今日というひについて

Tomoka Kaneko「英語表記」

第1話 今日というひについて

やはりiPhoneはもうだめになっていまっている。

核心をつくことを記すと固まり原稿が消える。

何回消えても私はいっこうにこまらないし、何回でもまた書くだけである。


まず、今日というひについてかくまえに、新聞、雑誌、テレビに週刊誌、SNSで無料配信されている様々なニュースの無意味さについて述べたい。


新聞にも雑誌にもひいては本屋にも大量の広告があり書籍も映像も広告主からの収益にて、かろうじで、赤字街道まっしぐらな中、自転車操業となった今、広告主にこうかけ、といわれた歪められタコとと、広告主の赤字だから、ここにひとを呼ぶ内容の番組をやれ、とやらせでできたものが、番組でありテレビといったものの中身である。事実の記録以外、見る価値が、ない。

さもあちこちの書籍のおおもとや企画が経営できている、とでっち上げの報道をくりかえし、捏造にまみれたゴシップを大量にWikiのかきかえをしてまでつくりあげて、ますますものがうれなくなり赤字経営で首がまわらなくなった本屋やCDショップ、ビデオショップおもちゃや、といった場所に読者や視聴者の足を運ばせ黒字にしようとしているのが、非常に腹黒いビジネス、出版業界、テレビ業界、音楽、エンタメ、といった広告主ありきの工場を持たないメディアであり、ラジオといった場所もひとをよびこむだけのただの守銭奴、つまりタレントといった手に職のないやくざの売り込みの場所となってしまったことはすでにいくつかの新聞のみだし、内容、炎上ネタだののヤラセのだれでもでられるTSUTAYAに買われたYahoo!ニュースをもってSNSでしらしめた通りである。 Appleがやはり都合が悪くなるとここの記事の書きかけまで固めて消すので何度でも書く。


私は富士市のあの製紙工場のトイレットペーパーを事故の前から愛用しているが事故の前まで、ダブルもシングルも真っ白な白しかなかった。

トイレットペーパーは真っ白でないと、例えば出血といったことがあったとき、どすぐろいのか、鮮血なのか、みわけがつかない。どこの病院も、まともなところはトイレットペーパーはしろである。

しかし匂いのついたダブルをつかいつづけたくないとは思いつつ、コロナにまみれたペーパーを平気でひとにうりつけるようなメーカーでは購入したくないとおもい、家にある買い取り0円の本を駿河に送ろうとすると、送り先が神田乙女館、名古屋などくるくる変わる。つまり今、本屋も映像ショップもコロナにまみれうれなくなり、買い取りして中古を販売するしかなくなったため、ここにおおきなビジネスチャンスがあるとみこしたのが、三井のプリンスといわれていたしらないひとが財界ではいない東芝CEO、車谷氏である。

駿河屋のアレンジメントは三井住友銀行。車谷氏が礎を築いたところである。

こういうものは悪い商売をした神田行き、神田乙女館にながせば、いつまでも東芝にこびりつきたがる室井が乙女違いともわからず飛び付いて新潟にいくだろうから、こういうものはジブリだので悪いことした愛知行き、ホンダにとびついてエンタだの見栄っ張りの名古屋人がとびつくから、こういうものはどうぞ0円で清水におくり富士市のきれいな製紙工場でダブルもシングルもいつになったらもとの真っ白なトイレットペーパーになるか、インクがなくなれば染めなくなる、書店がつぶれるまで待ちましょうと言う合図と察し、ばかばかバカみたいな販売をやめないAppleミュージックやTSUTAYA、タワレコは干され、興行を行うコンサート会場にカラオケももう干されていることに気がつけないエンタメたち。


マイクが回収されるイコールコンサートはできなくなりカラオケで収益をだの叫んでいた人たちの収入源がまず絶たれる。

そう、東芝には映像デジタルソリューションがあり、AppleだのIPをつけ回しiPhoneをのきなみうごかなくして、彼らの自業自得のやらせを取り締まりできる工場とサーバーがあり、どんなやり方でデータを削除されても彼らは私のIPを知り抜いているため、どの機材をもかためて記すことをやめさせようとしても無理なのである。 私にとって記すことは、新聞のようにすてられてもまた書けばよい、程度であり、はなから稼ぐ気はないし、はながた企業は表に出す情報、HPにだすものと、内々で動くことはきりわけていることをも私は知り抜いているため、まぁ、資生堂のアルゴリズムとアルコールひとつで出荷予定の工場まわりをコロナにまみれさせ、東芝ラグビーを応援しただけで本社まわりで事故さえおこさせるヤクザのやり口など、とおの昔におみとおしだし、今日という日を母の日だの感謝だの寄付で埋め尽くしている人たちは仕事のないあぶれもので、やくざなのだ。

いまなおコロナに苦しむひとの気持ちもわからない、まるでこころまでAIになった気持ちのわからないひとたちとしかいえない。

私のところにはたくさんの海外からの連絡がくるが、彼らは英語でかかなくても翻訳機で瞬時に私の原稿をよみわけているため、今となっては留学歴も自慢にもならないことを知らない人だけ政治にかこつけ、世の中という非抽象的なものにかみつき売れようとしても買い手がいない彼、彼女らのようなひとたちをひとのいたみのわからない自己中心的なものたち、という。21:28 2010/5/10

私は今日ははななぞかわなかったし、まともな病院は切り花は水がいたみ病気をばらまくから見舞いでもはなをもちこませないし、でかけてコロナにまみれる 可能性より家にいて買い付けをおこない、清掃ばかりおこなっていたことをしるしておきたい。


21:46 2020/5/10

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