第八話 物理的に重いです

「ごめんなさい。無理です」


 そう言った直後、一瞬の暗転あんてん

 気が付いた時には既に背は地面に着き、視界は廊下の天井のみとなっていた。

 いや、正確には天井だけでは彼女……かぐやさんの顔も入っていたが、その表情はやなぎのようになっている髪によって遮られている。

 僕は自分の身に何があったのかを瞬時に理解した。

 彼女からの告白に勇気を持って断りの入れたコンマ数秒、押し倒されたのだ。

 ほぼ密着状態にあった状態から、彼女は僕を体で突撃とつげきしてきた。

 勿論、そんな眼前&不意打ちの体当たりをくらえば、例えぶつかって来たのが小柄な女子でも支えきれずに倒れてしまうのは仕方のないことだ。

 だけど分からない。

 倒された理由は分かる。

 告白を断ったのだ、その場で突き飛ばされたる覚悟くらいはあった。

 問題はその後だ。

 何故、彼女は倒れた僕の腹の上に馬乗りしているのだろうか。

 それが皆目見当もつかない。

 そして地味に重い。

 精神的にも重いが、女子とは言え人が一人乗っている状況というのは体に負担が掛かる。

 人によってはご褒美に感じるかもしれないシチュエーションだが、今の僕には目の前にいる彼女が何をしでかすのか分からないので、恐怖でしかない。


「重いんですが」

「愛の重さです」

「いや、物理的に重いんですが!?」

「気のせいです」

「……」

「……」

「あ、あの…何故馬乗りをしてるのか聞いてもいいですか?」


 内心この馬乗り状態のまま殴れるのではないかと冷や冷やしてしまったが、一向いっこうに飛んでこない拳に自分の考えが杞憂きゆうだったことが証明される。

 質問の答えも返ってこない。

 しかし代わりに腹筋に強烈きょうれつな圧力が掛かる。

 かぐやさんが体重を更に掛けてきたため発生した力だった。

 静かに掛けてきた力はこちらが苦しいと思う一歩手前という絶妙ぜつみょうな所で止まる。

 まるで、痛めつけはしないが逃がさないという無言の表れのように感じた。


「良いじゃないですか」


 無言で僕を押さえつけてた彼女はぽつりと小さな声で言葉を返す。

 そして、同時に僕の頬に何かが垂れてくる。

 その何かは頬を伝い廊下に落ちていく。

 僕はまだ落ち着きを取り戻していない頭でも、それが何かをすぐに理解できた。

 涙だった。

 勿論僕のではない。

 僕の顔を覗くように真正面で見つめてくるかぐやさんの瞳から垂れているものだった。

 彼女は自分の涙をぬぐうこともせず、僕の目を真っ直ぐと射抜く勢いで見つめる。

 そして、彼女は目の合う僕に対してぎこちなくも、どこか深窓のお嬢様間の漂う笑顔をした。

 僕はその笑顔に安堵を抱く。こんなに儚い笑顔を見せる人が危害を加える訳がない。

 何も根拠のない考えをする。

 しかしその直後、彼女の笑顔は面影も残すことなく消えた瞬間。


「ようやく見つけられたのですから! 貴女様のことを幾星霜いくせいそうと想い続け、心が締め付けられる日々を過ごして、禁忌きんきを犯した私には諦めるしかない! それなのに気持ちだけが肥大化ひだいかし続ける日々。まとも思考すら出来ないほどに私をくるわせて、成功するかも分からない一筋ひとすじの可能性に立場も、暮らしも、命も、焦がれる想いも全てを賭けた! 全てが停滞して気持ちだけが大きくなる毎日から抜け出す為に何もかもを捨てた! そして、私は今賭けに勝ったのです! ならば、私は全てを手に入れる権利があっても良いはずです! 地位を名誉をお金を美貌びぼうを、あらゆる全てを手にする権利を私は持っている! ですが、私はいやしい女ではありませんので多くのものは求めません。私が望むものは唯一つ、たった一つです! 貴方からの愛だけです! 貴方の寵愛ちょうあい渇愛かつあい恩愛あんあい求愛きゅうあい敬愛けいあい慈愛じあい純愛じゅんあい鍾愛しょうあい信愛しんあい仁愛じんあい相愛そうあい熱愛ねつあいを……そして、最愛を! ただそれだけです! たったこれだけの慎み深い望みがどうして受け入れて貰えない訳がないのです! あり得ないんです! そんなことが起こるわけがないんです! だから、間違いなく貴方は私のものなんです!」

「ならないよ!!」


 ドン引き。

 怒涛の勢いで吐き出される本音は先程のうれいのあった本音とは真逆と言っても過言ではないものだった。

 最初の内はただの気持ちの吐露だけだと思っていたが、後半はどこまでも傲慢ごうまん強欲ごうよくで、謙遜けんそん寡欲かよくから程遠いものである。

 しかし、彼女の中では自分の行いは卑しいものではなく、当然の権利として存在しているようみたいらしい。

 正直、何を言っているのか全く理解できなかった。

 だから、僕も否定のツッコミを咄嗟に入れたものの、その後は開いた口は閉じない。

  

「なります!」

「なりません!」

「どうしてなのですか?!」

「逆にどうしてそう思えるのか僕には分からない」


 相手の言い分に対して、両者とも納得が出来ないため、口論こうろんは勢いを増していく。

 口論と言っても、片方は主張の押し付けなので、論じていると呼べるほど高尚こうしょうなものでもないかもしれない。


「私には貴方に権利があります!」

「はぁ…」


 まるでそれが常識であるかの様に言い放つ彼女の迫力に、僕は一瞬怯ひるんでしまった。

 あまりの勢いにされて納得しかけてしまうが、頭を振るい、一度冷静になる。

 誤りだらけの考えに、認められるはずのない言い分。

 だけれど、その致命的ちめいてき欠陥けっかんがある想いだけは間違いではない本物である。

 だからこそ厄介なものだ。

 虚偽の中に本物が混ざっている。言葉巧みに相手を騙す詐欺師の手法の様な鮮やかなものである。

 勿論、今も体重を掛けてくる彼女にとっては全てが真実のため、このたとえを伝えたら気持ちを軽んじられたとして激高げっこうするかもしれない。

 だけど、このまま言い合っていても平行線が続くだけなので、一度お互いの意見をしっかり論理的ろんりてきに指摘する必要がある。

 今の僕には逃げるという選択肢がないというより、奪われているため説得するしかできない。


「ひゃ、百歩譲って君にその権利があるとするけど」

「かぐやです」

「……はい?」

「君ではなく、かぐやと呼んで下さい。結ばれたことが約束されている二人が名前も呼ばずに、そんなよそよそしい呼び方では周りから、今風で言いますと亭主関白ていしゅかんぱくだと思われてしまいますよ。わたくしも貴方が変な風評を受けるのは辛いですから」

「今のこの状況の方が在らぬ噂を立てられそうなんだけど……」

「デキているという噂ならば大歓迎です」

「……どいてもらうことは?」

「無理です」


 僕が話す途中に割り込み歓迎の言葉を告げる。

 どうあがいても彼女自身から立ち上がり、僕から離れてくれることはないようだ。


「今君に」

「……」


 尚も君と言い続けようとすると視線が猛禽類のように鋭くなる。

 ここは素直に従おう。


「かぐやさんが言う権利があるとしても…」


 とはいえ、いきなり呼び捨てをする勇気は僕には無いため、敬称けいしょうを付けた。

 幸い、彼女からは何も反応がないのを見て、このまま進めても大丈夫であることを確かめる。


「そこに僕の意思はないの?」


 そう、彼女の言い分だと僕の意思いしが含まれていない。

 だから、まずはそこを説明するべきだった。

 

「ありますよ」

「なら、断ることだって」

「いえ、それは駄目です。わたくしは貴方の意思でわたくしを選ばなければならないんです」


 もはや理不尽りふじん

 意思はあるはずなのに、断る関連の話は全てなかったことにされている。

 頭を抱える様な矛盾むじゅんのあることを言っているのだが、彼女の中では成り立っているようだ。

 これ以上関わっても良いことはない。

 僕は会話することを諦めることを即断する。

 しかし、逃げようと思っても腹の上に乗る彼女を退かすことが出来ない。

 腹に力を入れるが微動びどうだにしない。

 いくら何でもおかしい。

 乗っているのは女子一人だ。

 しかも体型は華奢きゃしゃであり、どうみても鈍重どんじゅうな体ではない。

 それなのに動かすことが出来ない。

 まるで体重以外の力が加わっているようにも感じる。


「さぁ。私に愛を囁いて下さい」

「ひぃぃぃ!」


 我ながら情けない声だと思う。 

 だけど、彼女からの迫力と身動き取れない状況に、僕は恐怖を感じることしか出来ないかった。

 何とかしないといけないと分かっていても、何とも出来ない。

 まるで金縛かなしばりにあっているかのような恐怖感だ。いや、金縛りに実際に会ったことがないため本当にそうなのかは言い切れないけど。

 だけど、それほどまでに僕から見たら、目の前の彼女は得体のしれないものという認識になっていた。

 目の前の現実から目を逸らすかのように、視界がゆがむ。

 自分の表情がまともな状態でないことがはっきりと分かる。


「う~ん。突然のことで少し理解が追い付いてないようですね」


 未だに愛の言葉を告げない僕のことを、彼女は僕が今の状況に理解が追い付いてないのだと判断する。

 確かに色々と突拍子もない話や、一ミリも賛同が出来ない思考の持ち主を前にして、僕の頭がパンク寸前すんぜんなのは間違いない。

 しかし、今が間違いなく危機的な状況だということは理解できている。

 だけど、彼女からしてみれば、僕が今恐怖を抱いているなどとは砂粒すなつぶほども思っていない。


「では、こうしましょう!」


 そして見当違いな考えをする。目の前の少女は名案めいあんを思い付いたとばかりの声を上げてる。


「少し順序じゅんじょが逆になってしまいますが、先にわたくしから愛の証明を致します」

「へ?」

「そうすれば、貴方もわたくしへの愛が爆発するはずです」 


 愛の証明をすると言われば、ドラマのワンシーンのようなロマンあふれる情景じょうけいを想像するが、今の状況では僕からしたら拷問ごうもん宣告をされたに等しいものに思える。

 何をされるのか分からない。

 ただただ怯えることしか出来ない。


「ふふふ。緊張なさらずに、力を抜いて下さい」


 無理だよ!


「な、なにをするつもり?」

「少しばかり接吻せっぷんを」

「接吻?!」

「接吻です」

「接吻ってキスのことだよね?!」

「あぁ。現代の言い方だとそう言った方が分かりやすいですね」


 え! 何、今から僕の唇奪われるの?

 こんな無理やりな感じでファーストキス奪われるの? こんな美人に………………ありかもしれない。

 いやいや、落ち着くんだ。こんな美人局つつもたせよりも危険な罠に掛かるのは良くない。

 痛みを与える系のものがくるとばかり考えていた僕にとって想定外の事態に、正常な判断が出来なくなった。

 いや、美人とキスが出来るというのは嬉しいのは確かではある。

 僕だって一人の男子高校生として美人とのキスという望みくらいあるが、今は違う。

 今、この魅惑的みわくてきな誘いに乗ってしまえば後には引けなくなる。

 一時の幸福のために人生を振るうかもしれない。それだけはしてはならない。

 必死に自制心を効かせるが、そんな僕の苦悩にはお構いなく、彼女は手を僕の頬に添えて来る。

 僕は唯一動かせる口を動かして説得せっとくを試みる。


「も、物事には手順というものがあるため、いきなりそういうのは良くないと思うけど」

「大丈夫です。最終的には結ばれるという結果がありますから、過程の順番など然したる問題ではありません」


 説得は無意味だった。

 結論が彼女の中で確約しているため、順序というものには意味が無かった。

 極論、彼女にとってこの場で子作りをしたとしても問題ではないのだろう。

 もはや打つ手はなかった。

 顔を動かせなくするため、優しく固定してくる彼女を前に、完全に何もできなくなった。

 僕は半ば諦めて目の前の誘惑に身を任せることにする。

 近づく顔を見つめながら目を瞑り、覚悟を決める。

 

「……あれ?」


 しかし、一向に唇には伝わってくるはずの感触が伝わってこない。

 僕はおっかなびっくりと言った風に微かに目を開ける。

 目の前にはかぐやさんの顔があった。

 鼻が触れ合う直前くらいに近づいていたが、何故かそこで彼女はぴたりと止まっていた。


「な、何で」


 彼女が呟く。

 僕は静かにその言葉を聞く。


「あと一歩なんです。なのに……何で邪魔をするんですか」


 僕には彼女の言葉の意味が分からなかった。

 だけど、顔を固定していた手には力が込められておらず、先程まで感じていた圧し掛かるような重みを消えていた。

 何故?

 ただただ疑問が湧いてくる。

 未だに動きを止める彼女の中で何が起こっているのか分からない。

 しかし同時にチャンスだと全本能が囁く。

 ここが行動を起こす分水嶺ぶんすいれいだと訴えかけて来る


「逃げるが勝ち!」

「きゃあ!」


 あまり怪我をすることしたくはなかったが、手段を選んではいられなかった。

 有らん限りの力を腹筋に込めて体を起こすと、その勢いで僕の上に乗っていた彼女は吹き飛び、廊下に尻を着く。

 僕は自分の上から重みが無くなったことを確認すると、一目散にその場から駆け出した。

 

「あっ! お待ちになってください!」


 かぐやさんは廊下に座ったまま、引き留める声を上げる。

 僕は一瞥いちべつだけすると、足を止めずに階段を降りる。

 

「そんなに恥ずかしがらなくても良いんですよ!」


 まだ声が聞こえて来る。

 しかし、その内容は的外れだった。

 彼女の中では、僕が告白するのが恥ずかしくて逃げたことになっているみたいだ。

 

「わたくしは絶対に貴方からの愛の言葉を聞くまで諦めませんから!」


 何やら恐ろしい言葉が階段に反響はんきょうして聞こえて来るが、僕は何も聞こえないと自分に言い聞かせて学校を後にした。


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