そうね」
先程までの彼女とは打って変わって、素直な返事が返ってきた。
「――え?」
声色も先程までと違って少し低めで……私は何が起こったのかと面食らっていた。
そして犬塚さんはあっさりと抱えていた猫を開放した。
自由になった猫は好機とばかりに跳ぶように茂みの中へと消えていった。
「えっと……授業中だから、教室戻ろう?」
犬塚さんは無言で軽く首を縦に振った。
どことなく先程までと違う雰囲気を漂わせている犬塚さん。極端なことを言えば、それはまるで別人のよう。
私が歩き出すと、彼女は素直に後ろをついてくる。
「迷惑かけるわね――」
「――!?」
背中に投げかけられた大人びた口調に思わず振り返った。
「ん~? どしたの~?」
わたしの勘違いだったのだろうか……そこにはいつもの犬塚さんがいた。
そのことが切っ掛けで、私は担任の先生から犬塚さんのお世話係に任命された。私の席の隣に犬塚さんの席が置かれ、彼女の面倒を付きっきりで見ることになった。
それからもうひとつ。先生からお世話を頼まれた際に、犬塚さんが何かしらの病気を抱えているらしく、ちゃんとお薬を飲んでいるかどうか確認してほしいと頼まれた。
明るく快活な印象の犬塚さんは、とてもじゃないけど何がしかの病気を抱えているようには見えない。
先生が言うから間違いなんだろうけど、若干の不信感を抱かずにはいられなかった。
…………
4月、5月……と月日が過ぎて行く中で、犬塚さんの意外な一面を垣間見ることになった。
――本当にこの子大丈夫?――
私をはじめクラスのみんなが抱いていたそんな思いは見事に打ち砕かれた。
最初の頃は諸先生方も敬遠して、授業中に犬塚さんに何かを答えさせるようなことはしなかったけど、最初に行われた数学の小テストで彼女は80超えの点数を叩き出した。カンニングを噂するクラスメイトもいたけれど、授業中に飛んできた先生からの問題に見事な回答をしてみせたことで――話し方は相変わらずだったけど――彼女が本物であることが証明された。
それは数学だけにとどまらず他の授業でもそうだった。
それから体育。ここでも犬塚さんは物凄い能力を発揮していった。走るのも速くボールの扱いにも長けていた。体育の先生が面白がって、男子の中に混ざってサッカーをやらせてみても軍を抜いて活躍していた。中等部にまで厳しいという噂が流ていた体育の先生は優秀な犬塚さんにはとても優しかった。
ただ、芸術及び教養面においてはその限りではなかった。
そして、美術の時間に事件は起こった――
…………
その日の美術の時間は外に出て気に入った風景を写生するという内容だった。
小高い山の見える自然味あふれるベストな位置を見つけ犬塚さんと2人でその絵を描くことにした。犬塚さんは特に何も考えてなさそうだったので場所は私が決めた。
下書きの線を入れながら、犬塚さんの方も確認する。
なぜか……本当になぜかわからないけど、山と人が2人と動物が1匹描かれていた。遠近法的にもメチャクチャだった。写生っていうのは見たままを描き写すことで、当然ながら人も動物も見える範囲には存在しない。
空には太陽まで描かれていて、まるで絵日記の挿絵のようだ。
「何を描いてるの?」
試しに聞いてみた。
「えっとねぇ。これがあたし。こっちはねねちゃん。これはパンダさん!」
「そ、そう……」
私は必至で笑いをこらえた。こんなでも本人は真面目にやっているのだろうから笑ったら失礼だ。
「このまえねー。おにいちゃんにパンダさんのぬいぐるみ買ってもらったのー!」
「そうなんだ」
このときはじめて犬塚さんにお兄さんがいることを知った。
きっとお兄さんも苦労しているに違いないと勝手な想像を膨らませる。
「あら? お二人はこんなところで絵を描いていますの? 精が出ますわね」
「あ……」
声を掛けてきたのはクラスメイトの西園寺さんだった。外国人の血が入っている彼女は、白い肌にブロンドの髪、青磁色の瞳とその特色を遺憾なく表に出していた。
その彼女が3人の取り巻きを引き連れてやってきた。
西園寺さんはここ一帯では超が付くほど有名な企業の会長のお孫さんだ。ほんと絵に描いたようなお嬢様で初等部の頃からの知り合いでもある。
私と西園寺さんの両親同士も知り合いで、何かと引き合いに出されることもある。
「なんですのこれは!?」
西園寺さんはわざとらしく驚いて犬塚さんの画板をひょいと取り上げた。
「うあ。まだとちゅう~! かえしてぇ~!」
「何が途中なものですか! 巫山戯ているんですの!? こんな落書きを提出される先生が不憫でなりませんわ!」
右へ左へ画板を追いかける犬塚さん。それをかわして遊ぶ西園寺さん。
「西園寺さん。もうそのへんにしておいたほうが……」
私の言葉が気に食わなかったらしくものすごい形相で睨みつけてきた。
「猪口さん。あまり調子に乗らないほうがいいですわよ」
別に調子に乗っているつもりはないけど。西園寺さんはこうやって何かと私を目の敵にしてくる節がある。
「取った~!」
動きが止まっていた西園寺さんの隙をついて犬塚さんが画板に手をかける。
「黙りなさい!!」
西園寺さんが画板を取られまいと思いっきり引っぱるとそれがそのまま犬塚さんの頭に直撃した。
「あいだっ!? ――いててだよ~」
「大丈夫!? 犬塚さん!?」
「べ、別にわざとじゃありませんわよ!」
「わざとでなくてもちゃんと謝らないと」
頭を抑えしゃがみこむ犬塚さんを心配しながら、私は毅然とした態度で正論をぶつける。
西園寺さんが根はいい人だということは知っている。だから、犬塚さんに対する指摘もからかおうと思ってやっているのではなく、彼女のためを思って本気で注意したのだろう。もちろん犬塚さんに危害を加えるつもりなどなかったはず。
私の指摘がプライドの高い西園寺さんには気に食わなかったのか、矛先が私に向いた。
「クッ……、いつもそうやって真面目なフリばかり! あなただって本当は面倒事を押し付けられて辟易としているのでしょう? 嫌なことは嫌とはっきり言うことも淑女のあり方ですわ1」
興奮した様子の西園寺さんはヒステリック気味になって手にした画板を振り回した。
「――ッ」
それが私の目の前に迫ってきて、反射的にきつく目を閉じた。
「なっ! なんですの!?」
しかし、画板が私にぶつかることはなく、代わりに西園寺さんの声が聞こえた。
目を開けると、先程まで頭を抱えていた犬塚さんが立ち上がって、画板を持つ西園寺さんの腕をがっしりと掴んでいた。
「……殺すわよ」
ボソリと、でもはっきりと聞こえた冷徹な声。
殺す――犬塚さんは確かにそう言った。
「な、ななな――!!? 聞きました!? 今殺すって言ったわ! なんて物騒な言葉を使うんですの。あなたはレディ失格ですわ!! そうですわよね?」
同意を求めると、首を立てに振ってうなずく取り巻きたち。
「この件は先生に言いつけますからね!」
まるで映画に出てくるやられ役みたいな捨てゼリフを吐いて、西園寺さんは掴まれた腕を乱暴に振りほどいて取り巻きの人たちと一緒に足早に去っていった。
前にも感じた犬塚さんの違和感。
「犬塚……さん……?」
私は恐る恐る声をかけた。
「うん? なぁに?」
だけどやっぱり、犬塚さんはいつもの犬塚さんだった。
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