【短編小説】嘉飛萬象の作品集

嘉飛萬象

時を越えつなぐ命

「これを持って早く逃げろ!お前もやられちまうぞ!」


「でも・・・梅吉さん、あなたはどうするんですか!?」


「俺は大丈夫だから、早く!行け!」


 僕は梅吉さんの小刀を抱えながら森の中を必死で逃げた。もう二度と彼に会えない。心の奥底から湧き上がるそんな予感を何度も首を振ってかき消しながら僕は無我夢中で走った。涙で目がかすむ。前が見えない。それでも必死に走った。梅吉さんにもらったこの命。決して無駄にはできない。


「うわっ!」


 地面から浮き出ている木の根っこにつまずいてしまった。


「ゴボゴボゴボ・・・」


 苦しい・・・。息ができない・・・。池に落ちてしまったようだ。どこにこんなに深い池があったのだろうか。意識が遠のく。駄目だ。このまま死んでしまっては梅吉さんに申し訳が立たない。あの世で会ったら怒られてしまいそうだ。梅吉さんのあの図太い大きな声で。



 目を覚ますと自分の部屋のベッドの上だった。頬は涙で濡れている。窓からは暖かい太陽の日差しが入り、カーテンが風でひらひらと揺れている。机の上に置いてある小さな水晶の原石が七色に輝いていた。


「・・・梅吉さん?誰だ・・・?夢か・・・」


 臨場感溢れる夢だった。不思議と最後の場面しか思い出せない。でも思い出している暇はなかった。その日は一時限目から授業が入っているため、いつもより朝が早い。ベッドから身を起こし、授業に出る準備をした。赤いシャツにベージュのチノパンに着替えた。

健康に良いと聞いてから毎朝一杯の白湯を飲むようにしている。白湯を飲むと頭がすっきりする。しかもどういうわけか、最近白湯が不思議と甘く感じる。水は温めると甘く感じるようになっているのだろうか。白湯を飲み終えて、軽く朝食を食べた。机の上に置いてある水晶をポケットに入れて、新調したばかりの茶色いブーツを履いて大学へ向かった。

 大学へ向かう電車の中で僕は夢のことを思い出していた。梅吉さん、なんだかとても懐かしい感じがする人だった。どこかで会ったことがあるのだろうか。梅吉さんは鎧のようなものを身にまとっていた。確か僕は小刀を梅吉さんからもらったはずだ。梅吉さんは誰かと戦っているお侍さんだったのだろうか。では僕は。僕は誰だったのだろうか。こういうはっきりとした夢を見る時は前世の記憶が夢で蘇っている時だと聞いたことがある。もしかしたら僕が見た夢は僕の前世だったのだろうか。どうせなら梅吉さんが僕の前世だったらよかったのにと思った。威勢がよく、たくましい。自分の命を犠牲にしてまで人の命を助ける勇敢さ。それなのに僕の前世は泣きながら逃げて木の根っこにつまずいて池に溺れて死んでしまった。なんて滑稽な人だ。笑えない。あの世で散々梅吉さんに怒られて生まれ変わってきたからこんなに臆病な性格になってしまったのだろうか。

 いつもの退屈な授業を何とか眠らずに堪えて僕は大学の裏山へと向かった。僕は授業の合間に大学周辺の自然と触れ合うことを日課にしている。きれいな花を見ると胸が弾んで嬉しくなる。緑々しい木々に触れると優しい気持ちになれる。自分の中の悪いもの全てが浄化されて、新鮮で力強いエネルギーが身体中を駆け巡るような感覚に陥る。


「さて、今日はそろそろ帰るよ」


 傍から見たら頭のおかしな人と思われるかもしれないが、僕は草木や花、そして石にまでも話しかけることが習慣になっている。別に友達がいなくて寂しいからそういうことをしているわけではない。僕にも友達はいる。多少。


「うわっ!」


 地面から浮き出ている木の根っこにつまずいてしまった。


「ゴボゴボゴボ・・・」


 苦しい・・・。息ができない・・・。池に落ちてしまったようだ。いつからこんなにどんくさくなってしまったのだろうか。そしてどこにこんなに深い池があったのだろうか。意識が遠のく。駄目だ。苦しい・・・。



「おい!しっかりしろ!」


 目を覚ますと視界にはむさ苦しい男の顔があった。


「うわっ!」


「人の顔見て驚いてんじゃねぇよ。なんだ、元気じゃねぇか。心配して損した」


 どこかで見たことのある顔だった。たくましい肉体。鎧を身にまとい、小刀を腰にぶら下げている。それにこの図太い声。そうだ、この人だ。


「梅吉さん!?よかった、もう二度と会えないかと思いましたよ」


「あ?なんで俺の名前知っているんだ。しかも俺はお前と会ったことねぇぞ。まさかお前敵か?」


「いや、違います!敵ではありません!夢で見て・・・」


 もしかしてこれは夢で僕の前世をまた見ているのだろうか。自分の前世を探るチャンスだ。自分がどういう格好をしているか確認するためにまずは自分の足元を見た。茶色いブーツだ。その日の朝に履いてきたブーツと同じものだった。先日ショッピングモールで一目惚れしたその靴は前世に所縁があったから選んだのだろうか。そしてベージュのチノパンに赤いシャツ。これも朝と同じものだった。


「まぁこんな変な格好した敵なんて見たことねぇし・・・。ひ弱そうだしな」


 変な格好でひ弱そうとはなんて失礼なやつだ。そっちだっていかつい変な顔をしているくせに、と心の中で思った。


「・・・あれ?梅吉さん、左腕を怪我してる?」


「あぁ、さっき敵に見つかってちょっぴりやられちまったんだ。それで血を流しに川に来たらひ弱なお前が倒れていたんだ」


 ひ弱は余計だ。くどい。確か僕の鞄の中に汗を拭うために入れておいたタオルがあったはずだ。僕は鞄の中に手を入れて探った。


「変なもの背負っているかと思ったら中から布が出てきやがった。おかしな野郎だなぁ」


 出会った直後から気になっていたが梅吉さん、言葉が汚い。


「いいからその腕見せてください。タオルを巻いて血を止めましょう」


 梅吉さんの左腕にタオルを巻いて止血処置をした。


「いやぁ、助かった、恩に着る」


 鞄を締めながら僕は思った。待てよ。どうして前世の僕がこの鞄を持っているのだろうか。そしてどうして今朝入れたタオルが鞄の中に入っているのだろうか。もしかして、この僕は、前世の僕じゃなくて、僕なのか。もはや何がなんだかわからない。


「梅吉さん、鏡持っていますか」


「鏡?女じゃあるまいしそんなもの持っているわけねぇだろ。そんなに自分が見たいんだったらそこにある池を覗き込め」


 そこに映っていたのは僕だった。どういうことだ。これはやはりただの夢なのだろうか。夢にしては全てのものがはっきりしているし、今朝着てきた服も着ている。鞄の中身だって今朝入れたものだ。そういえば僕は大学の裏山の池で溺れたはずだ。ここはどこだ。


「そういや、お前何か食うもの持ってないか。この数日敵から逃げ回っていてちゃんと食うもん食えてねぇんだ」


 それが人に物を頼む態度なのか、と思ったが口には出さずに僕はまた鞄の中を探った。鞄の中にはお昼に食べようと思っていたコンビニのサンドイッチがあった。それを梅吉さんに渡すとまたもや文句を言い出した。


「なんだこれ、本当に人間の食う食べ物かよ・・・もぐもぐ」


「文句言うなら返してください。僕もお腹空きました」


「わりぃ、全部食っちまった」


 夢で一度しか会ったことがなかったが、梅吉さんに対して多少の憧れを抱いていたはずなのに、実際に会ってみてその憧れは一瞬で砕け散った。なんだかがっかりだ。僕の前世がこの人でなくて良かったとさえ思えた。


「それにしてもお前よくこんなところでうろついていたな。なんだ、敵から逃げようとしてどんくさいから川で溺れたのか」


 どんくさかったのは図星だが、梅吉さんに言われるとなんだか腹が立つ。


「大学の裏山で池に溺れてしまって、気が付いたらここにいたんです」


「なんだダイガクって。わけのわかんない言葉を使うやつだな。どこから来たんだ」


「東京です」


「トーキョー?まったわけのわかんないこと言いやがって。どこだかわかんねぇよ。お前まさか俺のことおちょくってんのか」


「そんなにすぐ怒らないでくださいよ」


「怒ってねぇよ。わけわかんねぇ言葉使うから混乱してんだよ。まぁいいや。そういやお前刀持ってねぇじゃねぇか。川にでも流されたか」


「刀なんて最初から持ってませんよ」


「あ?この戦の真っただ中に刀を持っていない男なんかいんのかよ。本当に不思議なやつだなぁ」


「戦?何の戦ですか?」


「はぁー。幸せなやつだ。今までどこにいたんだよお前」


「どこって・・・さっきまで大学です」


「あぁーもういいやお前と話してもわけわかんねぇ。とりあえずついてこい。刀持ってねぇんだったら俺が守ってやるよ。さっきやつらに襲われたのはあっちの森の中だったな・・・。村に帰るにはその森を抜けなきゃならねぇ。ついてこい」


 梅吉さんが突然走り出した。


「え、ちょっと待ってよ!はやいって」


 僕を守ってくれるんじゃなかったのかよ、と言ってやりたかったがとりあえず僕も梅吉さんの後を追った。森の中は薄気味悪くてじめじめして不気味だった。獣のような鳴き声と奇妙な鳥の鳴き声が四方八方から聞こえてきた。川の側では太陽が神々しく光り輝いていたのに、森の中は薄暗くてまるで夕暮れ時のようだった。


「なんだかお前とはずっと昔から知っているような気がするんだよな」


 森の中を進んでいる途中にさっきまでずっと険しかった梅吉さんの表情が和らいだ。


「やめてください、気持ち悪い。でも僕もなんかそんな気がするんですよね。というか僕は梅吉さんのこと夢に見ました」


「そっちこそ気持ち悪い。勝手に人を夢で見るんじゃねぇよ」


 げらげらと梅吉さんは声に出して笑った。その表情がとても優しく、とても温かかった。幼い頃の両親から受けた無償の愛にも似たような懐かしい愛情に包まれた。そんな昔のことなど当然覚えているわけがないのだが、なんとなくそんな気がした。


「ピィー!!!」


どこからともなく突然手笛が鳴り響いた。


「やばい、見つかっちまった!とりあえずお前はさっきの川まで戻れ!俺も後を追う!これを持って早く逃げろ!お前もやられちまうぞ!」


 梅吉さんはそう叫ぶと腰にぶら下げていた小刀を僕に預けた。


「でも・・・梅吉さん、あなたはどうするんですか!?」


「俺は大丈夫だから、早く!行け!」


「じゃあこれを!僕の大事なお守りです!絶対に生きて帰って来てください!絶対にまた会いましょう!絶対ですからね!」


 僕はそれを梅吉さんの鎧の中に入れると梅吉さんの小刀を抱えながら森の中を必死で逃げた。絶対にまた会いましょうとは言ったものの、もう二度と彼に会えない。心の奥底から湧き上がるそんな予感を何度も首を振ってかき消しながら僕は無我夢中で走った。涙で目がかすむ。前が見えない。それでも必死に走った。梅吉さんにもらったこの命。決して無駄にはできない。


「うわっ!」


 地面から浮き出ている木の根っこにつまずいてしまった。


「ゴボゴボゴボ・・・」


 苦しい・・・。息ができない・・・。池に落ちてしまったようだ。どこにこんなに深い池があったのだろうか。意識が遠のく。またか。このまま死んでしまっては梅吉さんに申し訳が立たない。あの世で会ったら怒られてしまいそうだ。梅吉さんのあの図太い大きな声で。



「あ~よかった、心配しだんだから」


 そこには祖母がいた。僕は祖母の家で横になっていた。どうやら庭の池で溺れていたらしい。


「梅吉さんは・・・!?」


「梅吉さん・・・?あんたご先祖様の夢でも見ていたのかね」


「ご先祖様・・・?」


「そうですとも、梅吉さんはうちのご先祖様の名前だよ。梅吉さんはな、立派なお侍さんだったんだよ。とても強いお侍さんだったんだ。たくさんの人の命を救ったって聞いている」


 僕は思った。絶対梅吉さんが大袈裟に言いふらしたんだって。


「そういえば、うちに代々残っているものがあるんだ。ほら、きれいだろう。うちの家宝だ」


 それを見た途端に大粒の涙が僕の頬を伝った。何粒も何粒も。気が付いたら号泣していた。祖母は僕を不思議そうに見ている。でも僕は泣き続けた。安堵感によって自ずと涙がこぼれ出た。梅吉さんはきっとあの後助かったに違いない。助かって僕からもらった水晶を家宝にしてくれたのだ。


「梅吉さん、今日は祥月命日だね。ありがとう、僕は元気に生きています」


 僕はあれからすぐにお先祖様のお墓にお参りに行った。そしてそれからは毎月、梅吉さんの祥月命日にお墓参りをするようになった。お花を供え、線香に火を灯した。線香の煙が風に揺られながら天に向かって伸びていくのをしばらく眺めた。その煙が梅吉さんのところまで届くようにと祈りながら。

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