夏休み
なぜ夏休みの宿題は生まれたか ~明治時代 夏休みの歴史~
夏休みの宿題、皆さまはどんな印象をお持ちでしょうか。最終日に大忙しの人から初日に全て終わらせる猛者まで、実に様々な人がいます。
今の子どもだけではありません。夏休みの宿題は日本の一文化として根付いているとすら言えます。以下は、70年前に書かれた宿題に追われる子どもの姿ですが、今なおその情景を浮かべることが容易にできます。
これは、どういうわけであろうか。あまりに遊びが過ぎたため、あと二三日という頃になつて、急にばたばたとあわて出し、今までほり放しにしていた宿題の山と取り組まなくてはならない。さあ大変である。工作や理科はお母さんや兄さんにも手伝つてもらい、日記は友達からかりて天気具合を書き入れることとし、図画は参考品を見付けて何とかしなければならない。一家総動員のお手伝いで夜もろくろく寝ずに後始末をしてしまわなければならないことになる。
(出典:那須田茂「夏休みの宿題作品について」『美術教育』1954年、p.13)
まるで自分のことだと思った方もいるでしょう。では、こうした姿はいつから見られるのでしょうか。どうやら100年以上前、明治時代後半から多くの学校で夏休みの宿題が実施されていたようです。今回はなぜ夏休みの宿題が生まれたのか、その歴史を見ていきます。
1.夏休みの普及、存廃の議論(1880-90年頃)
日本の学校制度は1872年(明治5)の学制から始まります。初期は長期休暇ではなく数日間の休みや短縮授業を行っていましたが、1881年の小学校教則綱領において「夏季冬季休業日」が登場し、初めて法律上で明示されました。
この頃、教育関連の雑誌ではそもそも夏休みは不要ではないかという議論がなされていました。主に必要派は、(1)暑さによる子どもへの悪影響、(2)教員の研修期間としての重要性を主張し、不要派は(1)休暇中に子どもの生活習慣が乱れる、(2)授業をすれば学習を進められると主張しました。こうした論争を経ながら徐々に夏休み制度は広まっていき、1895年頃には存廃の議論は見られなくなっていきました。
2.夏休みの過ごし方、宿題の普及(1900-10年頃)
1900年代になり、学校から子どもに対して、夏休みの過ごし方の「心得」が出されるようになります。夏休みをどのように過ごしなさいと書いたプリントは現在でもよく配られますが、120年前には始まっていました。例えば、生活面では「起きる・寝る時間を決めなさい」「みだりに川遊びをしてはいけません」など、そして学習面では「毎日時間を定めて朝に国語や算数の復習をしなさい」「学校の命令通りに日誌をつけなさい」「図画や書写の稽古を怠ってはいけません」などと宿題が指示されるようになりました。1900年代後半からは、紙が量産できるようになったこともあり、夏休みの宿題帳「夏休帖(じょう:冊子)」が使われるようになりました。
夏休みは学習に重要な期間、そして普段できない楽しい経験をする期間という認識はこの頃から見られたようです。以下は、当時の宮崎県の小学校の夏休み心得ですが、現代でもそれほど違和感のない内容となっています。
そもそも夏季休業のあるわけは、この暑さを避け、心身を休め、身体に差し障りがない様にするためです。期間は、八月一日より八月三十一日までです。ただいたずらに遊んで暮らすために休みが設けてあるのではありませんから、この期間は各々が家を学校と心得て自ら修業をせねばなりません。まず、身体を強くして心を楽しませる工夫をすること、復習をすること、手伝いをすること、この三つを最もよく守って、一日たりとも怠らぬ様にしないといけません。
出典:文献③p.15。筆者が現代語訳を行っている。
学習・生活習慣と説くとともに、「心を楽しませる工夫をすること」とあります。このように夏休みを貴重な体験の期間とする見方は国レベルの文章にも表れてきます。例えば、1910年帝国教育会小学調査部が発表した「夏季休業中の児童取扱法」では、「家庭に於いて採るべき方法」として旅行で見聞を広めることなどが推奨されています。
3.まとめ 宿題普及の理由
夏休みの宿題が普及した理由として、休み中の生活習慣を正す必要があったことはもちろん、1891年に進級試験が廃止され学習の動機づけが難しくなった点、つまり、頑張らないと進級できないというプレッシャーを与えることができなくなったのが理由の1つとされます。また、1880年(明治13)には41.1%だった進学率も、1910年(明治43)には98.1%に達していました。学校に通うのが当たり前という社会が形成されつつあり、学習する気がない子どもも含めてどうにか勉強させなければならないのも理由の1つでした。
1904年には国定教科書が定められるなど全ての国民が学習すべき内容が確立していきました。学習習慣を身につけさせることは、国全体でとても重要な課題だったと言えます。そして、そのための方策として、一度定着した夏休みを撤廃することではなく、夏休みの宿題を課して家庭で学習させることが選ばれました。鉛筆やノートの普及という宿題を出しやすい環境面の充実も、それを後押ししました。
以上を見ていくと、基本的に夏休みの宿題は、一定の学習をある程度強制的に課すために作られたといえます。ただし、上述した通り「旅行」など普段できない自由な経験も夏休みの意義として語られるようになります。
明治初めから終わりにかけて、宿題が定着していった様子とその理由を見てきました。気を付けるべきは、理由は必ずしも(過去もですが特に)現在も妥当とは限らないということです。宿題は学習習慣の定着につながるのか、これは宿題の量・内容・出し方など色々な条件によっても異なってきます。また、同じ量・内容を一律に課すことが多いですが、これも見直す余地があります。100年前より様々な学習の手段・環境がある中で、夏休みの宿題のあり方は100年前とそんなに変わっていないのが現状です。前例踏襲で済ませずに、一人でも多くの子どもの成長を助けるため、より伸ばすためによりよい方法はないか模索しつづける必要があります。
(おわり。本文章の引用箇所など詳細は、以下URLのnote版に記載しています)https://note.com/gakumarui/n/n57869a5212de
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