第11話 馬車道
「さっさとずらかるぞ!」佐久間が叫んだ。
彼を先頭に、非常階段を伝って地上に降りた3人。目出し帽を剥がし着ていたコートを脱ぎ捨て、表通りの様子をうかがう。
階下にある高級中華料理店の前には、闇カジノから逃げ出した客と騒ぎを聞きつけて集まった野次馬でごった返していた。
「よし。車に乗り込むまで何も喋るなよ勝利」
唾を飲み込みうなずく勝利を先頭に押し出し、人ごみにまぎれて、涼しい顔で冷静さを装い少し先で待つリンカーンへ。
「凄かったな。でっけえ黒人が前の車に落ちて来たときはビックリしたぜ」と興奮冷めやらぬ様子の鈴本。
「さっさと出せよ! ボケナス!!」佐久間が怒鳴った。
車は中華街を抜け山下公園から西へ、海岸沿いを本牧に抜ける道をたどり木島自動車にたどり着いた。現地解散となったが、すでに市電も動いていない。
「黄金町に戻りたいんだけど」
レンは今日中に龍神会の組事務所に行って報酬をもらいたかった。佐久間は後輩の方に首を向けた。「誰か車出してやよ」
「勝利連れてけよ」鈴本が言った。
「良いっすけど、車は?」
「ミゼットしかねえよ」
「えー! オート三輪っすかぁ。せめてヒルマンくらい出してくださいよ」
「生ぬかすんじゃねぇよ! 自分で稼いで買え」
佐久間と鈴本は足早にその場を後にした。残された二人は所々錆びついたオンボロのミゼットに乗り込む。
車の通りも少なくなった海岸線をオート三輪で走る。木島自動車を出た二人のミゼットは、海岸に作られた材木プールに差し掛かった。月明かりの静かの海に、パタパタと2ストの乾いたエンジン音が響き渡る。彼方には街明かりが薄っすらかかった霧の向う側で瞬いていた。
「うーん、どうしたもんか」レンが呟いた。
「どうしたんすか?」運転する勝利は横目にレンを見た。
「デートに着ていく服」
「レン君でもデートするんだ!」
――ボカッ!
「痛ってぇ!」勝利は側頭部をさすった。「金入ったんだから、元町あたりの高級洋品店でも行けばいいじゃんか?」
「うーん、おばさんも付いて来るから」
「え? 良いとこのお嬢さんなんですか相手は?」
「うん」良いとこのお嬢さんを、良いお嬢さんと勘違いして答えたレン。
「なるほどねぇ。それじゃあ、考えちまうなぁ。イタリア風のピンストライプなんか着てった日ににゃ、不良には娘はやれません! なんて言われちまいそうだぜ」
「あー! 洋服何て自分で買った事ないから分かんない!」
レンは、苛々して頭を掻きむしった。
「よっしゃ! 明日は俺っちも非番だから、服買いに行くの手伝ってやろうじゃん!」
「ほんと?」
「おうよ! 大船に乗ったつもりで任せとけ!」
「ありがとう! 勝利!!」
「わ、あぶね! 傾くから!」
レンが抱き着いたことでハンドルが取られ、危うくバランスを失いそうになるオート三輪。
龍神会の事務所に着くと勝利もレンの舎弟のふりをして一緒に上がり込んだ。
「すげぇなぁアレ。本物の虎なんだろうな」
「キョロキョロするなよ勝利」
応接間に通され、豪華で趣味の悪い如何にもヤクザ趣味の内装に興味津々の勝利。レンの方はさっさと金を貰って退出したかった。しばらくすると明が札束の入った封筒を持ってやって来た。
「おう、ご苦労だった! また頼むぜ」
「す、すげぇ」
レンが封筒の中身を確認するのを見て、勝利は驚きの声を上げた。報酬の50万円は当時の新卒サラリーマン一年分の給与に匹敵する額なのだ。
明けて翌土曜日。昼下がりにオート三輪で迎えに来た勝利は、レンの部屋に立ち入り、その狭さに驚いていた。
「迎えに着たよレン君! うわ、なんだよこの部屋。俺んちだって、もうちょっとマシだぜ」
「荷物ないから」
「金有るんだからさ、山下方面のホテルにでも移れば良いじゃんか?」
「いいんだよ。さ、行くぞ」
空っぽの部屋から階段を降り、オート三輪に乗り込む二人。路面電車が走る大通りを桜木町駅に向かって走り、駅前を右へ。大岡川を渡ると、すぐ先にある商店街が見えて来た。大きな通りの両側にはアールデコ調のビルが立ち並び、石畳の歩道は多くの外国人客で賑わう。さながら西洋の都市にでも来たのかと、錯覚するような街並みなのである。
「ふぅ! ここはアイスクリームで腹ごしらえと行きますか!」
あたまの両側を刈り込んだ流行りの髪型に、アロハとサングラスといういで立ちの勝利。レンは、如何にもおのぼりさん然とした勝利に不安を覚えた。
レンは店頭でコーンドアイスを勝利に買ってやり、一路、洋品店を目指して歩き始めた。
「やっぱ馬車道は、かわいいオナゴが多いと思わんかい? レン君」
「ん? あ! ビートル!」
レンが指さす先には、クリーム色のフォルクスワーゲン。女の子よりも珍しい車の方にご執心のようだ。
「え? どこどこって、おい! フェラーリだロールスロイスだなら分かっけどよー。ビートルくらいで叫ぶなよ、恥ずかしい」
意外とというか、自動車整備工なので自身も車好きな勝利であった。
そうこうするうちに、通りの真ん中あたりにある英国洋品店に入る二人。
「相手の親がうるさいから、上品じゃないとダメなんだろ? 肩幅広めとダボズボンのアメリカンじゃまずいと思ってよ」
「よくわかんないよ勝利」
「おーい! そこの店員!」勝利が手を振って叫んだ。
ポマードで固めた中年の店員が、二人を見て一瞬、顔をしかめたが、すぐに表情をリセットして無表情でレンたちのもとへやって来た。
「如何なされましたか、お客様」
「こいつ、明日デートなんだけどさ。相手の親が上流階級らしくてうるさいんだわ」
「はぁ」
「そこで、スーツ見繕いにきたってわけよ」
「左様でございますか、しかし、スーツは仕立てに2週間は掛かるので、今日中は無理かと」
「えー!? そこを何とか! おい、金出せよレン!」
「あ? うん」
レンはおもむろにズボンのポケットから裸の紙幣の束を取り出した。
「はっ!!!」店員の目の色が変わる。「デ、デ、デートでは、ドレスコードのあるレストランには行かれますか?」
「どうなんだ? レン」
「映画見に行くだけだよ」
「だってよ」
「でしたら、こちらのノーフォークジャケットなど如何でしょうか? カントリースタイルと言いまして、イギリスでは郊外に遊びに行くときなどに着るカジュアルな服装です。違う柄のパンツと合わせることが出来ますので、丁度よろしいかと。特にこちらはスーツに近いシルエットになっておりますので、一度お試しになられてみては如何ですか?」
急に饒舌になった店員が、茶色いツイード地のジャケットをレンに着せてきた。
「お、良いじゃん!」
「そうかな?」
「大変お似合いです! お客様。そうだ! この同じ柄のハンチングを合わせると尚よろしいかと……」
結局、ジャケットの他に、ハンチング、ワイシャツ、革靴、ネクタイ、財布などを店員に言われるがままに買わされたレンなのであった。
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