第十五話 誰が想い

 奈代さんに案内されたのは、大通りから脇道に逸れ、しばらく歩いたところだった。途中、いくつかの分かれ道があり、迷い込んでしまった客用に正規ルートに戻るための看板もあったが、彼女はそれらとは逆の方向へと入っていく。

 沢山いた観光客は既に周りにはいない。

 先ほどまで聞こえていた声が全く聞こえなくなり、風によって鳴らされる竹のざわめく音だけが耳に届く。

 大通りに比べて竹林が手入れされていないせいか、日差しが疎らで、少しだけ暗く感じる。

 それは奥に進めば進むほど顕著になり、まだ日が出ているとは思えないくらい暗くなっていく。更に僅かだが、傾斜になっている感じもするので上に向かっているようだ。

 そんな道程に些かの不安を抱き始める。

 

「奈代さん、何処まで行くの?」

「もう少しです」


 奈代さんは先ほどから同じことを繰り返す。

 常に前を歩む彼女の表情は読み取れず、今彼女が何を思ってこの道を歩いているのか、何に向かっているのかさっぱり分からない。

 引き返す提案もしたが、「絶対に驚きますから」と提案を却下されてしまう。

 既に十数分は歩いている。

 

「ここです」


 流石にそろそろ強引にでも引き返すかと思索し始めた瞬間、奈代さんが到着を告げる。


「ここって……行き止まり?」


 そこは藁の柵で道が閉じられた袋小路の場所だった。

 奈代さんはここに向かってから、初めてこちらに顔を見せた。

 暗い影が落ちるその顔はいつもと変わらない笑顔。

 何も変わらないからこそ、不気味でどこか恐ろしく感じてしまう。

 この誰もいない行き止まりで彼女は何をつもりだろうか。 

 僕は何をされても良いように、少しだけ重心を後ろに置き、いつでも逃げられるようにする。


「見せたいのはこっちです」


 しかし、予想と反して、奈代さんは行き止まりの柵に近づくと、柵の隙間に手を差し込む。

 そして、彼女が引っ張ると、柵の一部だけが出入口になっているようで、扉のように開く。


「ここです」


 彼女は柵を開ききると、手招きする。

 僕は警戒心を解き、彼女の招きに乗り柵の扉を潜る。

 そこにはスタッフ用と思われる道があった。

 あまり使われていないのか、半分獣道みたいになっていたが、歩く分には問題ない。

 彼女は先ほどと違い、僕の後ろにつき、僕が柵の扉を潜ったことを確認すると、扉を閉めて、隣に並ぶ。

 

「その竹林を抜けた先に見せたいものがあります」


 彼女の言葉に従い、少しだけ歩くと竹林が途切れた出口が姿を表す。

 そして、竹林を抜けた先には。


「綺麗だ」


 そこにあるのは、崖と差し支えない坂と沈みかける夕陽、そして夕陽によって朱く見える一面に広がった竹林だった。

 本来なら見上げる雄大な竹を、今は上から見下ろしていた。

 それは普通の観光用の大通りを歩いているだけでは絶対に見れない景色。

 間違いなく絶景を呼ぶに相応しいその光景に更に、華が足される。

 崖の淵に立ち、遮るものがない夕陽を一身に浴びる奈代さんの艶やかな黒い髪は輝き、美しい瞳は夕陽を取り込み赤みかがっていた。

 まるで物語に登場するキャラクターのような幻想さを秘めたものに僕の目には見えた。

 

「どうですか藤原君。私の自慢の場所は」


 どこか誇らしげな表情をする奈代さんがとてもかっこよく見えた。

 同時に疑問もある。


「こんな光景を見れたことは嬉しいけど、奈代さんはどうしてこんなところを知っていたの?」


 ここに来るためには明らかにスタッフ専用の道を通らなければならない。

 少なくとも、普通の人が知っている場所ではないだろう。


「昔、ここで迷子になったことがあったんですよ」


 奈代さんは赤く染まる竹林を眺めながら、昔のことを語る。


「その時にさっきの行き止まりで泣いていたら、女のスタッフの人があの藁の柵から出てきて、助けてくれたんです」


 どうやら、奈代さん自身スタッフに教えてもらったようだ。


「そして、ここに連れてきてくれて私はこの光景に涙を止めたんです」


 その時の様子が思い浮かぶ。

 誰でもこんな景色を見せられたら、悲しみの涙なんて止まるに違いない。

 僕でさえ、この感動に心震え、涙が出そうになっている。

 それを純粋な小さい子が見たら、きっと一生忘れないものとなるのが容易に想像できる。


「その時スタッフさんに言われたんです『君に大事な人が出来たとき、一度だけここに連れてくるといい』って」


 その言葉の意味と現状についての関係が分からないほど、僕は鈍感ではないつもりだ。

 一生に一度。

 その機会を奈代さんは僕のために使ってくれた。

 それが意味するところは、一つしか考えることができない。

 今まで、もしかしてと思う場面は何度もある。

 それでも、確認するのが怖かった。違ったときに傷つくことを恐れて踏み込めなかった。

 けど、今、ここで聞かなければいつ確認するべきだろうか。

 僕は意を決し、竹林を見下ろす彼女の名を呼ぶ。

 

「奈代さん!」

「藤原君はどう思いますか?」


 しかし、意を決した言葉は名前を呼んだ彼女自身によって被せるような言葉で止められる。

 彼女はその場で半回転して、こちらに体を向ける。


「どうって?」


 僕は吐き出そうとした言葉を、喉の奥に引っ込めて聞き返す。


「さっきの映画の結末です」


 なぜ今?と疑問が頭の中でぐるぐると回りつつも、聞かれた以上何か返さなくてはいけないので、必死に映画を思い出す。

 映画の結末は、記憶を取り戻した恋人、結果新しい彼女の人格は消えることとなった。人格は前の彼女のもの。しかし、新しい人格の時の記憶は消えた訳ではなく、必要な時に引き出せる別枠の記憶として彼女の中に残り続けた。

 彼氏と一時とはいえ、彼女だった新人格の彼女のことを忘れないことを誓い、戻ってきた人格の彼女を最後まで愛し続けることを約束した。

 それはとても感動的で、きっと多くの人の心に突き刺さる物語だっただろう。

 だけど、僕は。


「寂しいかな」

「……」

「主人公は、新しい人格の彼女を忘れないことを誓ったけど、やっぱり二人は別人で、消えてしまった事実は変わらないから」


 それが単純に映画を観て思ったことだ。

 どれだけ感動的とはいえ新人格の方が消えてしまった事実は分からない。

 記憶は残っていたとしても、それを新人格と言い張るのは難しい。

 映画中の描写的には、新人格の時の記憶は、あくまでも元に戻った彼女に取りつけられた外付けの記憶と言った感じで、主人公が一時とはいえ愛した存在にもう会えないことは定められてしまったことになる。

 それは物語としては、感動を与えるものだが、会えなくなったという事実に対して、僕が抱いたのは寂しいという気持ちだけだった。

 残ったものが記憶と言う見えないものなだけで、実際は遺品だけ残った故人と同じ。

 そんなの、主人公からしたら実質恋人が一人亡くなったのと変わらない。


「私も同じです。けど、きっと藤原君とは違います」


 僕の考えに共感したのかと思ったが、僕が口に出す前に否定する。


「藤原君は、きっと主人公の気持ちになって寂しいと思ったんですよね」

「うん」


 こちらの考えを的確に当ててくる奈代さんは、やっぱりと言った顔で少しだけ哀愁がある表情をする。

 夕陽に照らされるその表情は、まるで自分の死期を悟った患者のような虚ろなものにも感じる。


「私が寂しいと思ったのは……消えた側です」

「?」

「突然生まれた人格が、一時の幸せを噛み締めようとしても、周りから前の自分と比較され、記憶が戻ることを望まれる」


 紡がれる言葉を遮ってはいけないという強いに気持ちに襲われたため、僕は何も言わず、ただ彼女の語る言葉に耳を傾ける。

 

「周りからは望まれず、最後には消える定めでの存在って一体なんのためにあるんでしょうか。元の人格が戻ってくるまでの代替品? スペア? 何にしても、そんな束の間の人生を心の底から楽しめるわけがない。幸せを望めないし望まれない存在にって、何処まで行っても寂しい存在だと思いませんか?」


 語る彼女の言葉には強い感情が乗せられているのにも関わらず、その表情は変わらず憂うを纏っている。

 そして、紡がれる言葉は映画のヒロインに対するものだけではなく、にも思えた。

 何か巨大な不安に襲われる。

 しかし、それが何なのか考える暇を与えずにまっ直ぐにこちらを見ながら、夕陽で赤く染まった瞳で、確信的な問いを投げかけてきた。

 


「ねぇ。藤原君なら

 







 

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