第3話
▼品川宿 岡場所「三浦屋」
【さて、先のお話からひと月あまり経ちました頃。八五郎と熊五郎はそろって品川宿の岡場所まで出張ってきております。夕べは二人とも、懇意にしている女郎とさしつさされつ、酒席に興じたまま床についてご満悦。烏カァで夜が明けて。夏のお日様は朝から容赦なく照りつけ、辺りはジリジリと焦げ付くような暑さとなっております。二人は妓楼の欄干から遅い朝の品川を眺めています】
八五郎 <熊、暑いなぁ>
熊五郎 <おう、おはよう。暑いな。ほら、うちわ>
八五郎 <ありがてえ。ああ、煽いでも風がぬるくて潮くせぇ。それにしても、夕べの酒が。まったくの二日酔いでぇ。お前は大丈夫か?>
熊五郎 <俺もだ。二日酔いと猛暑で、頭んなかがグワングワンしてやがる>
遊女 <ちょっと、ここで吐かないでおくれよ。お艶ちゃん、水でも持ってきて>
八五郎 <おう、頼む>
熊五郎 <見ろよ。いまぼ~っと辻を眺めてたんだが、振売の野菜売りが来るぞ>
八五郎 <いいね、水で洗ってそのままかじれるもん、何かねえかな?>
熊五郎 <あ~、いいねえ>
遊女 <お艶ちゃん、ちょっと待ってな。お前さん、お代はあんのかい?>
熊五郎 <あるよ、ほら>
遊女 <お艶ちゃん、今ね、下に野菜売りが通るから、ちょっと瓜でも買って、洗ってきてくれないかい?瓜がなければ、ささっと食べれるものでいいよ。うん、頼んだよ>
八五郎 <頼むぜ>
廊下の遊客<これ、お艶、わしの分も頼むよ>
熊五郎 <ん?あのおやじ、前に両国の湯屋でも見たような>
八五郎 <ん?気のせいじゃねえか?どれどれ。う~ん、湯屋で与太郎の湯女にちょっかい出してた?>
熊五郎 <そうそう。人違いかな?>
八五郎 <他人の空似ってのもあるからな。わからねえ。そんなことより、昨日今日と、とんだ散財しちまったな>
熊五郎 <別にばくちでのあぶく銭だし、未練はねえやな>
八五郎 <まあな。にしても、今さらなんだが、どうせなら与太郎のやつも連れてきてやりゃあよかった>
熊五郎 <そうだな~。長屋にいればな。長屋にはいねぇし、例によってどこほっつき歩いてるんだかわからなかったんだから、どだい無理な話だ>
八五郎 <損しやがった>
【妓楼の二階でこんな話をしているなか、先刻、下に瓜を買いに行った女郎が戻って参ります。幸運にもお目当てのものが手に入ったようで、盆の上には洗って切った瓜が並んでおります。ただし、この女郎が持って帰ってきたのは瓜だけではないようで。下で見聞きしたことを興奮した様子で伝えます】
お艶 <大変、大変>
遊女 <早いじゃないかい。ありがとうね。何が大変なんだい?瓜はうまく手に入ったみたいだし>
お艶 <あ、瓜はこちら、どうぞ。いや、もっと大変なことがあるんです>
遊女 <だから何だい?>
お艶 <行列が来るんだって>
遊女 <お大名の行列なら、よくあるじゃないか。下に顔出さなきゃ平気だよ>
お艶 <そうじゃなくて。モロコシの行列なんですって>
遊女 <暑さがさわったのかい?いくら野菜売りと話したからって、何を言ってるのさ>
お艶 <いやいや、野菜じゃなくて異国のほうのモロコシ>
遊女 <まぎらわしいね。でもまぁ、そりゃあ珍しいね。お上に行くのかね>
熊五郎 <うるさくくっちゃべってると思って聞いてたら、なんかそんなこと瓦版にも書いてあったな>
八五郎 <俺も見た。今日だったか?全然気にしていなかった。軒先は通れなくなってんのかね>
熊五郎 <瓜食ったらさっさと帰ろうと思ってたのに。帰れねぇじゃねぇか>
遊女 <そりゃ、もうちょっと居てくれって思し召しだよ。唐人の行列なんか、珍しいじゃないか。も少し待って、見てみようよ。そうだ、お艶ちゃん、お酒も>
八五郎 <また酒?おいおい、しょうがねぇなぁ。熊、銭はあんのか?>
熊五郎 <そりゃあるよ>
八五郎 <今帰っても、外は俺らみたいな見物人で大混雑だろ。ゆっくりしてくか?>
熊五郎 <まぁ、そうだな。酔い覚ましの瓜も、あてに早替わりだ>
遊女 <じゃあ、もう一本持ってくるよ、お艶ちゃん、お願い。そろそろかねえ、楽しみだね。唐人の装いなんて、見たことあるかい?>
八五郎 <錦絵くらいだな。見たうちには入んねぇな>
熊五郎 <お、きたきた。あれ、なんでぇ、先頭はちょんまげのお侍じゃねぇか>
【女郎たちがモロコシやら唐人やら言っていたのは、実は朝鮮通信使のご一行。対馬の海の向こうから、はるばる江戸へと将軍様へのご挨拶にやってきたのでした。先頭を侍に先導されながら、いよいよ見えてくるのが清道旗、聞こえてくるのが銅鑼の音。使者の公服や兵の兜、頭巾まで、日本では見慣れないものばかり】
遊女 <へ~、すごいねぇ。盛大で。馴染みのない装束だけど、高そうなのはわかるよ>
熊五郎 <こっちと、似てるようで、全然違うな>
八五郎 <なんでも、この前に来たのは俺らも生まれる遥か前だったって言うじゃねぇか>
熊五郎 <へえ、詳しいね>
八五郎 <もちろん瓦版の受け売りだ>
【朝鮮国の異国情緒あふれる笛・太鼓・鉦の音が響き、しばし二階の皆が下を眺めていたところ、見物人で混み合う沿道を人波を押し分けるようにして妓楼へ駆け込んでくるのが、他ならぬ与太郎であります。あれよあれよという間に八五郎・熊五郎のいる二階へと到りまして】
与太郎 <大変だ、大変だ>
遊女 <あら、このお人、お艶ちゃんと同じことを言ってるよ>
八五郎 <なんだ、与太郎?そんなにあわてて、俺らがここにいるってよくわかったな>
与太郎 <そんなのすぐわかるよ。それより、大変なんだよ>
熊五郎 <何が?>
与太郎 <カピタンが来るんだって。カピタンが>
八五郎 <ああ、前に言ってたカピタンって、下のあのことだったのか。見てる、見てる>
熊五郎 <結局、モロコシの言葉だったのか?>
与太郎 <違うよ、あれは清道旗だから清の国のだろ?カピタンとは違うよ>
熊五郎 <あれ、違うのか?>
与太郎 <そう。そのカピタンがさ、明日来るんだってさ>
八五郎 <ふ~ん、で、カピタンって何だったんだ?つまるところ>
与太郎 <つまるところ、ああ、忘れた>
遊女 <うふふ、かわいい>
【いつも変わらぬ与太郎と言いますか。いずれにせよ、話の初っ端から話頭にのぼっていたカピタンがいよいよ江戸にやってくると言います。これは見ない手はないということで、次回のお話にて】
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