滅びゆくもの 萌芽編

八凪 薫

序章 生まれ変わり

第1話 回顧と融合

 木を隠すなら森の中へ。

 特異なものは、特異なものの内に紛れ込ませてしまえばいい、と。

 人間に思いつくことは、より上位の存在にだって当然考えつく。むろん、実行までには大きな隔たりがあるわけだが。


「いやハや、キミはじつにガいい! このボクですラ、運命の存在を信ジてしまいそウなくらいニね」


 短い生を終えたばかりの魂に、真っ白な容貌の少年が言う。

 彼の口調は興奮気味で、上機嫌がうかがえる。


「本来こウいうことはしないのダけど、あまりニ都合のいい偶然だかラ、つイ話しかけに来てシまった。アまり他言はしないでおクれよ」


 楽しげな声には、時折、機械音のようなノイズが混ざる。


「さて、キミに選択権はなイ。運命なんテがないヨうに、ソんなものは最初から存在しナい。他の魂ト同様に、キミはこのまマ、順当に生まれ変わルだけでいい。チょっと世界を跨ぐけどネ、そレはままあるコトさ」


 しかし彼がノイズを気にする様子はない。滔々と、まるで朗読でもするかのように語り聞かせる。

 これは会話ではない。聞き手には一切の質問も、介入も、耳を塞ぐことすら許されていない。


「ところデ、」と思い出したように少年は言った。


「ボクの世界ハ危機に瀕しテいてね。キミの器と魂はそノ解決に適していル。

──が、ボクは強制ヲ好まない。キミの良心に委ネよう。もちろン忘れてしまッてもいい。長イ余生を過ごスつもリで、好きに生キてくれたマえ」


 白い髪、白い肌。輪郭を判別する影すらも排除された、純白の容貌。

 そのなかで唯一の、青い色の目が、慈愛を湛えるように細められた。瞳孔にあたる部分は白く抜けている。


「キミの旅路に祝福を」


 そこに何の感情もないことを、何故だか知っているような気がした。



──これが、おそらく、生まれる前のこと。

 この7年間忘れていた記憶を、リージェン・ラインは、自室の扉の取っ手を破壊した瞬間に思い出した。


 無残にもぎ取られた金属の塊が、手のひらから滑り落ちて床の上を転がる。それには目もくれず、リージェンは真っ先に鏡へ向かった。


「……僕は、仁科にしな健二けんじ。17歳。妹がいて……」


 覚えていることをぶつぶつと口に出す。もう一度忘れてしまう前に、この記憶の真偽を確かめる必要があった。

 手のひらに冷たい汗がにじむ。慣れた視点がいやに低く感じられた。


 このやりとりが本当なら、仁科健二は死んで、新たにリージェン・ラインとして生まれ変わったということになる。


 転生の概念は知っていた。転生それを扱った漫画について友人がたまに話していたし、リージェン・ラインの周辺の死生観もそれに即していた。

 馴染みはある。理解はできる。

 だがそれでもなお、信じられなかった。


 以前の自分──仁科健二という名前についても、少年との会話と同様、今の今まで忘れていた。

 けれど、今となってはすべて昨日のことのように思い出せる。家族の名前も、住所も、あの日のお昼に食べた弁当の中身すら、はっきりと覚えている。


 むしろ、そう。

 車に撥ねられた記憶だけが嘘で、今まで長い夢を見ていたのではないか、と思った。

 あるいは、少年との会話も含め、リージェン・ラインとして経験したものがみんな、昏睡状態のなかで見た夢だったのではないか、と。


 仁科健二はそのような解釈を試みた。

 鏡を見れば、そこには何の変哲もない、見慣れた自分の姿がある気がした。


──だが、鏡の中には見知らぬ子どもがいた。


 凛々しくも幼い顔立ちだ。明らかに仁科健二のものではなかった。

 それどころか、黄金を溶かし入れたような金色の目が、動揺を宿してこちらを見返している。あの少年に似ているようで異なる、植物の穂のような白い髪が顔にかかった。


 明らかにただの人間ではない存在が、そこにいた。

 何かを言いかけて口を開くと、鏡の中の子どもも口を開ける。視界には白い髪があった。


 鏡の中のこれは自分のものだ。確信があった。


 当然だ。生まれてからずっと、この容姿で過ごしてきたのだから。


「…………やり口が、汚いでしょう」


 真っ先に口をついて出たのは、少年への恨み言だった。

 それから少し遅れて、すとんと腑に落ちるものがあった。


 そうだ。家族3人で住んでいた家に、こんな内装の部屋はない。

 病院だってそうだ。近くの大きい病院はあそこしかないうえに、病室ならもっとずっと殺風景だ。


(本当に、死んでしまったんだ)


 納得と、同じくらいの落胆がじわじわと胸に広がった。

 脳裏に妹と、病身の母、そして小さな遺影がよぎる。


 境界線が引かれていた。

 それはけして越えられない。自分は既に、仁科健二ではないのだから。

 そして少なくとも、リージェン・ラインはその方法を所持していなかった。


「……僕は、リージェン。明日で7つ。4人家族で、両親と、兄がひとり」


 一語一語を、噛みしめるように口に出す。

 齟齬を起こしかけていたものが、元のようにおさまっていく感覚があった。

 鏡面に額をぶつければ、ひんやりとした感触がつたう。混乱していた思考は、すでに冷静さを取り戻しつつあった。


 改めて鏡を見れば、少しの違和感はあるが、見慣れた自分の姿があるだけだ。


 しかし、問いたいことはきりがない。

 どうして自分がとか、なぜ今日になって思い出したのか、とか。一体自分にどんな機能があるのかも、少年が言った世界の危機というものの詳細も。


 世界の危機、とあの白い少年は言った。

 その解決に自分は適しているのだという。

 言葉の真偽は分からない。が、こちらを騙してやろうという魂胆は見えなかった。もちろん、そこまで欺かれたらひとたまりもないが、ひとまずは考えないことにする。


 彼は、『キミの良心に委ねる』とも言った。

 ずるい言い方だ。

 そう言われた以上、そして思い出してしまった以上は、忘れて暮らすことなどできない。リージェン・ラインは、仁科健二は、そういう性分なのだから。


(どこまで分かっているんだか……)


 リージェンは歯噛みした。

 他にも、言いたいことや疑問は山のようにある。ひとつひとつ挙げていくうちに、頭は完全に平静を取り戻していた。

 落ち着いたところで、一番肝心の問題が口をついて出る。


「──それで、僕は結局、何をやればいいんです?」


 返答は降ってこない。記憶のどこにも、答えはない。

 部屋の静寂に、腹の底から怒りがふつふつと沸いてくる。


 だが、家具が軋む音で、その苛立ちは消え去った。


 部屋全体が小刻みに揺れている。取っ手ノブを失った扉がひとりでに開く。

 遠くの方で、鐘がけたたましく鳴っていた。


「これは……」


 鐘は立て続けに3回、少しおいて5回。それが切羽詰まったように繰り返される。

 これが警鐘のひとつだということを、リージェンは約7年の生活で身に染みて知っていた。


 鐘には当然、意味がある。それを聞き取ろうとして。


「リージェン」


 玲瓏な声が名前を呼んだ。開いた扉の隙間から、金色の目がのぞく。

 ひとりの女が姿を現した。


 彼女はルナリア・ライン。リージェンの母親だ。


 リージェンと同じ黄金の目。けれどその眼差しは、月の光のように涼やかだ。

 絹のような白い髪は、編み込まれ首元で束ねられている。いつもの重たげなスカートではなく、珍しく動きやすい外出姿に着替えていた。

 彼女の出で立ちは、そのすらりとした長身も相まって、まるで話に聞くの騎士のようだ。


「今日も一緒に……あら?」


 ルナリアは部屋に踏み入ってすぐ、床に転がっている金属の塊に目を止めた。ルナリアの眉根が上がる。


(しまった!)


 リージェンは冷や汗をかいた。

 記憶の混乱があったせいで、つい先ほど扉の取っ手を破壊したことを忘れていた。


 破壊。そう、器物の損壊。

 ルナリアは冷たい容姿とは裏腹に、中身は大抵柔和である。だが、時々かなり厳しいところがあった。

 とくに、乱暴で軽率な行いに関しては。

 先日も、うっかり触った花瓶を割り、じっくり時間をかけて叱られたのは記憶に新しい。


 しかも、だ。

 床に転がるドアノブは、よく見れば精巧なつくりをしている。ドアノブだけではなく、扉も、床も、部屋全体そのものが一定以上の品質を保っていることにリージェンは気が付いた。

 今までそんなことには気付きもしなかった。急に意識するようになったのは、仁科健二の貧乏性ゆえか。


 冷たい汗は止まらない。物心ついて以来の叱責=破壊の記憶をざっと数えて、リージェンは青ざめた。


「ごめんなさ──」

「もうそんな時期なのね。今日はお祝いだわ」


 ルナリアは明るい声で言った。


「……お、怒りません、か?」


 おずおずと尋ねると、ルナリアはくすりと笑う。


「もちろんよ、子どもは皆やることだから。破壊期は成長のしるしなのよ。片付けは戻ってからにしましょう。ああ、お祝いは明日やるのだったわね」


 彼女の表情は喜色で満ちあふれている。

 拍子抜け半分、安堵半分でリージェンは息をついた。


 成長のしるし。であれば通過儀礼、それこそ七五三のようなものだろうか。

 それにしてはあまりに物理的……と思い、ややあって、リージェンはかろうじていつもの決まり文句を思い出した。


「ええと、父さまはもう?」

「ええ。先に行ってくれているわ」

「そうですか……あ、兄さまは?」

「書庫よ。集中しているようね」


 ルナリアの返答も聞き慣れたものだった。

 父は真っ先に駆けつけ、一方の兄は書庫。5つ上の兄は、他の何よりも書物を偏愛しているらしい。


「さ、行きましょう。今日の魔物は少し大きいかもしれないわ」


 魔物、と聞いてリージェンは一瞬体を強張らせた。聞き慣れない言葉のように感じたのだ。だが、すぐに不思議なことではないと思い直す。


 リージェンの暮らすここは、カリナンという街にとっては、それが日常だった。


 警鐘は、ひときわ強い魔物の出現を知らせるものだ。そして鐘が鳴らされれば、両親は討伐に駆けつける。

 それが両親の、カリナンの領主の務めだった。


 魔物だけではない。

 魔法や、精霊。

 仁科健二として生きた世界では、絵空事とされていたもの。

 神秘と呼ばれる、神代かみよの気配を色濃く残すものたちが、ここでは鮮やかに生きていた。



 ルナリアに手を引かれて屋敷の外に出ると、木々の重苦しい匂いが出迎えた。


 どこからか、獣の耳障りな叫び声が聞こえてくる。

 鳥にしては大きい影が、羽音も立てず地面を横切っていった。

 通り過ぎた風は冷たく、かすかに湿り気を含んでいる。


 ここは、カルレヴィーア大樹海。

 広大でありながら未開。神秘息づく青の大地で、最も混沌に満ちた場所である。

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