第2話 本牧
陽炎のゆらめく2車線道路、その横浜方面から黒塗りのキャデラックがようやく姿を現わした。減速もそこそこにタイヤを軋ませながら乱暴に自動車整備工場に乗り入れてくる。入り口前にぞんざいに停められた車から降りてきたのは二人の男、どちらも柄物の開襟シャツに麻のジャケット、首元に金のネックレスをじゃらつかせた、如何にもチンピラ風情といった感じだ。
「暑くてたまんねぇな。おい! 鈴本。鞄お願い」
「へい」
鈴本と呼ばれたチンピラは、軽く頭を下げた後、そそくさとトランクに駆け寄って黒のボストンバッグを取り出すと、兄貴分の後を追って開け放たれた入り口から工場の内へと入っていった。
レンは、チンピラたちが工場へ入ったのを確認すると、スカーフを巻いて顔の下半分を隠し、道を渡って工場の中へと足を踏み入れた。
中では油と錆の匂いが混じり合う中、ボンネットを開けて覗き込んだり、外した扉を叩いて直したり、ジャッキアップされた車体の下をいじったりと、各自がそれぞれの作業に没頭している。
「もうやらないんだ……」
目の前の仕事よりも、頭の中の考え事の方に気を取られたままのレンは、またも独り言が漏れ出してしまう。それでも、何とか工場の奥に仕切られた事務所を目指し歩みを進めた。
8畳ほどの小さな事務所内では、大きさが家庭用冷蔵庫くらいありそうな金庫に、先ほどのチンピラたちの手によって、ボストンバックから取り出した宝飾品が吸い込まれていく。その様子を見ていた、椅子にふんぞり返る恰幅の良い中年男性が口を開く。
「おう、龍神会には気付かれて無いだろうな佐久間?」
「へぇ、もちろんです木島のオヤジ」チンピラの一人が言った。「言われた通り東京の宝石店何軒か回って買い集めたんで、ハマの連中は知りようがねぇよ。でもよ、慎重すぎやしませんか?」
「現金で持ってるとな、極道のゴロツキ共に感づかれるかもしれん。これなら万が一見つかっても、うちの店に流す品物だっていい訳が立つ。それに、近頃はヤンキーのブラザーたちも円よりゴールドだってうるせえからよ」
「さすが社長! ヤクザより一枚上手だぁ」
鈴本が感心したように声を上げた。
「減らず口たたいてねぇで、さっさと手を動かせ!」
木島のオヤジと呼ばれた中年男は文句を言いながらも笑みを見せている。
「うんざりなんだ……」
亡霊のように外で様子を伺っていたレンは、頃合いを見計らって事務所の中へと侵入した。
椅子にふんぞり返っていた木島のオヤジが最初に気付く。
「誰だお前?」
レンは無視して、金庫へ進んでいく。そして、金庫の前にたどり着くと、傍にいるチンピラたちすら存在しないかのように、右手をポケットから出すと、金庫の中身をレインコートの内側へ放り込み始めた。余りにも大胆な犯行に一瞬ぽかんと見とれるチンピラたちだったが、
「何やってんだ! さっさと抑え込め!!」
「へ、へい!」
オヤジの命令で我に返り、彼を取り押さえようと襲い掛かった。
「このヤロウ!!」
チンピラの一人が首元に掴みかかった拍子にレンは少しよろめく。しかし、手袋に包まれた左手で壁に手を付きバランスを取り戻すと、反対の手で首に絡みついた腕を捻じり上げた。
「イテテテテ!!」
「悪い奴の相手をするのも……」
崩れ落ちたチンピラの首根っこを掴むと、野良猫を放り出すかのように軽々と投げ飛ばした。チンピラは事務所の窓ガラスを突き破り部屋の外へ。それを見た鈴本が
「死にさらせ!!」
――ゴリ………。
匕首はレンの差し出した左前腕に突き刺さる。まるでトタン板にでも突き立てたような不思議な感触。その感触に違和感を覚え、匕首を左腕から抜き取ろうと鈴本は引っ張るが、万力で抑えつけられたかのようにびくともしない。それでも踏ん張っていると、いきなりレンの左腕が振り上げられた。身長差から匕首にぶら下がる格好になった鈴本は、たまらず手を放し、バランスを崩して後ろの壁際に尻もちをつく。
「刃物で刺されるのも……」
レンは、平然と右手で匕首を抜き取ると、壁際で立ち上がろうとしていた鈴本めがけて投げつけた。
「ひっ………。ば、ばけもの!!」
鈴本の左耳すぐ横の壁に突き刺さる匕首。へなへなと滑り落ちた彼のことなど気にする様子もなく、レンはコートの内側に縫い付けた袋に左手で金品を詰め込むことを再開した。
「盗みも……」
手早く作業を終え事務所の外へ出た。チンピラたちとの格闘の間に木島のオヤジは逃げ出したようで、姿は見えない。工員たちも、関り合いになりたくないのか黙々と作業を続けるフリをしていた。何事も無かったかのように悠然と歩み去るレンが出口に差し掛かる前、物陰に隠れていたオヤジがレンの背後に拳銃を持って飛び出してきた。その距離約5メートル。
「止まれ! 撃ち殺すぞ!」
そうは言ったものの、木島のオヤジは言葉を発したとたんに引き金を引いていた。
それに対し、レンは瞬時に左肩を前に半身で木島の方へ向き直り、左腕を前に投げ出して僅かに振った。弾丸は、彼の寸前で奇妙な軌道を描いて避けて行く。リボルバーが弾切れになるまで引き金が引かれ続けるが、まったく命中しない。周囲の工員たちは恐れをなして縮こまっていた。
「クソッ、どうなってんだ!」
一発も当たらなかったことに目を白黒させて立ち尽くす木島。そんな奴に向けてレンが左手を広げて前に突きだすと、右手の拳銃がレンの広げた手元に吸い寄せられた。
「撃たれるのも……」
レンは左手にある銃を握りつぶして相手に放り返す。
「うぐっ!」
どてっぱらに拳銃の残骸が当り、しゃがみ込む。
「もう、全部おしまいだ……」
レンは向き直ると歩みを進め、出口近くにたどり着くと、一番近くに居た丸刈りの若い工員に話しかけた。
「あの車治ってる?」
「え?」
若い工員は、男の黒ずくめの不気味な見た目と違って、瑞々しい少年の声に驚いた。レンは口元のスカーフを下ろしてもう一度質問する。
「聞き取れなかったか? あそこのスバル360治ってるか聞いてんの」
「ああ、あれっ? 買ったばかりでちょっとぶつけただけみたいだから、新車だしぜんぜん問題ないよ。でも………」
「でも?」
「奥のリンカーンの方が良くない? V8・6000cc・300馬力! スバルの百倍パワフルだぜ?」
自分と大して変わらないか若造だと感じて勝手に親しみを覚えたのか、工員が気安い感じで進めてきた。
レンは彼の言葉に苦笑いした後、「重い車は苦手なんだ」と穏やかな笑みを湛えて返事をした。
若い工員はその時に見たレンの彫りの深い端正な顔にドキッとした。彼が一瞬、浮世離れした気分で固まっている間に、レンは出口付近に止めれれているグレーの軽自動車に近寄る。そして、窓ガラスを左手でおもむろに突き破って、中からロックを解除すると、珍しい前開きの扉を開けて軽自動車に乗り込んだ。狭い運転席に潜り込んで扉を閉めると、左手の手袋を外した。
露出した左手は無数の鉄くずを寄せ集めて作ったような奇妙な見た目の義手だった。レンが左手の人差し指をスターターに押しこむと、指先の金属片が変形して鍵穴に吸い込まれていった。セルを回し、エンジンがかかると指を引き抜き手袋をはめ直した。すぐさまアクセルを吹かし、ギアを繋ぐ。車はヒューンという掃除機みたいな音を響かせて、陽炎のゆらめく通りへと飛び出していった。
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