第十七話 全ては重く
「藤原君は全てを知っているんじゃないですか?」
全てを出し切った彼女からは苦悶の表情は消え、達観したような表情となっていた。
しかし、内面の動揺は無くなっていないようで、今だ揺れる真っ黒な瞳でこちら見つける。
もう、逃げることはできない。
正確にはとぼける事はできる。
やはり僕は何も知らないと、言い張ることもできてきしまう。
どれだけ追及されようと、物的証拠でもない限りは所詮は記憶だけのこと。
知らないと押し切ることもできる。
できてしまう。
けど、今それをやるのは駄目だということは自分でも分かった。
それをしてしまったら、僕はきっと奈代さんに顔を合わせることができない。
何より、人として。
ここまで苦しむ人を助けないという選択肢を取ることはできない。
元々、奈代さんが遮らなければ、言うつもりだったのだ。
今更傾いた天秤が一度元に戻ったからって、選択を変える気がしない。
だから。先ほどと同じく覚悟を腹に据えて、歪み震える瞳でこちらを見る奈代さんを見返して、言う。
「知ってるよ」
ただ、一言。
だけど、それは間違いなく僕と奈代さんの今の関係を崩す一言。
僕はその一言を放ち、変わらず真っ直ぐ奈代さんを見据える。
奈代さんは僕の言葉を聞いた瞬間、俯き、顔見せない。
けど、何かを言おうとしている雰囲気を感じるため、僕は何も言わず彼女の言葉を待つ。
彼女の背後では既に夕陽は落ちる寸前になっている。
そろそろここから離れなければ危ないだろう。
ここは崖と見間違うほどの坂があり、高低差もそれなりにあるので、踏み外すと行けない。
帰り道も、複雑なあの道を暗闇の中歩くのはあまりしたくない。
というより、純粋にここが閉まる前に戻れなくなってしまうかもしれないのが怖いので、せめて大通りにくらいには早めに戻った方が良いだろう。
ここにはスタッフなどが寄る気配もないので、誰にも知られずに迷子になったりが御免被りたい。
現実逃避するように、思考を奈代さんのこと以外にリソースを捧げように、冷静に
今の現状を確認する。
そして、その確認している間で、彼女の中で気持ちの整理が出来たようで、口を開く。
「やっぱり、知っていたんですね」
「ごめん」
僕には謝るしかできない。
少なくとも、僕が奈代さんを騙していたのには変わりない。
協力体制を取ると言いつつも知っていることは離さずいた。
これは奈代さん側からしたら裏切りと言っても過言ではないだろう。
助けを求めた相手が、原因について黙る。
僕として、奈代さんのためという気持ち(少しは自分のためでもあるが)でもあったが、そんなことは彼女にとっては関係のない話だ。
だから、今の僕が出来るのは謝罪の言葉をすること、そして真実を伝えることだけだ。
そう腹を括っている。例え、一発殴られても仕方ないとは思っている。
「別に藤原君を責めることはしませんので、謝らないでください」
だから、その彼女が発した言葉が分からなかった。
「え?」
「だから、藤原君は謝らなくていいですよ。真実を黙っていたあなたを私は責めるはないので」
「どうして? 僕は奈代さんを騙していたのに」
「それはきっと優しさからですよね」
「なんでそう思うの?」
「藤原君は優しいですから」
「騙していた僕が優しい?」
「それは私を守るためなんですよね……私はそう信じています」
その一言に、僕は泣きそうになった。
奈代さんは僕を信じることにしたのだ。
少なくとも、黙っていたことに相応の理由があり、それが奈代さんを守ることに繋がる行為であると。
だから、怒らない。
怒りをぶつけてもいい権利を持ちながら、その権利を振るわない。
どれだけ心を乱され、絶望し、自分が自分で無くなる恐怖に怯えながらも、彼女は僕を信じてくれた。
それは簡単じゃなく、普通の人にはできない。根本的に美しい心を持ち、誰よりも優しい考え方をする彼女だからの行動。きっと、先ほどの僕が知っていると発言した瞬間に、自ら湧き出る感情を抑えつけて、理性で人を信じることを選んだ。
それが尊い行いか。僕には計り知れない。
計り知れないほどに、彼女のあり方は美しかった。
考えてみれば、ずっとそうだ。
出会ってから、そんなに日が経たず、出会い方は最悪とまではいかなくても、印象は良くはなかっただろう。
彼女からしてみれば、何故か近くにいると頭痛が起こる存在だ。
それを疎ましく思わず、ただ避けるのみ。
冷たく当たっていた時もあるけど、それで済んでことがむしろ努力の賜物だった。
それが奈代輝夜だ。
いつでも、優しく理性的で、それでも困ったら誰かに頼りたくなる人間的な彼女のそのあり方はいつでも変わらない。
そして、そんな彼女だからこそこんな状況でも、奈代輝夜であり続けた。
「全部、話すよ」
気が付いた時には、口がそう言っていた。
この彼女にもう嘘はつきたくなかった。
どこまでも高潔なあり方を見せる彼女に対して、これ以上保身混じりで誤魔化しを続けるのは不誠実極まりない。
「君の中にいるのは、かぐや姫だよ」
名を告げる。
彼女の中にいる存在の名を。
「かぐや…姫?」
覚悟を決めて言ったが、どうやら彼女にはパッとしなかったらしい。首を傾げている。
それはそうだろう。
僕も、君の中に竹取物語の姫がいるよなんて、言ってて頭おかしいと思っている。
正直、一度会っただけだから僕もあれは夢ではないか。彼女の言っていたことは本当かなど全く分からない。
しかし、彼女がそう名乗った以上、かぐや姫として扱うしかなかった。
「そう。竹取物語に出てくるかぐや姫」
「それが、私の中に」
「正確には、その記憶」
奈代さんは呆然と立ち尽くしたまま、こちらを虚ろな瞳でこちらを見ているのみ。
きっと、今の彼女には何も映っていない。
情報を処理するために、頭を使っているに違いない。
とはいえ、周りが暗くなってくる中、ゆっくり待っている時間はないので一応確認する。
「奈代さん。衝撃的だとは思うけど、このままここにいても危ないから、どこかに移動してから話の続きをしない?」
場所の移動を提案する。
しかし、奈代さんは首を横に振る。
「いいえ。今聞かせてください」
「……分かったよ」
危険ではあるが、今まで黙っていた負い目もあることも重なり、僕は彼女の意思を尊重する。
「じゃあ、どこから話そうかな」
「物理準備室で私が出て行ったところからお願いします」
「なら、そこから」
奈代さんが物理準備室から飛びだし、かぐや姫と出会ったあの日のことを僕は話した。
飛び出してから、一人を片づけを終えた後、帰る途中で襲われたこと。
馬乗りにされ、告白をされ、耳に焼き付けるように前世からの愛を語られたこと。
接吻をされそうになったこと。
そして、どこまでも
何より、その理不尽なあり方を。
全てを話した。
「………………」
「これが全てだよ」
奈代さんは黙って聞くのみ。
というよりも開いた口が塞がらないという感じだろうか。
彼女はその場で立ち尽くす。
「わ、私」
ようやく口を開いたと思えば、その声は明らかに動揺で震えていた。
当然だ。
自分が前世の自分にとって器でしかないという扱いを受け、しかも勝手に体を動かしていたという事実は、恐怖だろう。
「藤原君に騎乗位をしてしまったのですか?!」
「そこ!!??」
まさかの彼女の台詞にずっこけそうになったが、何とか耐えた。
というか奈代さんが、騎乗位なんて言葉知っていることが意外だ。
優しく純真で、心清らかな存在だと思っていたが、思いの外そっち系の知識を持ち合わせているのだろうか。
僕の中にある奈代さんに対する偶像が少し砕けた気がした。
よく見ると、その表情には戸惑いの中に微かな羞恥心があるのか、頬が赤く見える。
それが夕陽によるものなのか、彼女自身のものなのか、怖くて聞くことができない。
触らぬ神に祟りなし。
深堀はやめておこう。
「え?? もっと気にする部分ある気がするけど」
圧倒的なまでに、気にするポイントがある気がするが、もしかして奈代さんも気が動転して、まとも判断が出来なくなっているのだろう。
いや、そうに違いない。
というか、そうであってくれ。
「いえ。まぁ。そうですけど」
あれ。何故か微妙な反応だ。
何故?
「どうして、そんなに冷静なの?」
「いえ、しっかり動揺してますよ。けど、これまで怖かったのは何か分からないものが私の感情に影響を与えてくることです」
「うん」
「けど、藤原君の話で全てを知りました。だから、もう大丈夫です」
そう語る彼女の顔は先ほどよりも少しだけスッキリとしていた。
だから、その言葉に嘘はないのだろうと読み取れる。
きっと、自分が塗りつぶされる恐怖あるのだろう。
だけど、未知の恐怖と既知の恐怖では、奈代さんの中では大きな違いを持っているのだろう。
僕的には、彼女がそれでいいなら何も言うことはない。
けれど、まだ問題が無いわけでない。
「でも、未だに何も解決はしてないんじゃあないの?」
「……」
「だからこそ、今日デートをしてんじゃないんですか?」
ずっと考えていた。彼女が今日デートをする意味を。
既に頭痛問題は解決しているのに、今日デートを行う理由が分からないかった。
頭痛問題に協力したお礼に、この素晴らしい場所を案内したかった? きっとそれも理由の一つだろう。
けど、違う。
きっと彼女の問題はまだ解決していない。
夢を見ることもそうだが、頭痛は収まっていない。
だから、より真相を知るために僕をここに連れてきたのではないかと考えている。
「奈代さん。ずっと嘘をついていたんですね」
学校で会う際に、奈代さんは学外では頭痛が起こらなかったと話した。
けど、それはあくまでも彼女の自己申告。
それを僕が確認したわけじゃない。
僕がいるときには頭痛が起こらないという条件なら、僕が彼女の頭痛を起こす瞬間を見ることができないのは必然だ。
「そうですよ。頭痛はずっと起こってます」
奈代さんは真実を語り出す。
「学校では最初の一回以外はなくなったんですが、学外で藤原君と離れているときは時々起こるんです」
「どうしてそれを僕に言わなかったの?」
「藤原君と同じです」
「僕と?」
「ただでさえ、藤原君には何の非はありません」
「でも、その頭痛が起こるのは僕が!」
「いいえ! 原因は私の中にいるかぐや姫で、藤原君は何も悪くありません」
お互いに語気を強めて、相手に主張を気遣い潰す。
結局、どこまで行っても彼女は優しすぎたのだ。
優しすぎるから、最初は協力を依頼したものの、徐々にそのことに負い目を感じるようになった。
だから、僕の目の離れたところで起こる頭痛については黙っていることを選択した。
それが自分を追い詰める選択だと分かっていても。
「でも、藤原君。間違っている点もあるんですよ」
「……え?」
「私がデートをしないという選択をしなかったのは、学外でも頭痛が起こるからだけじゃないんですよ」
「?」
言われてみればそうだ。
彼女が初めて僕と離れた時に頭痛が起こったのは、相談をした日。
そして、デートに誘ったのも同じ日。
学外でも頭痛が起こるかの確認をしたいのであれば、電車で別れた時点判明する。
頭痛が起これば、更なる検証のためデートを誘えばいいし。頭痛が起こらなければ、デートの約束を取り消せばいい。
そう考えていた。
だからこそ、頭痛が起こらないのにデートしようとする奈代さんの意図が分からず、悩んだ。
悩んだ結果、彼女はまだ頭痛が起こっているという結論に至った。
そして、それは間違いなかった。
事実として彼女は、頭痛がまだ起こるという現象に見舞われている。
だけど、そもそもの話。
学外で頭痛が起こるかどうか判断してからデートに誘えばいい
何も、あの段階でデートに誘う理由はない。
奈代さんがそもそも電車で別れた後に、頭痛が起こるかどうか確認してから誘えばいいという考えに至らなかった?
いや、きっと彼女は違う。
そこまで浅慮な女性でないことは、これまでの関りだけでも十分に分かる。
なら、どうしてデートに誘ったのか。
土台から考えをひっくり返された僕にはその考えが分からない。
「なら……どうして?」
僕は絞り出すように、何故と問う。
それに対する、彼女は解は単純。
「私が、藤原君とデートをしたかったです」
それは、論理的思考では導き出せない解。
だけど、とても当たり前で、当然の帰着だった。
「私は、藤原君好きなんです」
論理的な考えで辿り着かなくて当然。
だってそれは、論理とは甚だ遠いものだったからだ。
つまり順序が違ったのだ。
頭痛の原因を知りたいからデートに誘ったのではなく、デートに誘いたから頭痛を言い訳に用意した。
奈代さんが僕のことを好きなのかもしれない。
今まで、その考えはちらついていた。
だけど、それは自分の勘違いだと思っていた。
勘違いなら、自分はただの恥ずかしい自意識過剰野郎に成り下がってしまうと考えていた。
だけど、合っていた。
幸いなことに、僕は自意識過剰野郎にはならずに済んだようだが、それはそれで気になることがある。
「それは、奈代さんのもの?」
相手の好意を本物なのかと問うそれは、残酷な質問をしていることだと分かる。
しかし、僕は思い当たらないからだ。
奈代さんに好かれる理由が。
確かに、秘密を共有し、協力し合い、普通のクラスメイトよりも親しい仲だとは信じている。
だけど、それだけだ。
それだけで、告白されるほど好かれるかと言われれば微妙なところだと思っていた。
感情は理屈じゃない。
けれど。この考えもきっと正確ではないだろう。
そうでなかったら、世の中のカップルが全員劇的な出会いや出来事があるということになってしまう。
いくら漫画やゲームが大好きな僕といえど、それはないと言える。
だから、これは僕自身を納得させるために知りたいだけだ。
そのためだけに、僕は彼女に彼女を傷つける可能性のある質問をする。
最低だ。
「はい。そうだと信じてます」
そんな質問にも彼女は答える。
しかし、その言葉には自信がなくなっていた。
それもそうだろう。
彼女が先ほど感情とともに吐露したように、今の彼女の僕に対する感情は本当に自分のものなのか分からなくなっている。
その恋の感情が自身のものなのか、かぐや姫から溢れた愛によって塗りつぶされたものなか。
「言い方を変えるね。どうして奈代さんは僕を好きになった? 正直、僕は奈代さんに好かれるようなことはしていない気がするんだけど」
聞き方を変える。
自身の感情に自信を持てなくなった。
だから、感情ではなく行動で判断する。
彼女が僕のどの行動に好意を抱いたのか。
それは、前世の行動から愛を語るかぐや姫とは違う、奈代さん自身の感情を見つける重要なものとなるだろう。
僕の質問に、奈代さんはどこか納得するような表情を見せる。
何故、そんな表情をするのか僕にはわからなかった。
「やっぱり藤原君は覚えてないんですね」
「何を?」
「私は藤原君に……っ!!!」
「奈代さん?!」
少し寂しそうな表情をする奈代さんが、何かを語ろうとした直後頭を押さえる。
夕陽が落ちて周りが真っ暗になる。
遠くからは、風に乗って観光客の声が微かに聞こえるが多くはない。
言葉を止められ、目の前で頭を押さえる奈代さんの姿も見えるがその表情が見えない。
しかし、起こっていることは分かる。
何故今起こったのかは知らないが、これは何度も起こっている頭痛だ。
苦しむ奈代さんの姿を見ながら、脳内で何故が繰り返される。
(何故今? ここまで何もなかったのに どうして? 何かがトリガー? パターンは? 分からない。 僕が近くに居れば頭痛は起こらないんじゃあ)
思考のトライ&エラー。
しかし、結論が出ない。
何もわからず、判断材料もない。
僕は苦しむ彼女を前に立ち尽くす。
「痛い! やめて!」
奈代さんの悲痛な叫びが耳を劈く。
頭を押さえながら、その場で体を大きく揺らしながら
彼女は崖近くに立っていたことも相まって、流石にまずいと思い、立ち尽くしていた足を彼女の方に向けて動かす。
「…………」
そう動き出そうとした瞬間、奈代さんの声が止まる。
声どころか、動きも止めた。
「な、奈代さん。だ、大丈夫?」
声を掛けるが反応がない。
けど、代わりに動きがあった。
ゆったりとした動作で、頭を押さえていた腕を力なく垂らし、立ち上がる。
「良かった」
不穏な雰囲気がありながらも、何事もなく立ち上がる彼女に、僕はひとまず安心する。
しかし、直後彼女こちらを見た瞬間に気が付く。
その瞳に、先ほどのような優しさのある輝きは消えて、妖艶な輝きを宿していた。
そして、彼女は笑う。
微笑むような慈愛のある笑みではなく、獲物を見つけたハンターのような笑み。
僕とってそれは、初めて見る笑みではなかった。
それの笑顔を知っている。
その暗闇でも輝くその瞳を知っている。
それは、奈代さんのものではなく。
「また、会えましてね。藤原様」
かぐや姫のものだった。
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